たもんのインドだもん

第8回 音楽はまわる

2013.10.10更新

 インドは音楽に満ちている。
 朝夕に寺のスピーカーから流れるヒンドゥー賛歌。昼寝中のタクシーからもれてくるカーステレオ。バスの窓から切れ切れに飛んでくるフィルムソング。祭の日、明け方まで演じられる歌舞劇。停電の夜、暇つぶしにはじまるのど自慢。広場でガラクタを叩いて歌う大道芸人。記憶する風景のなにもかもに美しい音が刻みこまれている。
 インドの音楽を聞けば、インドで暮らしていた頃の身体感覚にチューニングがあう。誰かのつぶやき、町の匂い、木々のざわめき。目の端を通り過ぎていった細部が音に触れありありと蘇ってくる。

 90年代。十代のぼくは、町のカセットテープ屋さんに入り浸っていた。
 当時インドではまだCDは高く、プレイヤーも普及していなかった。
 田舎町に音楽専門店は少なく、掘立小屋の煙草屋や本屋の一角に流行りの映画音楽のテープを並べて売っていた。レモンソーダを売る手押し屋台にテープを満載して、町から町へ渡り歩く、怪しい商売もあった。
 たまにCDを置いている店を見つけて買おうすると、CDではなく、自家製ダビングテープが差し出された。CDは貴重なマスター音源。欲しくても、法外な値段を呑むか、その店の常連にならないと手にすることができなかった。
「何かいい曲ある?」
 インド音楽についてなにも知らないぼくは、ヤマ勘でジャケ買いをするか、彼らのリコメンドに従うほかなかった。
 フィルムソングは、映画狂の若い友人からお薦めを教えてもらった。寺から素敵な旋律が聞こえてきたときは、寺に飛びこんで坊さんに曲名を聞いた。
 そうしてぼくは、新旧の作曲家や歌手、楽器の名前や、音楽のジャンルを知り、めくるめくインド音楽の海に溺れていった。

 00年代、ショッピングモールの流行とともに、巨大なフロアに充実の在庫を揃えた大型CDショップがどんどんできた。
 ジャンルごとに店員がいて、話し相手にはことかかない。勉強熱心で若いのに古い音楽もよく知っていて、ぼくの知らないミュージシャンをたくさん教えてくれた。
 カフェ併設の店もあり、ランキングの棚や、試聴コーナーはTシャツとジーンズ姿の若者たちで賑わっていた。地方発のレーベルや、インディペンデントな音楽雑誌なども次々誕生し、新しい時代の幕開けを感じさせた。
 パソコンやオーディオの普及とともに、家庭でCDを楽しむ層はぐっと増えた。価格は1枚100~300円。テープと変わらないほど安くなった。下町の路地にはMP3や海賊盤CDRを売る店が軒を連ねた。
 カセットテープは売り場から追いやられ、地味な宗教音楽や、古典音楽、民謡の類を売るていど。いつの間にか姿を消した。

 ところが、2012年、しばらくぶりにインドを訪れると、CDショップの様子が変わっていた。
 CDがまったく売れないという。品揃えが悪くなり、歯抜けの棚にはTシャツやアクセサリーが置かれている。店員たちはぐっと減らされ、照明やエアコンは省エネ。シャッターを下ろしていないだけで、死んだも同然だった。
 慌てて市中の店を回ったが、すでに閉店した店もあり、どこも惨憺たる状態だった。
 「みんなどこでCDを買うの?」
 と友人たちに尋ねると、
 「そう言えば、もう何年もCDショップに行っていないなぁ」
 音楽はネットか携帯で聞くそうだ。
 なじみのスクリーン印刷工場や、近所の刺繍工房にも行ってみた。一日地道に単純作業を続けている職人たちにはテープやラジオといった安価な音楽メディアが不可欠だ。
 だが、もはやそこも様変わりしていた。古めかしいアンプとスピーカーの末端には、小さな携帯電話がつなげられていた。LEDの弱々しい光とともに、作業場にはカンナダ映画の安っぽい音楽が鳴り響いていた。
 コピーに次ぐコピーで音楽が口コミ的に広まっていったカセット時代と基本的には何も変わっていないのだろう。YouTubeやFacebookが、音楽通の友だちやショップ店員にとって変わっただけともいえる。
 でも、なんだろう、このぽっかりと胸にあいた喪失感は。
 ぼくは音楽そのものよりも、音楽のまわりを取り囲む空間や人びとが好きだった。そういう体験を通して音楽と触れてきたんだ、とその時はじめて気がついた。
 パソコンや携帯端末から世界中の音楽が簡単に取り出せても、そこにいたるまでの物語がない。それはずいぶん貧しい世界のように思えた。

 打ちひしがれたぼくは、いくあてもなく街をうろつき、いつの間にかショッピングモールに足を踏み入れていた。
 モールには本屋とCDショップが一体化した、ちょうど日本のTSUTAYAみたいなサイズの書店がある。けっして品揃えはよくない。目的外の本には出会えそうもない。帰ろうと踵を返したそのとき、レジ近くのコーナーにぼくは釘付けになった。
 そこにはレコードのジャケットがずらりと並んでいた。映画音楽も古典音楽もそろっていた。
 馬鹿でかいLPジャケットはかさばって、何十枚も持ち帰れない。なにより値段が高く、CDの5~6倍はする。Blu-rayソフトが買えてしまうくらいだ。自ずと狙いを定めて買わなくちゃならない。財布と相談しながら、じっくりレコードを選んだ。
 家に帰って開封し、プレイヤーにのせ、針を落とし、音楽を流しながら、ジャケットを壁に並べる。A面B面の切り替えが面倒くさく、懐かしい。ノイズの向こうにインドの空気さえ感じる。データにはないモノ感に、自然と顔がにんまりする。
 データで音楽を聞くのが普通になればなるほど、インド社会にもきっとその揺り戻しがくるはずだ。小金持ちはレコードを好んで聞くようになり、数年後には古いカセットを集めだすかもしれない。

 ヒンドゥーにはユガという時代のとらえ方がある。西暦とはまったく別の尺度で、43万年をひとつの時代とし、4つの時代がひと巡りするとまた最初の時代に戻る。
 現代はカリ・ユガ(暗黒時代)だが、途方もない時間の後に、再びドワーパラ・ユガ(黄金時代)がやってくると信じられている。
 時代は繰り返される。レコード、カセット、CD、データと、音楽メディアも輪廻する、とすれば...。

 とりあえず来るべきカセット新世代のために、横浜の実家に埋蔵されている大量のインド音楽テープを掘り出してみよう。中学生の時みたいにマイベストを作って友だちにあげるのもいい。お楽しみはこれからだ。
 だって、インドだもん。

お便りはこちら

みんなのミシマガジンはサポーターの皆さんと運営しております。

矢萩多聞(やはぎ・たもん)

1980年横浜生まれ。9歳のとき、はじめてネパールを訪れてから、毎年インド・ネパールを旅する。中学1年生で学校に行くのを辞め、ペンによる細密画を描きはじめる。1995年から、南インドと日本を半年ごとに往復し、日本帰国時に、銀座、横浜などで個展を開催する。

2000年、日印コミュニティサイト「Indo.to」をオープン。2002年、対談本『イン ド・まるごと多聞典』(春風社)を刊行。このころから、本の装丁の仕事をはじめる。バンガロールのアトリエをキープしつつ、2012年、事務所兼自宅を京都に移転。現在、インド/横浜/京都を行き来し、装丁、ペン画、エディトリアル・デザイン、イベント企画など多岐に渡って活動をくり広げている。

Tamonolog

バックナンバー