たもんのインドだもん

第17回 トイレさえあればいい

2014.08.14更新

 はじめての町。ガイドブックやネットで目星をつけておいた宿にたどり着く。
 うす暗いカウンターで宿泊料金を確認。ネットやカタログに載っているのは修正バリバリのお見合い写真なので、まずは実際の部屋を見せてもらう。

 ジャジャラと鍵を鳴らし、ベルボーイが重たいドアをあける。
 テレビや扇風機を点けてみせられたりもするが、ぼくは最初にバスルームに直行する。トイレのチェックは案外重要で、たとえ五つ星ホテルだとしても、チェックインの後に、水が流れない、便座が壊れている、シャワーを使うとバスルームの外が水浸しになる(!)など水回りのトラブルが発覚することがある。

 逆に多少粗末なホテルでも、トイレ、バスルームがちゃんとしているところは他の面でも清潔を保っているし、お客への気遣いがあるように思える。ホテルの格や宿泊料にかかわらず、トイレがいいホテルは居心地もいい。


 昔、バンガロールで家探しをしたとき、友人のタクシードライバー、ナラヤナ氏が運転手をかってでてくれた。
 彼は物件をみるたびに必ずトイレを確認し、用もないのにジャーッと水を流した。
 「水の流れが弱い家はやめたほうがいい」
 彼にとって、日当たりや風通し、あるいは部屋の清潔さよりも、トイレの水の勢いの方が大切だったのだ。

 その後、ナラヤナ家に遊びにいったとき、トイレを借りてたまげた。
 コトをすませて鎖をひっぱると、鉄砲水のような勢いで水が流れた。排水が便器から飛びはね、床が水浸しになりそうなほどだ。
 「さすがあなたの家のトイレは流れがすごいね」
 と誉めると、ナラヤナ氏は小さな口ひげの先をくるんとひねって、
「そうだろう」
 と誇らしげな顔をみせた。


 インドはトイレットペーパーではなく、水でトイレの始末をする文化圏だ。
 便器の形は和式洋式いろいろあれど、腰をおろした横には小さな蛇口とバケツ、手桶が備え付けられている。

 コトをすませ、桶で水をとり、ぴゃっぴゃっと尻を洗う。気持ちいい。慣れるとウォシュレットより的確。気候も乾燥しているのですぐ乾く。

 近ごろは、都市部を中心にトイレットペーパーを使う人も増えているが、やはり水のフレッシュ感は紙のそれとは比べものにならない。紙が用意されつつ、ちゃんとお尻用のシャワーも付いていハイブリッドなトイレもある。


 インド一料理が辛いといわれるアーンドラ・プラデーシュ州に暮らしていたとき。
 食堂や友人の家で唐辛子がわっさり入った激辛料理に出くわすと憂鬱になった。
 ビロウな話で申し訳ないが、INPUTよりもOUTPUTが問題なのだ。舌で味わう辛さはまだ耐えられる。だが、肛門で味わう辛さのほうは耐え難いものがある。
 多くは語るまい。辛いものを食べた翌日は、水のありがたみが身にしみた。

 よく考えてみれば、トイレにいつでも自由につかえる水がある、というのはとても理にかなっている。床が汚れていても、水を流せば清められる。足元は水浸しになるが、乾いてしまえばスッキリぴかぴかだ。

 もちろん、都市には無計画な先人たちの遺物で足の踏み場もないヒドイ公衆便所や、ど田舎には石板と穴ぼこだけ! という潔い便所もある。
 それでも、ぼくは幸運なことに、一般家庭でトイレを借りて、ここでは無理・・・という経験がない。

 むしろ、この習慣に馴染んでしまえば、水があったらどこでも用が足せる、という大きな気持ちになる。
 田舎のほうでは、野糞も珍しくない。河原はちょっとしたトイレゾーン。
 草木の間にいろんな動物の糞が落ちていて、ハエやフンコロガシが忙しそうに働いている。
 水の少ない地域では小さなため池もトイレになる。河と違って池は流れていかないから、ウンコが溜まっていくだけじゃん! と思うが、当人たちはあまり気にしていないようだ。


 農村の朝。ごつごつの岩山の向こうから、空が明るくなるとともに、池には村人たちがわらわらと集まり、老いも若きも男も女も、すっと腰をおろす。

 池のほとりにぺろんとお尻を出して横一列。新聞読んだり、煙草を吸ったり、井戸端会議のおしゃべりに花を咲かす。みな子どものころからこうしてきたのだろう。なんとも穏やかな風景だ。日本の銭湯が裸の付き合いならば、インドは連れ糞の付き合いか。
 そう、そこに水辺さえあればいい。

 だって、インドだもん。

お便りはこちら

みんなのミシマガジンはサポーターの皆さんと運営しております。

矢萩多聞(やはぎ・たもん)

1980年横浜生まれ。9歳のとき、はじめてネパールを訪れてから、毎年インド・ネパールを旅する。中学1年生で学校に行くのを辞め、ペンによる細密画を描きはじめる。1995年から、南インドと日本を半年ごとに往復し、日本帰国時に、銀座、横浜などで個展を開催する。

2000年、日印コミュニティサイト「Indo.to」をオープン。2002年、対談本『イン ド・まるごと多聞典』(春風社)を刊行。このころから、本の装丁の仕事をはじめる。バンガロールのアトリエをキープしつつ、2012年、事務所兼自宅を京都に移転。現在、インド/横浜/京都を行き来し、装丁、ペン画、エディトリアル・デザイン、イベント企画など多岐に渡って活動をくり広げている。

Tamonolog

バックナンバー