たもんのインドだもん

第13回 停電の夜に

2014.03.13更新

 ゴロツキたちをばったばったとなぎ倒し、砂埃にまみれた主人公が列車の屋根を走っていく。
「これをみろ!」
 人質のヒロインが悪の親玉に羽交い締めにされる。立ち止まる主人公、こめかみに汗が流れる。助けられるかどうか。音楽とともに高鳴る鼓動。・・・と突然、スピーカーの音がゆがみ、スクリーンがブラックアウト。天井の扇風機も鈍い音を立てて減速する。よりにもよって、こんな手に汗握るシーンで停電なんて!
 「つづきを見せろ!」とヤジが飛ぶ。指笛を吹いたり、言葉にならない怒号をあげたりする人もいるが、大半の客は落ち着いたもので、隣の人とお喋りして再開を待っている。ぼくも物語の続きが気になって仕方ないが、みなに習って平常心を装い、気の抜けたスプライトをストローですすって待つ。暗く、なまあたたかい館内で、妙に懐かしい心持ちになっている。


 インドは停電が多い。

 バンガロールでは、80~90年代のように何日も電気が戻らないことは少なくなったが、数時間の停電はいまだに日常茶飯事だ。
 原因はさまざま。雨が少なく水力発電所が止まることもあれば、モンスーンの嵐で送電線が寸断されることもある。近所の電柱の中継器のショートや故障、電気工事ミスも考えられる。国際的な催しや、大きな政治集会がある前日は電力を蓄えるために電気を止めるらしい、という噂も耳にしたことがある。
 わが家では停電になったら仕事を中断せざるをえない。ノートPCのバッテリーが持つまでやることもできるが、仕事を仕上げてもデータを日本に送れないかもしれない。同じ町内にある地元プロバイダーや回線の中継地となっているビルが停電していたらネットはつかえないからだ。

 はじめの頃は、日本からの催促電話もかさなり、いつ復旧するのかイライラしたけれど、そのうち停電の時は休憩タイムだと思うことにした。焦らず、台所にいき、お茶でもいれ、お気に入りのロッキングチェアで本でも読む。ついウトウト眠ってしまい、目が覚めたら電気が戻ってた、なんてことも。
 日が暮れてから停電になったときは、懐中電灯を片手にゴソゴソとろうそくとマッチを探す。ようやく見つけて火をつけると数秒もしないで電気が戻る。なーんだと拍子抜けしてろうそくを吹き消した次の瞬間、また真っ暗に......とコントみたいなことも起きる。
 送電所に悪ガキが侵入して、スイッチを切ったり入れたり遊んでいるんじゃないかと思うほど細切れな日もあって、いちいち真面目に対応するのが馬鹿らしくなる。


 かつてニューヨークで大規模な停電があった。あの一件のあと、ニューヨーク市はインドに職員を派遣し、どのように停電に備えているのか視察したという。

 インドの都市のオフィスビル、ショッピングモールには小規模な発電+充電システムが設置されていて、停電になってもすぐ予備電源に切り替わる。スムーズで、停電になったことさえ気がつかないほどだ。
 ちょっといいマンションや個人の家でも、液晶テレビや大型冷蔵庫などの家電と同じような感覚でUPS(無停電電源装置)が一般化してきた。パソコン購入と一緒に小型のUPSをおつけします、安くしますよ、と家電店の店員がカタログを広げる。
 そんなに裕福な家でなくとも、充電式ランプやガス式ランタンなど予備の灯りは常備しているものだ。手回し発電機付きライトもよく見かける。
 エレベーターは昔ながらのアコーディオン型鉄格子のドアが多く、万が一停電で止まっても手動でドアを開けて脱出できる。エスカレーターは停電でなくとも利用客が少ないときはオフにしている。

 こうした小さな備えの積み重ねの上に、停電に強い都市はつくられる。そこで暮らす人のなかには「停電になってもなんとかなる」という、ふかぶかした余裕があるように見える。気持ちで電灯がつくわけではないが、停電だからお茶にしよっか、とさらっと言える友人をかっこいいなぁ、と思う。


 南インド西海岸の漁村にホームステイしているときのことだ。
 友人一家は村の小学校を運営していて、その日の晩は、翌朝のお祭りで子どもたちに配る菓子を家族総出で袋詰めしていた。ぼくも手を油と砂糖でベタベタにしながら手伝っていると、前触れもなく停電になった。まわりは畑ばかり、もちろん街灯もない。上も下もわからないほど、周囲はまったりとした闇。外は虫の声しか聞こえない。

 お手伝いさんが手探りで奥の部屋にいき、ゴロンゴロンとガス式のランタンを持ってくる。手早くマッチをすり、明かりを灯す。暗闇にみんなの笑顔がぼんやり浮かぶ。
 やさしい薄明かりのなか、一家のお母さんがおもむろに歌い出した。
 民謡歌手でもある彼女の歌声は石造りの居間によく響く。
 叔父さんが椅子を叩いて合いの手を入れる。一曲終わるとまた一曲。お父さん、息子や娘、手伝いのおばちゃんもくわわって、のど自慢大会がはじまってしまう。
 民謡、ヒンドゥー賛歌、映画の歌、なんでもござれ。菓子の袋詰めも忘れ、やんややんやの手拍子だ。

 さあ、次は日本の歌を! とぼくにリクエストがとんでくる。最初は断るが、みんなのノセ上手と薄暗さも手伝って、童謡をいくつか歌う。日本の歌を気に入ったお母さんが真似をして歌いはじめる。さすが。いま聞いたばかりなのに、とってもうまい。
 夢のような夜がふけていく。畑と椰子の林を通り抜け、なまあたたかい風が歌声をどこかへ運ぶ。牛蛙もグェーと合いの手をいれてくる。

 どのくらいたったろう。前触れもなく、ふいに電気が戻ってきたとき、みんなの口から思わず、あーあ、とため息が漏れた。にわかのど自慢大会はおひらき。もっと停電が続けばいいのに、と思ったのはぼくだけじゃないようだった。


 インドは電力不足を理由に、今後40基を超える原発の建設を予定している。日本政府はインドに原発を売りたい一心でセールスに躍起だ。これには国内外から反発の声があがっているが、日本ではあまり報じられない。
 インドの場合、単純な電力不足ではなく、インフラの不備で多くの電力が送電中に失われている、という調査結果もある。太陽光発電への政府の助成も盛んで、大規模な太陽光、風力発電のプラントも各地に新設されている。次世代エネルギーを研究する学者も少なくなく、なかには牛糞から発生するメタンガスで電気をつくる研究施設もあるそうだ。

 そもそも、インド人は施設や建物の保守管理が不得意だ。過去にインドの原発では、使用済燃料の一部を普通のゴミ箱に捨てる、発電所に不満を持つ作業員がトリチウムを飲料水に入れる、所内の壁を塗るペンキを重水で溶く、というわけのわからない事故も起きている。なにかと人の手がかかる原発はさっさと諦めてもらって、もっとおおらかに扱える発電所が増えるといいな、と思う。

 エネルギーのことはインドから学べ。いつかインドのギラつく太陽からつくられた電気が日本に輸入される日も来るかもしれない。

 だって、インドだもん。

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矢萩多聞(やはぎ・たもん)

1980年横浜生まれ。9歳のとき、はじめてネパールを訪れてから、毎年インド・ネパールを旅する。中学1年生で学校に行くのを辞め、ペンによる細密画を描きはじめる。1995年から、南インドと日本を半年ごとに往復し、日本帰国時に、銀座、横浜などで個展を開催する。

2000年、日印コミュニティサイト「Indo.to」をオープン。2002年、対談本『イン ド・まるごと多聞典』(春風社)を刊行。このころから、本の装丁の仕事をはじめる。バンガロールのアトリエをキープしつつ、2012年、事務所兼自宅を京都に移転。現在、インド/横浜/京都を行き来し、装丁、ペン画、エディトリアル・デザイン、イベント企画など多岐に渡って活動をくり広げている。

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