たもんのインドだもん

第6回 神様は長い髪がお好き(1)

2013.09.12更新

 ぼくはいまでこそ坊主頭だが、小さいころは髪をのばしていた。
 きっかけは覚えていない。小学2年生ごろからのばしはじめ、4年生の春には肩にかかるくらいになった。その後、学校に行かなくなって、ますますのび放題。後ろで束ねても腰につくほど長かった。

 インドではよく女の子に間違えられた。少なくとも90年代のインドの街中では、サドゥー(遊行者)を除いて、長髪の男などほとんど見かけなかった。
 公衆トイレに入れば何度も先客に飛び上がられた。カルカッタ空港のリタイアリングルームでは、パスポートまで見せて説明しているのに信じてもらえず、女性用ドミトリーに押しこめられた。
 民族的にウェーブがかった髪の女性が多いせいか、ストレートの黒髪は羨望の的になった。どこのシャンプーつかってるの? ヘアケアはどうやるの? と質問攻めにあい、少しでも気を許すと鼻歌混じりで三つ編みに結われてしまう。

 一方、男たちからは、
「いつティルパティに行くんだい?」
と言われるのが常だった。
 ティルパティは南インドにあるヒンドゥー教寺院。土着神バラジを祀るこの寺は、日本で有名なガンジス川など霞んでしまうほど大人気スポットで、インド中から多くの信徒を集めていた。
 ティルパティという言葉が出ると、それに続いて、かの寺にまつわる伝説的なエピソードをみな語りたがる。
「バラジの御利益は絶大なんだ。願かけすればかならず叶う」
「ティルパティはバチカンについで、世界で二番目に寄付金を集めている寺だ」
「どんなに遠くても熱心な巡礼者はすべて徒歩で寺を目指すもんだ」
 金持ちでも貧しくても、信者たちは惜しげもなく財産をご本尊に寄進する。なかでも髪の毛を捧げるのは最上の功徳だ。
 誰もがぼくの髪を触りながら、こんな長い毛を捧げたら、どんな願いごとも思うがままだ、と喉を鳴らした。

 それから数年後。21歳のとき、兄夫婦が子どもを授かったときいて、ぼくは意を決してティルパティ詣でに行くことにした。赤ん坊の安産健康祈願、というのは表向きの理由で、内心はこの面倒くさい長髪をやめるいい機会だと思っていた。
 インド、長髪、絵描きの三点セットは多くの日本人にとってど真ん中なアーティスト像。まず「個性的」と見られるのは避けられない。口を開く前から、そんなレッテルをはられることに飽き飽きしていたぼくは、自分の姿を出来るだけシンプルにしたかった。
 ぼくはずっと髪を切るきっかけを待っていたのだ。

 さっそく熱烈なバラジ信者の友だちに相談すると、車で連れて行ってくれることになった。
 しかし、彼は浮かない顔だ。
「いまは、ちょうどお祭シーズンの真っ最中だから、一年でいちばん巡礼者が多いんだ。かなりの覚悟がいるぞ」
 参拝の行列に並ぶと数十時間は当たり前、ピーク時には本堂まで6日はかかる。みな寝具や鍋釜持参して並ぶというから気合いの入り方が半端じゃない。
 ぼくは言うまでもなく半端な巡礼者だ。そんな大変ならばまた別の機会にしようか...と早々にあきらめかけたが、友人の友人に、寺に長く勤める職員がいるから相談してみよう、ということになってしまった。もう後にはひけない。

 バンガロールから北東に250km、ガタガタの国道を車で走り、乾いた岩山をいくつも超え、カーステレオからエンドレスで流れるヒンドゥー賛歌が耳タコになったころ、ようやくティルパティに着いた。

 まずは門前町に住む、寺職員さんの家を訪ねる。
 軽く挨拶して、友人がバンガロールで買ってきたお土産の包みをさっと渡す。中は舶来の高級ウイスキー。渋い顔だったおじさんは、包みの中身をちらりと覗くやたちまち満面の笑みになった。地獄の沙汰もなんとやら。酒が自由に買えるバンガロールとは違い、この辺りでお酒はおおっぴらには買えない贅沢品なんだろう。寺の職員への贈り物がアルコールって、どうかと思うが、まあ、ご本人が喜んでいるのだからヨシとしよう。
「はるばる日本からきた君のために、VIPルートを用意しよう。私にまかせなさい。2時間でご本尊に辿り着けるよ!」
と寺職員さん。
「2時間だって! それは早い! 奇跡的なショートカットだ!」
と同行の友だちが喜んでいる。
 その時、ぼくにはイマイチそのありがたみが分からなかったが、いまとなっては、この素敵な贈り物がなかったらどうなったことだろう、とゾッとする。
 門前町からさらに登った山の上には、ぼくの想像をはるかに上回る超御利益主義ヒンドゥー・ワールドが待ちうけていたのだ。

〈つづく〉

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矢萩多聞(やはぎ・たもん)

1980年横浜生まれ。9歳のとき、はじめてネパールを訪れてから、毎年インド・ネパールを旅する。中学1年生で学校に行くのを辞め、ペンによる細密画を描きはじめる。1995年から、南インドと日本を半年ごとに往復し、日本帰国時に、銀座、横浜などで個展を開催する。

2000年、日印コミュニティサイト「Indo.to」をオープン。2002年、対談本『イン ド・まるごと多聞典』(春風社)を刊行。このころから、本の装丁の仕事をはじめる。バンガロールのアトリエをキープしつつ、2012年、事務所兼自宅を京都に移転。現在、インド/横浜/京都を行き来し、装丁、ペン画、エディトリアル・デザイン、イベント企画など多岐に渡って活動をくり広げている。

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