すみちゃんのめひこ日記

第8回 チアパス(後編その2) 自治を想像するアート

2016.10.16更新

 7月29日、朝9時ごろにサパティスタ自治区オベンティックの入り口に到着すると、目出し帽を被った人たちが交通整備と受付の準備をしていました。入り口には門があり、人の出入りが厳格に管理されます。この日のように特別なイベントがない場合は基本的に、外部者が手続きなしに自治区に入ることはできません。集まるひとを捌いていくサパティスタたちを見ていて、単純に思わずにいられなかったのは、「メキシコはやはりわけのわからない国だな」ということです。こういうエリアが一国家のなかに存在することは、世界的にみれば特殊なことではないのかもしれませんが、それでも自治区というものをみたのが人生ではじめてだったので、日本だったらちょっと考えられない光景にただただすごいなと驚嘆。
 門を通り抜けると300メートルくらいのゆるい下り坂の一本道が続いていて、その通りの左右に様々な建物が立ち並んでいます。行政組織「よき統治委員会(Junta de Buen Gobierno、以下JBG)」の事務所、野菜や生活用品が売られる商店、診療所、学校、「尊厳ある女性のためのオフィス」と書かれた小屋、食堂、教会など。CIDECIと同じく、ほぼすべての建物に壁画が描かれています。ステージは、その坂を下った奥にある広大な広場に設けられていました。

 サパティスタ自治区は27ありますが、それら各地区の自治に関わる決定や行動について調整を行うのがJBGです。JBGは複数の自治区の代表で構成され、「カラコル(Caracol、直訳は「カタツムリ」)」と呼ばれる5つの場所に置かれています。オベンティックはそのカラコルのひとつなので、JBGの建物が敷地内にあるわけです。サパティスタの統治システムは徹底した民主主義を目指しているという意味で非常に厳格で、JBGもまた、腐敗や各自治体間における不平等など無しにきちんと機能しているのか、別の機関からのチェック受けています。EZLNの動きについては全員が合意に至るということが重視され、例えばひとつの大きな声明文を出すうえでも、それは署名者である副司令官たちの言葉なのではなく、各JBGによってひとつひとつ精査された内容となっています。上から下への統治にならないよう、ものすごい労力と時間を費やすのが彼らのやり方です。
 前回の記事に書いたとおり、この日はサパティスタ民族解放軍(以下、EZLN)主催のアートのイベント "CompARTE"の一環で、カラコルを会場として、サパティスタ・コミュニティのメンバーがアーティスト側になるプログラムでした。
一日を通じて、音楽、歌、演劇、ダンス、詩、絵などが披露されました。すでにレポートしたCompARTEのほかのプログラムとはっきり違う点として、やはり、「サパティスタのメンバー自身がいまなにを考えているか、なにを伝えたいか」が示されたアートだったということが、この日の大きな意義だったと思います。前回同様、写真と共に振り返ります。

入口から、一本道が奥まで続く。周りは山に囲まれている。

自治区内の小屋。

奥の建物の壁に、「中学校」と書かれている。


広場。奥にステージ。

演劇『軍とパラ・ミリタレスの脅威』。武装した民間人の組織パラ・ミリタレス(Paramilitares、=準軍事組織)とサパティスタとの衝突という印象的なシーン。サパティスタおよびそれを支持する住民に対するパラ・ミリタレスの暴力は、90年代半ばから続く深刻な問題である。パラ・ミリタレスの育成には国家権力が関与していると言われる。元来サパティスタたちと対立する一般市民に軍などが介入し、武器を与え攻撃させるというやりかた。汚い。

踊り。EZLNの理念、活動の歴史、先住民の生の営みなどを表現する。

ステージにはたくさんの絵が掛けられている。周りは警備のメンバーで常に囲まれていた。すこし見えにくいが、ステージ上で歌うのは、おそらく10代前半の女の子6人で構成されたバンド。メッセージのピンポイントさ(運動における女性の役割・尊厳)と気迫は、彼女たちが群を抜いていたように思う。「闘争家であり女性であることで行方不明になり、拷問に遭い、レイプされ、殺させた同志のために歌います」。「女性がいなければ、革命はない(Si no hay mujeres, no hay revolución.)」。少女たちが相当なことをステージ上で表明しているということに、色々と考えさせられる。

フィナーレを飾ったバンド。このときだけ警備が無くなり、ステージに近づいて、演奏と絵を観ることが出来た。

閉会に伴う、EZLN副司令官モイセスの言葉。ステージ中央で白い紙を手に話す人物がモイセス。


 サパティスタ運動をとりまく状況が本人たちによって表現・再現されることで、それらのアートは特別な(そしてある意味で異様な)ちからを帯びているように感じました。
 例えば農具を持って踊るダンスには、先住民としての彼らの生き方が表現されます。しかし彼らのアイデンティティをあらわすそのような表象がある一方で、同時に、彼ら自身が良くないとみなす伝統を自己批判的に取り上げたアート(例えば、婚姻の因習のなかに女性蔑視の要素があったことを描いた演劇)もみられました。共同体のこれまでとこれからのありかたを彼らがどう考えていこうとしているのかが、興味深いかたちで示されていたと思います。
 前述した「本人たちによって再演されるサパティスタの状況」という点で、特に演劇には、たくさんの印象的なシーンがありました。例えば、ヘリコプターに乗って村に政治家がやってくる。スーツを着た彼は「我々は○○党です。我が党がただひとつの選択肢です。我々はひとつです。協力しましょう」とスペイン語で話し、それを通訳がツォツィル語(先住民言語のひとつ)に訳して住民に伝える。また別のシーンでは、パラ・ミリタレス(民間人の武装組織)が「クソサパティスタたちをファックしろ。ほら、酒飲め、マリファナ吸え」と言われながら、裏で金や武器を受け取る。そして前掲の写真にあるように、武器を持たないサパティスタたちと衝突する。
 生活を脅かされたり仲間を失ったりした実際の経験とじかに結びつくような生々しいアートをやること。そのなかには、抗議を、ただ怒りやシリアスさだけによってではなく、皮肉の効いた笑いにかえて提示してしまうすごさがあります。

 このCompARTEは、サパティスタがアーティスト側であったうえに、彼らの自治区が会場となっていました。EZLNは有名な組織なので、かなしいことに「自治区が観光地化している」だの、「資金が潤沢」だのといったうわさが絶えませんが、彼らの生活するその現場に実際に行けば、彼らがどれだけ厳しい状況のなかで生きているのかはすぐに分かります。一部であれそういう空間を肌で感じながら彼らのアートを見て、改めて思ったのは、「サパティスタ民族解放軍は社会運動体だが、彼らは、理念や思想で団結している組織という以前に、ふつうの先住民の共同体であり、こうやって共に暮らす、人間として一番基本的で生々しい生活共同体なのだ」ということです。彼らの言葉が「世界的に有名な組織」の言葉であろうと、また「民主主義・正義・自由」(この3つのキーワードはEZLNの声明文の末尾に頻繁に添えられます)といった大きな言葉であろうと、その言葉は、先住民として置かれた厳しい状況のなかで、文字通り今日明日をどう生きるかという絶対的なリアリズムから発されています。だからこそ、その言葉、そのアート、その実践を見つづけ聞き続けたいと私は思うのです。

 この日の閉会に伴い、モイセス副司令官はこのように述べていました。

Para nosotras, nosotros, Zapatistas el arte se estudia creando muchas imaginaciones, leyendo en la mirada, estudiando en la escucha, practicando. (...)lo que queremos, o lo que pensamos, es un mundo nuevo, o un sistema nuevo. No copia del que ya hay o darle un agregado a lo que ya hay. Esto es el problema que decimos, porque no hay libro, manual que nos diga cómo. Ese libro o manual, todavía no está escrito, está todavía en los celebros con imaginación, en los ojos listos con mirada de algo nuevo que se quiere ver, en los oídos muy atentos para captar lo nuevo que se quiere. (...)Así lo decimos, porque así fue y asi seguirá el mejoramiento de nuestra autonomía.

 我々サパティスタは、たくさんの想像力を生みながら、注意深い視線によって読み取りながら、耳を傾けることによって学びながら、実践を重ねながら、アートを究めます。  (...)我々が望むもの、我々が考えるものは、新しい世界、または新しいシステムです。すでにあるもののコピーでも、すでにあるものへの付け加えでもありません。  これが問題なのです。というのも、どのようにすればいいかを我々に教えてくれる本やマニュアルはないのですから。それは書かれていません。それはまだ、想像力ある頭脳のなかに、新しいものへ眼差しを向ける準備の整った目のなかに、新しいものを聴き取るための注意深い耳のなかにあるのです。  (...)我々がこう言うのは、我々の自治が、そういうやりかたで改良されてきたし、そしてこれからもそうやって改良されていくからです。 (2016年7月29日に発表された、EZLNのモイセス副司令官による言葉 "EL ARTE QUE NO SE VE, NI SE ESCUCHA(みえもきこえもしないアート)"より 。角智春試訳)


 モイセスのこの言葉は、まだこの世界にないものを構築していこうとするEZLNの自治の実践が、言葉にならないレベルで感知され想像され共有されるアートの行為と深く繋がっていることを知らせています。この日私が目にした自治区、そしてアートには、文字通りまだ世界にないものを想像するためのヒントがたくさん詰まっています。
 過酷な状況を生きる当事者として、血を流しながら、あたらしい実践を見せ続けるEZLN。メキシコという遠く離れた場所から発信されるこの運動を追うことで自分は何を受け取ることができるのか、私はこれからも考え続けなければなりません。

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角智春(すみ・ちはる)

1995年生まれ。島根県出身。耳の垂れた犬が好き。盆と正月には愛犬のビーグルと出雲大社周辺を散歩する。東京外国語大学でスペイン語を専攻。ゼミでは人類学&現代思想を真面目に勉強し、指導教員に「スミさんには、“自由とは何か”を考えはじめて200年、みたいな趣きがある」と言わしめた。

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