たもんのインドだもん

第18回 空から降ってきたものは?

2014.09.26更新


 スーパーで買い物を終え、手さげ袋をぶらぶら帰路につく。
 路地から路地へ、この14年間何度も行き来したおなじみの道。日差しは強いが、乾いた風が気持ちがいい。ちょうど昼どき。食堂の前で、おいしそうなミールス(定食)の匂いが漂ってきて、猛烈にお腹がすいてくる。
 お昼はなにをつくろうか、どこかの店でビリヤーニー(炊きこみご飯)をテイクアウトするのもいいな......なんて考えながら歩いていると、突然、頭の上に看板が落ちてきた。

 あまりの衝撃に頭をおさえ、しゃがみこむ。血は出ていないか、あちこち触って確かめる。人が集まってきて、あっという間にとり囲まれる。
 目の前には巨大な看板がごろんと横たわっている。まさか、これが落ちて来た? なにが起きたのか理解できない。呼吸を整え、少しだけ記憶を巻き戻してみる。


 食堂を横目でやりすごし、バーの前にさしかかったときだ。びゅうと強めの突風がふいた。
 その風に煽られて軒先に張ってある日除けの布が、真上からフワリと落ちてきた......ように見えた。だが、それは日除けでも、布でもなく、バーの入口の上に掲げられていた、幅4m、高さ2mはある巨大な看板だった。
 表面は塩化ビニール製で少し柔らかいが、フレーム部分はごつい鉄製。中に蛍光灯が入っていて、夜になるとBar & Restaurantのサインが浮かびあがる。インド全国どこでもみかけるチープな看板だ。

 それが落ちてきたとき、ぼくは頭の先でプラスチック板のようなふにゃっと柔らかい感触を感じ、最初は頭と身体で支えてみようと思った。しかし、一瞬で重みに耐えきれなくなって、押しつぶされるようにして軒先に逃げた。ほんの2秒ほどの出来事だが、すべてが滑らかなスローモーションで見えていた。

 人が集まって騒ぎになると、ようやくバーからハゲた店主が出てきた。彼はぼくをちらっと見たが、特段悪びれもせず、大声で若い衆を呼びつけ、店の横に看板を片づけさせた。大人3人でようやく持ち上がるほどのデカ物だ。

 近所のおっちゃんが「大丈夫?」と話しかけてくる。
「ほんと危なかった。あと数歩早くても遅くても、看板の鉄枠に当たって死んでいたな」
 おっちゃんは、ギラリと光る看板の角を指差してから、首の前でチョップのかたちにした手のひらを横一文字に引いて、舌をベロンと出した。万国共通のジェスチャーだ。

 屋根に看板を固定していた支柱は飴細工のようにひしゃげていた。経年劣化した看板が風に煽られた拍子にもげ落ちたのだろう。劣化した看板は珍しくもないが、よりにもよって今日ぼくにピンポイントで落ちてくるとは......。


 家に帰ってしばらくしたら、首が重たく、じんじんと痛くなってきた。ベッドに横になる。ひどい肩こりと、ムチウチがいっぺんに来たみたい。病院に行ったほうがいいか? でも、歩くのもしんどい。

 スーパーに行く前に薬局で、筋肉痛・関節痛用のハーブクリームを買っていたことを思い出す。焦って袋から取り出して首筋に塗ってみる。
 過剰なメンソール成分とスパイシーなハーブが強烈。ひりひりしすぎで、首の痛みも忘れられそうだ。


 数年前。バンガロール市内で行き先の違うバスに乗ってしまい、動き出したバスの車内から外に飛び降りたことがあった。
 映画ではよく見るシーンだが、ぼくはスターのように華麗に着地できず、無惨にも地面にたたきつけられた。道路の縁石で頭を打ち、頭は裂け、血は服を染めたが、通りすがりの子どもが近くの病院に連れて行ってくれた。
 たどり着いたのは州政府の無料病院。炎天下、たらたらと血を流したまま2時間ほど列に並んで、麻酔なしでザクザクと何針か縫われた。

 抜糸のとき、不安になって信頼のおける病院でMRIを撮ってもらった。「異常なし」の結果に心底ほっとしたが、次につづくドクターの言葉には凍りついた。
「ほんとうに打ちどころがよかった! つい先週同じように道路の縁石に頭を打った人が運ばれてきたけど、その人は下半身不随になっちゃったよ」


 たまたまで生きている。
 それはインドにいても、日本にいても同じこと。けれど、インドの暮らしでは、よりそのことを考えさせられる。
 長距離バスで郊外の国道を走っていると、路肩にバスやトラックがよく横転している。見慣れた光景だが、自分が乗っているバスと同じ型の車だと、さすがにヒヤッとする。転がるバスと転がらないバスの違いは、見た目ではほとんどわからない。
 近所の燃料店ではガス爆発が発生したし、郵便局の前でおもむろに炎上した車も見た。新聞には連日火事や爆弾テロで丸焦げになった人の写真がデカデカと載っている。

 バンガロールに住んでいた友人は20数年で12回以上も交通事故にあったそうだ。彼はオートリクシャーで横転するというスタントマンばりの事故も経験しているが、かすり傷ほどで生還した。
 べつの友人は深夜、見通しのいい道路でひき逃げされ、血まみれのまま何時間も放置、生死の境をさまよった。あと10分発見が遅れていたら助からなかった。

 そういうことが身の回りでちょくちょく起こる。
 大きな事故も、小さなミスも、一瞬一瞬のささいな選択肢を通り抜け、起こるべくして起きている。良いことも悪いこともごったまぜ。複雑に絡まった縦横の糸と糸の間を、祈りながら、忘れながら、危なっかしく歩くほかない。


 翌日、目が覚めると首や肩の調子は良くなっていた。ハーブクリームが効いたのだろう。頭痛もなく、ご飯もおいしく食べられる。
 昨日のバーはどうなっているだろう。気になって外に出てみる。

 ぼくは目を疑った。
 なんと看板はまるで何事もなかったように、屋根の上に登っていたのだ。
 なにかと仕事の遅いインドで、こんな早く直るなんてありえない!
 絶対に裏がある。ぼくは言葉通り店の裏側に回ってみて、ぎょっとした。 看板は掲げられているものの、折れた支柱はそのまま。子どもの工作みたいに針金でぐるぐる巻きにして、無理矢理固定してあるだけだった。
 これじゃ、またすぐに落ちるだろ! と、ツッコミをいれているのはぼくだけで、道行く人は誰も気にとめていない。

 だって、インドだもん。

お便りはこちら

みんなのミシマガジンはサポーターの皆さんと運営しております。

矢萩多聞(やはぎ・たもん)

1980年横浜生まれ。9歳のとき、はじめてネパールを訪れてから、毎年インド・ネパールを旅する。中学1年生で学校に行くのを辞め、ペンによる細密画を描きはじめる。1995年から、南インドと日本を半年ごとに往復し、日本帰国時に、銀座、横浜などで個展を開催する。

2000年、日印コミュニティサイト「Indo.to」をオープン。2002年、対談本『イン ド・まるごと多聞典』(春風社)を刊行。このころから、本の装丁の仕事をはじめる。バンガロールのアトリエをキープしつつ、2012年、事務所兼自宅を京都に移転。現在、インド/横浜/京都を行き来し、装丁、ペン画、エディトリアル・デザイン、イベント企画など多岐に渡って活動をくり広げている。

Tamonolog

バックナンバー