たもんのインドだもん

第3回 人ごみ

2013.06.13更新

 十代のとき、日本の街の人ごみが苦手だった。横浜でも渋谷でも、人が多い場所は息を止めるようにして、早足に歩いていた。
 でも、インドの街は好きだった。人口密度だけで言えばインドもなかなかすさまじい。なのに、日本の人ごみのような窮屈さを感じることがなかった。なぜだろう。

 渋谷のスクランブル交差点に立ち止まって、人を見ているとくらくらする。これだけ大量の人が四方八方行き交いながら、それぞれが極力干渉しないようにしているのは、計算されたマスゲームのようにも見える。あの店へ買い物に行こう、何時に誰と待ち合わせ......みんなそれぞれの目的に向って歩いていて、脱線する人はあまりいない。
 友だちにそう打ち明けると
「当たり前じゃん。じゃないと、人ごみなんか歩けないよ!」
と言われた。
 なるほど、人ごみが人の動きを作ってるのか。いや、人の動きが人ごみを作っているのか。卵か鶏どっちが先か、みたいな思考にはまって、うえっとなる。


 そういえば、インドの街中には、目的をもたずにぶらぶらしている人がとても多い。昼間から仕事もしないでぼんやりしているおじさん、なにを買うでもなく店先で話しこんでいるおばちゃん、バス停のベンチに根を生やして新聞を読むおじいさん、売る気があるのかないのかわからない風体で品物を並べる露天商......。路上で人間観察をしているだけであっという間に時間が過ぎてしまう。

 立体交差の工事現場をぼんやり観ているおじさんがいる。もうもう立ちこめる土埃、パワーショベルやタンクローリー、こまごまと働く工夫たち、交通整理の警察官...。視線の先はわからないが、彼はガードレールに肩肘をつきながら、何時間でも飽きることなく工事現場を観ている。
 視線をうつすと、ちょっと後ろにこれまた暇そうな兄ちゃんが立っていて、工事現場を観るおじさんをぼんやり観てる。おじさんを観て楽しいことなんてないはずなのに。
 ふと背後に視線を感じる。ふりかえると、そこにはおじさんたちを観察するぼくを、観察するおじさんがいる。おもわず、目が合う。あ、ぼくも観られていたんだ。照れ隠しに笑みをかえすと、人なっこい笑みを浮かべながら近寄ってくる。
「ニーハオ、中国人かい?」
「ナマスカーラ、日本人だよ」
ぼくがカンナダ語で答えると、おじさんは「カンナダ語わかるのか!」とにわかに色めき立ち、たちまち質問攻めになる。
「インドはどうだ?」「学生か?働いてるのか?」「結婚しているのか?」
そして、数分後にはなぜか近くの食堂で一緒にコーヒーを飲んでいる。いい暇つぶし相手が見つかったとみえて、おじさんの話は止まらない。
 食堂のレジのじいさんは、その一部始終を観ていて、話しかけるでもなくニヤニヤしている。

 ふしぎな距離感だ。大したことは何ひとつしていないのに、おじさんたちとぼくの間にジジジと見えない線が結ばれる。
街のなかにいつでも誰でも腰をおろせる縁側がある。目的はあってもなくてもかまわない。たったそれだけのことで、からだがすっと楽になる。
どんなに大量の人がいてもあまり息苦しくならない。きっと、人ごみのせいじゃない。人との距離感のおかげで、自分のからだのありようがまるで違う。


 ぼくの好きなインド映画にこんな歌がある。ちょっとシュールだけど、妙に記憶に残っていて、インドの街を歩いていると、つい口ずさみたくなる。

 山羊がいる
 女神に捧げる山羊がいる
 山羊を屠る男がいる
 女神の目に男が映る
 男の目に山羊が映る
 それが村人たちの目に映る
 女に髭は生えない
 獅子は草を食べない
 いくら金があったとしても
 死んでしまえば泥と同じ

 インドの社会は、ときに人との距離が近すぎて、暑苦しい。合理的、計画的に物事を進めようとする人にはストレスになる。お節介がすぎて、面倒くさいことにもよく巻きこまれる。
 あるとき、本屋で『ものすごくうるさくて、ありえないほど近い』という小説のタイトルを目にしたとき、見当外れにも「これはインド人のことだろう!」と思った。
インドの生活で人とぶつからずに一日を終えることは不可能に近い。だが、それを避けてしまえば、泥と同じ。何も得るものはない。
 この先、どんなにインドが経済発展して、都市の姿が変わっていっても、この距離感だけはなくならないでほしい。
 だって、インドだもん。


第3回 人ごみ

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矢萩多聞(やはぎ・たもん)

1980年横浜生まれ。9歳のとき、はじめてネパールを訪れてから、毎年インド・ネパールを旅する。中学1年生で学校に行くのを辞め、ペンによる細密画を描きはじめる。1995年から、南インドと日本を半年ごとに往復し、日本帰国時に、銀座、横浜などで個展を開催する。

2000年、日印コミュニティサイト「Indo.to」をオープン。2002年、対談本『イン ド・まるごと多聞典』(春風社)を刊行。このころから、本の装丁の仕事をはじめる。バンガロールのアトリエをキープしつつ、2012年、事務所兼自宅を京都に移転。現在、インド/横浜/京都を行き来し、装丁、ペン画、エディトリアル・デザイン、イベント企画など多岐に渡って活動をくり広げている。

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