たもんのインドだもん

第2回 映画のない人生なんて

2013.05.09更新

第2回 変わりゆく映画館

 インドに暮らして間もないころ、映画館が怖かった。毒々しい手書き看板が立ち並び、あたりには油菓子と小便の臭いが漂う。音の割れたスピーカーが挿入歌をがなり立て、男たちがずらりと列をなす。みな、炎天下をものともしない。行列を乱せば見張りの警官の棍棒が飛んでくる。まるで家畜だ。そこは外国人がおいそれと足を踏み入れてはいけない場所のように見えた。

 インドではじめて映画を観たのは17歳のとき。小さな農村に暮らしていたころだ。ある日、若い友だちに誘われるまま、乗り合いバスで隣町へ行った。劇場は煉瓦づくり。小ぶりな体育館ほどの空間で、すわりの悪いパイプ椅子がずらっと並んでいた。野良仕事帰りの男たちが、腰布をたくしあげてくつろぎ、葉巻ビディーの煙をくゆらせている。

 バリバリと爆音ノイズとともにはじまった映画は、単純明快、勧善懲悪の物語。大げさな演技と効果音。言葉がわからなくたって十分楽しめる。ヒーローが悪人をこてんぱんにやっつけると、拍手指笛歓声が鳴り響く。まるでコンサートみたいだ。物語のクライマックス、おもむろにスクリーンのまわりに備え付けられた電飾がピカピカ光った。たまげた。あっという間の三時間。外に出て、太陽を浴びると生まれ変わったような気がした。こんなに楽しいものをずっと知らなかったなんて!

 それからぼくは自分でもどうかしていると思うほど、インド映画にはまってしまった。
お気に入りのスターができ、美しいヒロインたちに恋いこがれ、挿入歌をたくさん覚えた。ろくに言葉もわからないのに、気に入った作品があれば、何十回も劇場に通った。難しい台詞やシーンは、まわりの観客に聞けば、しつこいくらい丁寧に解説してくれた。

 映画のない人生なんて、ミルクのないチャーイみたい、と誰かが言った。そのとおり。映画の話さえすれば、誰とでもすぐ友だちになれた。
 
 あるとき、旅先の町でお腹を壊したぼくは、いちかばちか食堂で歌をうたった。

「♪塩よりうまいものはない
 それがわかれば馬鹿じゃない」

 椅子に座るなり、カンナダ語映画の挿入歌をうたう珍妙な日本人にウエイターもコックも大笑い。あの映画もこの映画もみたよ、と映画談義に華が咲き、気がついたら厨房で料理までさせてもらった。自分でつくったスープとお粥を食べ、腹の調子はすっかりよくなった。

 ぼくにとって映画は体験であり言葉だ。音楽がそうであるように、ひとつひとつの映画の思い出には、人や場所、その時の気持ちがぎゅっと染みこんでいる。

 2000年をすぎたあたりから、インドの都市の風景が変わりはじめた。街のいたる所に立体交差が作られ、雨後の竹の子のように大型ショッピングモールが建った。モールの最上階にシネコンがはいる一方で、下町に群生していた昔ながらの映画館はどんどん取り壊されていった。

 上映される映画の内容も変わった。勧善懲悪は流行らなくなり、都市型の自由な恋愛や、大学生の青春を描いたもの、同性愛やエイズなど社会問題を題材にした見ごたえある作品も増えてきた。お約束のダンスシーンがなくても内容が面白ければヒットする。映像技術はハリウッドの下請けで培われ、世界を見回しても最高レベルになった。

 そんな今どきのインド映画の質には、ぐうの音もでないほど満足している。シネコンは便利で、ふかふかのシートにエアコン完備、全席禁煙。チケットもネットで予約できるから、炎天下、汗をかいて列に並ぶこともなくなった。 無邪気に歌い踊り、野次を飛ばす客もなく、みんな静かに画面に見入っている。

 でも、何かが足りない。

 せめてもの救いは、上映中も堂々と携帯電話で話し続けるマナーの悪い客か。

「ああ、いま映画みてるんだ。どんな映画かって・・・?」

 周囲をはばかることもなく、映画のあらすじを電話に向かってしゃべりはじめる男。ここはお前の家の居間じゃないぞ、と思いながらも、彼のあまりのリラックスぶりは微笑ましくもある。映画館は、これくらいのデタラメがいいと思う。

 だって、インドだもん。


◎追伸。今年は日本でも多くのインド映画が公開されます。直近のもので言えば、5月18日から封切られる「きっと、うまくいく」(3 idiots)。ここ20年間インドで作られた映画のなかでもっとも好きな作品のひとつです。
 未曾有の消費+競争社会の渦中にあるインドで、若者たちがほがらかに生きる道はあるのか、という問いに見事答えてくれるエンターテインメント。日本の若い人にもぜひ見てもらいたい。元気でますよ~!

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矢萩多聞(やはぎ・たもん)

1980年横浜生まれ。9歳のとき、はじめてネパールを訪れてから、毎年インド・ネパールを旅する。中学1年生で学校に行くのを辞め、ペンによる細密画を描きはじめる。1995年から、南インドと日本を半年ごとに往復し、日本帰国時に、銀座、横浜などで個展を開催する。

2000年、日印コミュニティサイト「Indo.to」をオープン。2002年、対談本『イン ド・まるごと多聞典』(春風社)を刊行。このころから、本の装丁の仕事をはじめる。バンガロールのアトリエをキープしつつ、2012年、事務所兼自宅を京都に移転。現在、インド/横浜/京都を行き来し、装丁、ペン画、エディトリアル・デザイン、イベント企画など多岐に渡って活動をくり広げている。

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