すみちゃんのめひこ日記

第10回 トランスナショナルな"日本"

2016.12.28更新

 日本人だからとか、メキシコ人だからとか、そういう語り口はあまり好きではありません。でも、「私は日本人であることになんの愛着も感じていないし、そういうカテゴリーはどうでもいいと思っています」というような主張も好きではありません。育ってきた場所と時間は、影のように、みんなのなかに落ちています。

 8月から11月のあいだ、メキシコシティにある国立人類学歴史学大学(Escuela Nacional de Antropología e Historia)というところで聴講生をしていました。その名のとおり、人類学や歴史学、考古学を専門とした大学です。こんな学校、日本にはもちろんなく、さすが遺跡や先住民文化の宝庫であるメキシコだなという感じです。
 超主観的な分析なのですが、人類学をやっている学生はパンクなヤツが多い、ということを私はメキシコから教わりました。「人類学の学生であるからには、自分がヒッピーであったりロックなレズビアンであったり、マリファナを吸っていたりしなければならないと思っているひとが多い」という(あくまで)ジョークを言った友人がいましたが、たしかにこの学校には、坊主の女子とか、耳たぶのピアス穴をめちゃくちゃ拡張している全身入れ墨男子とかがけっこういるのです。構内を歩けば、自分のキャラの「仕上がりの低さ」に、意味もなく恥ずかしくなってうつむきます。

 受講していた社会人類学のコースで、先生に勧められて、こういう論文についての発表をしました。「トランスナショナルな日本と日系ディアスポラ――メキシコシティにおける移民アイデンティティの拡がり(El Japón transnacional y la diáspora nikkei. Desplegado de identidades migrantes en la Ciudad de México)」(Melgar Tísoc, 2009)。
 ちなみに発表でペアを組んだのは社会人類学コース1年生の18歳の女の子で、「発表の準備をそろそろしようよ」という連絡を私からしたら、「昨日足を撃たれたからすぐには会えない。見る?"入口"と、"出口"」というメッセージを添えて、銃弾が撃ち込まれた自身の外ももの画像(="入口")と、銃弾がそとへ突き抜けた内ももの画像(="出口")を送ってきました。パンクすぎる。「飄々とした」という形容詞の最高レベルを見ました。
 (...メキシコの街中で発砲されることはほとんどありません。彼女の運が悪かっただけです。どうかヤバいイメージを抱かないでください。彼女の入口と出口は完治し、二人で無事発表を終えました)

 この論文は、メキシコの日系人たちが「日本の出自(祖先)を持つメキシコの人」としてのアイデンティティをどのように築こうとし、彼らのトランスナショナルな(=国境を越えた、一国家にとらわれない)視点によって「日本」はメキシコでどのように再生産され再解釈されているのか、を考察しています。
 『世界民族問題事典』(平凡社、1995年)には、「〈日系人〉の概念は状況と目的によって多様に使用されるが、広義には国籍のいかんを問わず、日本国外の社会で生活の本拠をそこに置いて定着している日本人移民とその子孫を総括的に指す」(p.850)と書かれています。論文のなかでも、日系人は「日本人移民とその子孫」を指すとされています。
 歴史的には、コーヒー栽培事業への従事などを目的として、明治政府の榎本武揚の主導により1897年に日本からメキシコに35人が派遣された「榎本移民」が、メキシコへの最初の本格的な日本人移民です。それ以降、戦前までに約15000人が移民としてメキシコに渡り、様々なコミュニティを築きました。この日本人移民たちをはじまりとして、日系のコミュニティは、多くの困難や成功を経ながら現在まで続いています。(参考:社団法人日墨協会『はるばるきたぜメキシコ』、2016年)。(タイトルがサブちゃん)。
 日系人だけではありません。私が留学生として抱いた実感のひとつに、「メキシコって日本人めちゃくちゃいるな」ということがあります。政府によるプログラムや日系企業の進出は活発で、この国には留学生、海外駐在員、公務員といった日本人の一時滞在者がたくさんいます。外務省の「海外在留邦人人数調査統計 平成28年要約版」によれば、メキシコに在留する日本国籍保持者の数は9,437人で、ブラジル(54,014人)、アルゼンチン(11,726人)に次いで、中南米で第三位となっています。現在の、日本とメキシコの交流事業や組織の多くは、日墨両政府(墨=メキシコ)や企業、そしてメキシコ在住の日本人や日系人が、個々に、そしてときに連携しながらつくってきたものです。

 このような状況において、日系人たちの、メキシコ社会での生き方、自己定義の仕方、日本・日本人との関係の築き方は、色々なかたちをとっています。私が授業で取り上げた論文は、現代における、メキシコ人でも日本人でもない者としての「日系人アイデンティティ」の浮上について、ある仮説を立てて論をすすめています。仕事や留学で一時的にだけメキシコを訪れ、「覇権的な日本文化」を運んでくる日本人と出会いやすくなったことによって、メキシコの日系人は、自身のアイデンティティの内容を再構想・再構築する必要性を迫られたのではないか、という仮説です。筆者の行ったインタビューでは、実際に日系の女性がこう回答しています。"小学校に「日本人」の子どもが転入してきたことによって、いままで自分を「日本人」とみなしていたはずが、自分は「日本人」でも「メキシコ人」でもない、何者でもないという感覚に襲われた"。「トランスナショナルな日本」というひとつの言葉で括れる空間において、支配的な勢いをもつ人々と、アイデンティティの危機に晒されるような人々というような、全く異なる局面が併存している可能性があることを筆者は指摘しています。
 現在では日墨協会(1956年設立)、青少年日系機構(1997年設立)や第一汎アメリカ日系同盟(1981年設立)などが中心となって、日系人コミュニティの強化の動きがすすみ、メキシコ国内に治まらずラテンアメリカの諸地域を結ぶかたちで、「特定のテリトリーだけと結びつかない(ディアスポラ=離散的な)アイデンティティ」としての日系のあり方について考える場となっています。
 私は冒頭で、○○人というカテゴリーを強調し過ぎることも無視することも嫌だ、と書きました。もし日系の人たちが、日本人・メキシコ人という「メインストリーム」に挟まれて自己定義の再考を迫られているとしたら、彼らの実践は、ナショナリスティックな分類・均質化・固定化の圧力に抗うちから、また、支配的な集団の周縁に存在するという自らの状況を変えていくちからを持つと同時に、「日系」というアイデンティティが次なる圧力の再生産にも結び付かないような工夫をし続ける必要がありそうです。




 12月3日、4日にメキシコシティの国立芸術センターで「Festival Japón 2016/日本祭り2016」が開催され、友人数人と出かけてきました。会場には、日本食店、アニメショップ、在メキシコ日本大使館、JICA、前述の日墨協会、日系企業などのブースが並び、ステージでは日本舞踊や武道のデモンストレーションや、J-POPのコンサートが行われていました。日系コミュニティによるプログラムもたくさんありました。こうやって日本のことをメキシコの友だちに紹介できるのはうれしいな、と生き生きした気分で会場を回りつつ、複雑な感情も胸に去来します。
 10月にコリマ州というところの先住民グループの代表者が、鬼気迫る表情で語っていたことをふと思い出します。「われわれの山で、日本の鉱業会社が勝手に採掘事業を始めている」。どういう事業が進んでいるのか、私は具体的にはわかり切っていませんし、良し悪しをはっきりと判断することもできません。でも、この例だけでなく、メキシコの「日本」が私のなかにアンビバレントな思いを湧き起こすことはいくらでもあります。

 私自身も含めたあらゆるかたちの「トランスナショナル」が、誰かのアイデンティティの問題や誰かの苦しみとかかわっているとすれば、私は、こうやって移動する自分がなにを象徴しているのかをなおさら考えずにはいられません。
 自動車もヤクルトもアニメも寿司も歌舞伎も日系も、すべてが「日本」のうえに乗せられて運ばれます。全部ひっくるめてひとつのイメージ群になっていて、それは各業界・分野の推進力にもなっているのですが、一方でこの表象のしかたでは取りこぼされるものが多すぎるとも思えます。節操がない、という気すら湧きかけるのです。輝かしい単色のその看板の下で影になって見えないものがたくさんあります。
 そしてもう一点、日本で「メキシコ」に触れる機会より、メキシコで「日本」に触れる機会のほうが絶対的に多い、ということがかねてから気になっています。日本の人に「メキシコから何を連想しますか?」とたずねても、タコス、サボテン、テキーラ、麻薬あたりが限界だと想像しますが、逆の質問をこの国でしてみると、出てくる出てくる・・・。街には日本車が走っているし、テレビではドラゴンボールの再放送、私にいきなり「トーシバ!」「ミツビシ!」というニックネームを付けてくる人がいれば、Sushi rollo(スシロール=アレンジ巻き寿司)のチェーン店もたくさんあります。日本についての話題を持ってくれているのはうれしいことですが、この状況を前に「日本の技術や文化は世界に知られている」というリアクションだけで終わってしまうことは、二国間の情報の非対称性の背景にあるものは何かと考えてみれば、お気楽すぎるかもしれません。

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角智春(すみ・ちはる)

1995年生まれ。島根県出身。耳の垂れた犬が好き。盆と正月には愛犬のビーグルと出雲大社周辺を散歩する。東京外国語大学でスペイン語を専攻。ゼミでは人類学&現代思想を真面目に勉強し、指導教員に「スミさんには、“自由とは何か”を考えはじめて200年、みたいな趣きがある」と言わしめた。

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