すみちゃんのめひこ日記

第7回 チアパス(後編その1)アートと運動

2016.09.17更新

 前回のめひこ日記では、サパティスタ民族解放軍(Ejército Zapatista de Liberación Nacional、以下EZLN)主催のイベントに参加するために私がチアパス州に到着した時点で、話が止まっていました。今回はそのつづきです。
 "CompARTE(コンパルテ)"と題されたそのイベントは、アートを表現手段としてサパティスタの運動を支援することのできるひとなら誰でも参加可能のお祭りです。
 "CompARTE"は、動詞compartir(共有する、分かち合う)の二人称単数命令法comparte(共有しよう、分かち合おう)と、arte(アート、芸術、技術、方法、学術)とを掛けたことばで、「アートを(によって)分け合おう」というような意味を持ちます。メキシコ国内外からあらゆるジャンルのアーティストたちが集まり、音楽(民族音楽からラップまで)、ダンス、演劇、絵画、壁画、写真、映像、工芸品、ワークショップ、物品販売など、プログラムはぎっしり盛りだくさんになりました。

 日本でもこの夏、「音楽に政治を持ち込む...」云々の議論が起こりましたが、わたし自身、EZLNという社会運動体が主催したアートのイベントに丸々1週間通い詰めたことで、アートが社会運動の媒介となることや、そもそもアートは本質的にひとにどのようにして働きかけているのかということについて、じっくり考える機会を得ました。

2016年2月末にEZLNのウェブページ"Enlace Zapatista"上でその開催が初公表されて以来、前回の記事でも触れた教育改革デモの激化に伴って幾度か開催情報に変更が出されながらも、最終的に以下のようなスケジュールでイベントは執り行われました。

●7月23日(土)~28日(木)、30日(土)  チアパス州、サン・クリストバル・デ・ラス・カサス(以下サン・クリストバル)の郊外にあるCIDECI-Unitierra(以下CIDECI)にて。一般参加者(サパティスタでないひとたち)がアーティストとして出演。
●7月29日(金)、8月3日(水)、6日(土)、9日(火)、12日(金)  それぞれ、チアパス州のサパティスタ自治区オベンティック(Oventik)、ラ・レアリダー(La Realidad)、ラ・ガルーチャ(La Garrucha)、モレリア(Moleria)、ロベルト・バリオス(Roberto Barrios)にて。サパティスタ・コミュニティのメンバーがアーティストとして出演。
※これら5地区は、サパティスタ・コミュニティの運営についての決定機関、つまりEZLNの政府である、「よき統治委員会(Junta de Buen Gobierno、JBG)」がおかれている場所で、「カラコル(Caracol、=カタツムリ)」と呼ばれている。


 私が参加したのは、7月23日~28日・30日のCIDECIと、7月29日のオベンティックです。この記事では、CIDECIでのイベントのレポートをします。
 CIDECI(シデシ、と発音)は、チアパスのいくつかの先住民共同体とその支援組織が利用するコミュニティセンターのようなものです。会議、講演会、ワークショップなどのイベントがよく開かれます。敷地には、運動場やホール、図書室、礼拝堂、工房などがあり、自家発電機や貯水池も備えられています。かなり立派ですが威圧感はまるでなく、植物の生い茂る砂利道に沿って、背の低くてきれいなロッジ風の建物が並んでいます。メキシコの文化でもサパティスタの文化でもある壁画が、建物の壁を彩ります。
「なんか、"革命派"ってかんじの、ゴリゴリな対応されるんじゃないか。これは気合入れていかないとナメられるぞ」と、いま思えばまったく見当違いなことを考えながら、眉間に皺をよせてCIDECIに足を踏み入れた私は、緑の濃い山が目の前に広がり、空が近く、静かで穏やかな空気が流れていて、なんなら室内には癒し系の音楽まで流れていて、かわいい建物と愛想のいいスタッフばかり、というギャップに完全に拍子抜けしました。あるときCompARTEの会場で美容品の物品販売をしていた女性に、「今までインターネットを通じた情報しか得てこなくて、すごく緊迫した場所だと勘違いしてきた」と打ち明けると、「EZLN蜂起直後の90年代は、コミュニティの雰囲気がもっと ¡Lucha!(闘争!)ってかんじだったけれど、いまはそれもかなり変わって、落ち着いている」と言っていました。

 ここからは少し、イベント中に私が撮った写真をご覧頂きたいと思います。

CIDECIの様子。むこうに、チアパスの山と空。中央に立っている帽子のおにいちゃんは運営スタッフで、ステージでハイクオリティな司会を見せつけていた。にこりともせずにふざけたことを言いまくるタイプの人。

CIDECI内の建物の壁に掛かった絵。中央上の5つのカタツムリの絵は、カラコルを表す。中央に描かれる人物は、数年前までEZLNの代表者的存在だったマルコス副司令官。

プログラムの例(7月25日)。タテが時間、横が各ブース。同時進行でほんとうにさまざまな企画がある。

サカテカス州フレスニージョの伝統的な踊り。

オアハカでの事件(前回記事参照)に抗議するデモの写真が。








伝統舞踊をベースにした創作ダンスのグループDanza Riega(ダンサ・リエガ)。ダンスと演劇を混ぜて、メキシコの社会問題を訴える。ここのダンサーであるノルマというおばちゃんとたまたま話して仲良くなり、わたしは今回の旅の一部をこのグループと共にした。ノルマはおしゃれで陽気で気さくなおばちゃんで、写真を撮るときは、「あとで顔の補正をしてシワをとらなきゃ」みたいな典型的な冗談を言っていつも笑っていた。


イタリアから来たアーティストによって、会場内で即興で描かれた絵。右に「抵抗は、売られるものでも買われるものでもなく、アートによって共有される(CompARTEされる)ものだ」というメッセージ。絵の右上に描かれたひとが持っている看板には、「やつらは私たちを埋めたがった。でも、やつらはわたしたちが種であったことを知らないのだ」という言葉。すごいちからをもった言葉だと思う。これは、2014年に大問題となった、ゲレロ州・アジョティナパ師範学校の学生43人失踪事件について言っている。43人の学生は依然行方不明だが、殺害されてどこかに埋められているという報道も出ている。左上には、教育改革に反対する教職員団体CNTEのデモが描かれている。

版画のワークショップ。

行方不明の女性、不当に命を奪われた女性へのオマージュとして、伝統的な生地とデザインでつくられた人形。展示タイトルは「Más palabra(More word)」。「Más palabraとは、不当のなかで黙っている声、時間の忘却のなかで黙っている声のことです」という説明が柱に掛かっている。

物品販売も充実している。民族衣装、民芸品、Tシャツ、アクセサリー(チアパスは琥珀が有名)、DVD、本など。コーヒー(これもチアパスの名産品)やお菓子を提供するカフェもあった。

演劇『私の夫はどこ?』。警察による不正逮捕と「行方不明」の問題を扱う。写真は裁判のシーン。舞台中央が判事、右が農民の夫を不正に逮捕された家族、左が警察とそれに癒着した地方政治家など。シリアスなテーマだが、コメディ要素も織り交ぜられていた。パトカーのなかには、政党のTシャツを着たひと。メキシコでは選挙のキャンペーンなどの機会によく政党のマークが入ったTシャツとかリュックとか帽子が配られる。で、「あまり細かいことを気にしない」おじさんとかがそれを普通に身に着けて地下鉄に乗っていたりする。

「目指すべき教育とは何か?」についてのワークショップ。経済にかかわる理由から生まれる「悪い教育」の特徴とはなにか、というお題に対して挙げられた答え。「競争的」「企業経営的」「必要な資源(校舎、教科書など)の不足」「機械的」「実利重視」「量的」「もうけ主義」「有料」「腐敗」などの回答が壁に貼られた。

サンクリストバル・ユース・オーケストラの演奏。

最終日のオオトリ。国内外で著名なバンド「Panteón Rococó(パンテオン・ロココ)」。会場が熱狂。大物歌手Oscar Chavez(オスカル・チャヴェス)との共演もあった。わたしも、もみくちゃにされながらシャウト。


 CompARTEにおいて「アートとしての運動」というテーマがごく自然に提示されたとき、わたしは、そもそもアートと運動の関係とは何なのだろうと改めて考えはじめました。
 アートは、ふだんの言葉のやり取りとはちがう方法で、そして物理的な暴力(武力)を使わない方法で、わたしたちに何かを伝え、はたらきかけてくるものです。そのはたらききかけ方は、見様によっては「緩やかなもの」ですが、同時に、ふだん以上に、ひとを泣かせたり、叫ばせたり、黙り込ませたり、鳥肌を立たせたり、憑依状態にさせたりするちからを帯びたものでもあります。わたしもイベント中、幾度となくそのちからに襲われました。例えば、いままでも「知っていた」はずの事件が、演劇として再現しなおされるだけで、わたしをまったく違う次元に連れ去り、手に汗をかかせ、肚にずしんとした衝撃を与え、終わった後にはぐったりさせる。

 前述のとおり、今回のCompARTEは開催に至るまでに何度か日程の変更を経ています。そのもっとも大きな理由は、EZLNが教育改革反対のデモへの支援を急務と判断したことです。6月19日にオアハカ州でのデモ中に死者が出、国内の雰囲気が一気に緊張したものになってから、EZLNは当初予定していた、サパティスタ自治区での連続1週間のCompARTEを中止しました。そのプログラムにかかる資金や労力をデモ支援にまわすことが優先されたためです。実際この時期EZLNは、教職員団体に多くの物資・食糧を寄付しています。
 事態が急を告げたときに、EZLNがいさぎよくイベントを中止し、いちばん必要な形態の運動に切り替えたこと。人が死んでいるとき、食べ物が足りないとき、運動はどうあるべきなのか。アートはどこにいくのか。

 しかしだからといって、「アートは甘い」ということにはならないでしょう。考える土壌をつくる、あたらしい空気=文化を醸成するということが運動のひとつのゴールであるならば、言葉にできないレベルでひとの身体や想像力に働きかけるアートは、運動において決定的に重要なテーマとなると思います。
そして、今回もうひとつ実感したのは、アートはけっして「楽な方法」ではないということです。アートは、発信側に相当なエネルギーと信念が必要とされるとともに、受け手の反応なしでは存在できません。アートを「つづけていく」ことは、独りよがりな作業でも、受け身的な感化の現象でもなく、ひとが呼応しあうなかにのみいのちを吹き込まれる往復運動だと私は思います。強烈なメッセージを、しかし非暴力のしかたでひとのあいだに伝播させていくアートは、甘いものではまったくありません。

 そしてここでわたしが実感したことは、7月29日のサパティスタ自治区オベンティックで述べられたEZLNの声明文のなかにもあらわれていたように思います。次回のめひこ日記では、オベンティックでのCompARTEの様子とともに、その声明文の内容を振り返り、チアパスレポートの締めくくりとしたいと思います。

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角智春(すみ・ちはる)

1995年生まれ。島根県出身。耳の垂れた犬が好き。盆と正月には愛犬のビーグルと出雲大社周辺を散歩する。東京外国語大学でスペイン語を専攻。ゼミでは人類学&現代思想を真面目に勉強し、指導教員に「スミさんには、“自由とは何か”を考えはじめて200年、みたいな趣きがある」と言わしめた。

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