たもんのインドだもん

第14回 路上のチトラカーラ

2014.04.17更新

インドだもん

「タッカリー! タッカリー!」

 高らかな売り声が、まだ色の薄い空に響きわたる。
 赤々と熟れたトマトを満載し、リヤカーをひいてゆく男。アルミの壺を頭にのせ、自家製ヨーグルトを売り歩くおばちゃん。八百屋はガラガラ声をはりあげて、ハーブや菜っ葉に水をかけている。行き交う車のクラクションがBGM。煙草屋の角には男どもがたむろし、新聞片手に一服。町は朝からにぎやかだ。

 昼間になると、様子が変わってくる。
 地べたにボロ布をひいて、埃だらけの古道具にしか見えない時計や電卓を売る男。映画スターやファンシーな子犬のポスターを並べるおやじ。小鳥を手懐けて占いをするじいさんもいる。
 どれものんびりした商いで、売る気があるのかないのかわからない。そんな路上の商人たちを冷やかして歩くのは楽しい。

 昔ながらの映画館が立ち並ぶ旧市街。銀幕スターの看板に見とれながら歩いていると、通りなかばで、人だかりにぶつかった。
 人垣の隙間から覗いてみると、大小色とりどりの紙片が見える。どうやらステッカー屋のようだ。象や孔雀、ヒンドゥーの神さまなどおなじみのモチーフが並んでいるが、自分の名前を伝えればオリジナルステッカーも注文できる。
 学生たちがキャッキャッと声をあげ列をつくっているので、話しかけると、クリケットのバットや、愛車のバイクに貼るのだという。
 そういえば町ではステッカーをゴテゴテ貼り付けた車やバイクをよく見かける。神さまや自分の名前を貼れば、厄を除け福を招く。金太郎飴な工業製品も自分流にカスタマイズできるわけだ。
 たとえば、オートリクシャーに貼られた文字や絵柄を見れば、ドライバーの宗教はもちろん、出身地までわかることもある。

 売り子はおじさん二人組。ちゃんと役割が分担されている。
 痩せたおじさんはお客の名前を聞き文字を書く担当、太っちょおじさんはシールシートをハサミで切る。
 太おじさんは英語を話せず、文字の読み書きさえ怪しい。裸の大将のような風貌だが、ハサミさばきは見事。痩せおじさんが文字の形を伝えると、下書きもなしに美しいロゴタイプをざくざく切り出していく。別の色と組み合わせエンボス風にしたり、文字の一部につた模様を絡ませたりと自由自在だ。
 普段ぼくらがモニタ上でチョコチョコとつくっているものなど子どもだましに思えるほど、文字が生き物のように目の前に立ち上がってくる。

 美しい手作業にひきこまれ、じっと横で見ていると、変な客が気になるのか、痩せおじさんがポツポツ質問してくる。

「どこの国から来たんだ?」
「日本だよ」
「そうかそうか。そりゃ遠くだ。バスで着いたのか?」
「いや、飛行機だよ」
「学生か?」
「いや、働いてるよ」
「エンジニアか?」
 いや......と言いかけて、あえてカンナダ語の単語で答えてみる。
「ぼくはチトラカーラなんだ」
 チトラカーラは直訳すると画家だが、もう少し広い意味もあり、アーティストとも訳される。
「そうか! チトラカーラか!」
 太おじさんがニカッと笑う。
「俺たちと同じだ」
 痩せおじさんが目を輝かす。

 ぼくはアーティストという言葉があまり好きじゃなくて、普段はアーティストなどと名のることはない。だけど、彼の言葉は素直に嬉しかった。
「あなたたちの素晴らしい仕事に比べたら、ぼくなんか赤ん坊みたいなものです」
 とぼくがいうと、痩せおじさんは笑って答える。
「なんのなんの、チトラカーラに悪いやつはいない。私たちはただ美しいものが好きなだけなんだから」

 彼らは若いとき、カルナータカ州の貧しい農村から都会に出てきたそうだ。
 痩せおじさんはなんとか大学を卒業したが、職がなかった。太おじさんは学校にも行けず読み書きもできず、やはり職につけなかった。
 同郷の二人は、ふとしたキッカケでこの商売をはじめた。お互いの得意分野を生かせるこの仕事はうまいくいった。数十ルピーしか儲からない日もある。何百ルピーも儲かる日もある。生活は楽じゃないが、なんとか食っていける。
「それに俺たちはチトラカーラだ。美しいものをつくる人間を、神さまは見捨てないだろう」
 ビルの間から路地に差しこむ光に細かい砂埃が舞っているのが見える。耳障りだった街の騒音もいまは聞こえない。あったかい空気がじんわりする。
 なんて幸福な午後だろう。

 誇り高き路上のチトラカーラに出会えた記念に、ぼくは自分の名前のステッカーを注文することにした。
「なんて名前だい?」
「多聞だよ。英語のスペルでいうとT、A、M、O、N」
「わかった。ちょっと待ってくれ」
 痩せおじさんがメモの切れ端にボールペンを走らせる。太おじさんはそれをみるなり、迷うことなくハサミを動かす。まるで最初からそこにあったかのように、丸っこいカンナダ文字が一文字一文字切り出され、つながってゆく。

 ところが、三文字ほど進んでから、どうも綴りがおかしいことに気がついた。いくらカンナダ語が未熟でも、ぼくだって自分の名のスペルぐらいは分かる。
「これ、間違ってませんか?」
 ぼくの指摘で、痩せおじさんは太おじさんの手を掴み、ハサミを止める。シールをよくよく指さし確認、二人で一文字ずつ声にだして確かめる。
「うん、間違ってない。いわれた通り、T.モハンだ」
 誰? モハンってどこのインド人? まさかのまさか、TAMONが、いつのまにかT.MOHANになってしまっていたようだ。
 途中、念押しで英語のスペルを伝えたのが混乱の元だったのかもしれない。
「アイヨー。タモンか。・・・まあ、大丈夫、大丈夫」
 太おじさんが切り取ったあとのシールくずを、足下からかき集めて張り合わせている。文字から母音記号をとったり動かしたり切り貼りして、あっという間にT.MOHANがTAMONに修正される。ぼくはきょとんとするばかり。
「まいどあり! 間違えたから、10ルピーまけとくよ」
 二人のおじさんはカラカラ笑う。あまりにも豪快すぎて、一緒に笑うしかない。お金をはらってお礼をいうと、おもむろに屋台からチャーイが運ばれてくる。
「これでも飲みなさい」
 とおじさん。チャーイは、喉にぴりっとくるくらい甘かった。

 まあ、いっか。だって、インドだもん。

お便りはこちら

みんなのミシマガジンはサポーターの皆さんと運営しております。

矢萩多聞(やはぎ・たもん)

1980年横浜生まれ。9歳のとき、はじめてネパールを訪れてから、毎年インド・ネパールを旅する。中学1年生で学校に行くのを辞め、ペンによる細密画を描きはじめる。1995年から、南インドと日本を半年ごとに往復し、日本帰国時に、銀座、横浜などで個展を開催する。

2000年、日印コミュニティサイト「Indo.to」をオープン。2002年、対談本『イン ド・まるごと多聞典』(春風社)を刊行。このころから、本の装丁の仕事をはじめる。バンガロールのアトリエをキープしつつ、2012年、事務所兼自宅を京都に移転。現在、インド/横浜/京都を行き来し、装丁、ペン画、エディトリアル・デザイン、イベント企画など多岐に渡って活動をくり広げている。

Tamonolog

バックナンバー