たもんのインドだもん

第4回 皿のなかの自由

2013.07.18更新

 子どものころ、インド料理が苦手だった。

 インド帰りの父がスパイスにはまり、台所はなかば実験室。くる日もくる日もカレーが出され、香辛料の匂いを嗅いだだけで気分が悪くなった。純和風のカレーライスは食べられるが、少しでもスパイスが主張するとダメ。インドにいっても、中華料理やチベット料理ばかり食べていた。

 だが、いまでは、インドの楽しみの半分以上は食べ物が占めている。あちこち食べ歩きをするわけではないが、お気に入りの店ができるとすべてのメニューを制覇したくなる。友だちの家でご馳走になっても、気になる料理があると根ほり葉ほりレシピを聞く。10歳のぼくが、いまのぼくをみたら、その変わりようにたまげるだろうなぁ。


 ぼくはインドで何を食べてきたんだろう。記憶をたぐりよせると、料理そのものより先に、まず人の顔が浮かぶ。


10代に暮らしたアーンドラ・プラデーシュ州はインド一料理が辛いことで有名だ。どの料理にも唐辛子がニョキニョキ顔を出し、まさにインド人もびっくり。「こんな辛いもん食えるか」と怒り出す他州出身者もいる。

そのころお世話になっていたホメオパシーのドクターの料理はものすごかった。よく弁当持参でわが家に遊びにきて、世間話をしながら昼飯を一緒に食べた。弁当のふたをあけると、スパイスが煙くて眼がチカチカした。こわごわ分けてもらうと、あまりの辛さに変な笑いがこみあげてくる。

しかし、ドクターの子どもたちはまだ小学生なのに、この激辛料理をぱくぱく食べ、辛いと騒ぐぼくを笑っていた。

さすが赤ん坊の時からスパイス入り母乳で育っているから、鍛え方が違うんだ、と思ったが、そうではなかった。よく観察すると、たくさんのご飯に汁ちょっと、白米がうっすら色づく程度のバランスで混ぜて食べている。

真似して食べてみたら、確かにそんなに辛くない。むしろ、辛みの奥に隠れていたうまみや香りが立ち上がってくる。皿の上で味を調節し、混ぜご飯を作っている感じだ。

 アーンドラはカラカラに乾いた作物も少ない土地。塩辛酸っぱい彼らの料理は、たくさんの家族のお腹を満たすため、自然と生み出されたものなのかもしれない。その食べ方に気がついてから、食事はぐっと楽しくなった。


インドは辛いものばかりではない。その後、引っ越したお隣のカルナータカ州の料理は、南インドで最もやさしい味と言われていた。野菜や豆の味を生かす控えめなスパイスづかい。粗糖をみりんのように使い、甘みとまろやかさを加えることもある。

 アーンドラから遊びに来たドクターは「なんてメリハリのない味なんだ。野菜をゆでただけみたい」と物足りない顔をした。

 カルナータカ西海岸の小さな村に遊びに行ったとき、お寺の神官の家で昼飯をごちそうになった。奥さんは突然の来訪にも嫌な顔ひとつしない。滋味あふれる野草のおかず、やさしい味わいの豆のスープ、手作りの揚げ煎餅や漬け物、皿の端に添えられたほろ苦いチャットニーは庭のハーブとココナツをすりつぶしたもの。素朴な、でも丁寧に作られた家庭料理の味にホロリ。これなら毎日食べられる。

家は田んぼと椰子にぐるりと囲まれ、窓からは風に波打つ青々とした稲の海が見える。静かで豊かなその風景もふくめて、ごちそうだった。


 「インド音楽ってどれも似た感じに聞こえる」

と言われたことがある。彼はクラシック音楽誌の編集者で耳の良い人だったから、その感想は意外だった。逆にぼくの耳にはクラシック音楽の方がどれも似た感じに聞こえていた。

 きっと耳が慣れていないのだろう。ラジオの周波数みたいなもので、つまみを回し、ノイズの波を行つ戻りつしているうちに、あるときバチッと放送が入る。

 味覚も同じ。スパイス天国で育ったインド人には、和食の微妙で淡い味つけがわからない。醤油とだしの国で育ったぼくらには、インドの複雑な香りの世界がわからない。でも、何度も食べていくうちに、からだのなかで味覚の幅は広がっていく。


 「インド人って毎日カレーでよく飽きないね」

と日本人に言われるたびに、なんて野蛮な言い方なんだろう、と思う。

唐辛子にはいろんな種類があって、香りや甘み、うまみがひそんでいる。スパイスの香りにはレイヤーがあり、食べる前、口にいれた時、食べている時、食べ終わった後、それぞれ違うタイミングで香りが広がる。米、豆、雑穀を駆使した主食もいろいろ。インドの食を知れば知るほど、その豊かさに圧倒されてしまう。

 20数年にわたる怒濤のインド料理攻めで、ぼくの味覚は少しずつチューニングされていった。みなと同じものを食べ、これおいしいね! といえる時間が増えていけばいくほど、街はぐっと立体感を増し、より親密に人と付き合えるようになった。


 17歳のころ、生まれてはじめてインド人の友だちの家に泊まった日のことは忘れられない。その家のお母さんは料理上手で、家族もみな食いしん坊だった。ヒマラヤ山脈のようにうず高く盛られた飯に、つぎつぎに注がれる色とりどりのおかずたち。曼荼羅のようになった皿を前に、

 「たくさんおかずがあるけれど、どれをどの順番で食べたらいいの?」

と聞くぼくに、お母さんは笑って答えた。

 「あなたのお皿はあなたの宇宙よ。順番なんてない。
好きに混ぜ、食べなさい。人生を楽しみなさい」

 皿のなかの自由。なんて美しいことばだろう。ぼくは感激し、ガツガツと夢中で食べた。

その姿に喜んだお母さんは「遠慮しないで」「もう一口どうぞ」とつぎつぎおかわりを盛ってくれる。いくら断っても、笑顔のまま、その手は止まることをしらない。はち切れんばかりの腹を抱えて、ぼくはテルグ語で叫んだ。

「ほんとうにお腹いっぱい!」


 あの日から16年。「お腹いっぱい」という台詞だけは、いろんなインドの地方言語で言えるようになったが、それでもやっぱり食べ過ぎてしまう。「おかわりを断る自由」を得るには、もう少し修行が要りそうだ。

だって、インドだもん。

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矢萩多聞(やはぎ・たもん)

1980年横浜生まれ。9歳のとき、はじめてネパールを訪れてから、毎年インド・ネパールを旅する。中学1年生で学校に行くのを辞め、ペンによる細密画を描きはじめる。1995年から、南インドと日本を半年ごとに往復し、日本帰国時に、銀座、横浜などで個展を開催する。

2000年、日印コミュニティサイト「Indo.to」をオープン。2002年、対談本『イン ド・まるごと多聞典』(春風社)を刊行。このころから、本の装丁の仕事をはじめる。バンガロールのアトリエをキープしつつ、2012年、事務所兼自宅を京都に移転。現在、インド/横浜/京都を行き来し、装丁、ペン画、エディトリアル・デザイン、イベント企画など多岐に渡って活動をくり広げている。

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