たもんのインドだもん

第21回 信じるものは救われる?

2015.01.22更新



 日本のお正月が好きだ。駅伝や映画を観ながら、コタツでぬくぬく。おせちをつまみ、ちびちび酒を飲む。至福。こんなあたり前のことが、インドにいたときにはできなかった。
 南インドの1月は、朝晩肌寒い日もあるが、日中はカラッと晴れTシャツですごせる。どうにも正月気分になれない。
 年末こそカウントダウン・パーティーでバカ騒ぎする若者もいるが、元旦以降は賑やぐことも、ごちそうを食べることもなく、淡々とカレンダーが切り替わるだけ。
 インドの祭の多くは陰暦で決められていて、旧正月にあたる祭の日取りややり方は州や地方ごとに違い、それぞれ盛大に祝われている。いまさら太陽暦の正月だからといって、初々しい気分になったり、しっとり正月ムードを味わう必要もないのだろう。

 今年は京都に移ってきて二回目の正月。外国人の友人をわが家に招いた。
 エストニア出身の彼らにとって、日本のおせちは初体験。ぼくは重箱を指さし、得意になって料理にこめられた意味を説明する。昆布は喜んぶ、煮豆はマメに暮らすよう、数の子は子沢山、海老は腰が曲がるまで......と、話しているうちにはたと気がつく。
 これってダジャレばかりじゃないか。
 おせちに限らず日本の神社仏閣には語呂合わせ、言葉遊びが多い。
 なんだかんだ言って、日本人ってダジャレ好きだよね~、とみんなで笑う。

 子どもの頃、よく家族で行った横浜のインド料理屋のことをよく覚えている。
 その店の店長はなかなか強烈なキャラクターで、口を開けばダジャレばかり言っていた。
「はい、おまたせしました~。東京ドームだヨ!」
と玉子カレーの皿をテーブルにドンと置く。なんのことかわからずキョトンとしていると
「ワカル? あのね、この玉子カレーはビッグエッグよ」
(東京ドームが完成して間もない当時、ビッグエッグの愛称で呼ばれていた)
 彼はニタニタ顔で解説するが、幼いぼくはポカーンとするほかない。いきすぎたダジャレは謎かけや禅問答のようだ。

 近頃は、マシンガンのようにダジャレを連発させるインドの友人たちを見ていると、これはもはや信仰と同じじゃないかしら、と思う。バラバラの言葉を重ねて符号させるダジャレのように、暮らしのなかの細々した事象からささやかな符号を見つける。
 それが信仰というだとしたら、とても腑に落ちる。
 日本では招き猫として奉られるネコも、インドでは不吉なイメージ。通り道にネコが横切るのは縁起の悪いサインになる。
 首飾りや鼻緒が切れると、日本人は不吉のサインと感じるが、インド人は切れたものが災難を肩代わりしてくれたのだと考える。
 レモンと唐辛子は魔除けとして玄関先に吊され、邪気を吸い取ると信じられている。
 地鎮祭のときは、神聖なる牛の五つの液(牛乳、バター、ヨーグルト、牛糞、牛尿)を混ぜたものを聖水として身体にかけ、口にする。

 ヒンドゥーでは、ひとつの神様に何十、何百という名前が用意されているから、別の言葉をあてこみやすい。
 イスラム神秘主義では、アッラーや聖者たちの物語を語りながら、男女の恋愛の切なさや激しさを歌う。
 ポップスからクラシックまで、音楽の歌詞は韻を踏み、語呂合わせ、比喩や隠喩のオンパレード。言葉は重ねてなんぼ。ストレートな言葉を単に並べたものは無粋の極み。そんなものは歌にする必要がない、と言う人さえいる。
 ちょっとした言葉のかけあわせひとつで天にも昇る気持ちになり、ときにはそこに神を見、人知を超えたいのちのつながりすら感じてしまう。そして、いとも簡単に不快になり、地獄の底にも突き落とされる。
 そんな小さなおまじないや民間信仰がインドには満ちている。信仰なき生活は、ミルクのはいってないチャーイみたいに味気ない。

 ダジャレと信仰は不可侵だ。
 ダジャレづくしで構成されたおせちを見た外国人が、迷信じゃん、と一蹴することはできない。これは逆の立場でも同じ。日本人だってほかの国や移民の人たちに対して、その信仰のあり方をとやかく言えない。
 ぼくらにできることは、その違いを楽しみ、うまいこと言ったね~と、一緒に笑い、楽しむだけだ。どんな奇妙に見える迷信も、自分たちの暮らしを豊かに彩るために先人たちが生み出した知恵の結晶なのだから。


 数年前、南インドのとある田舎町で自分たちの結婚式をやったときのこと。
 無事滞りなく式も終わり、明けて翌日。夕方には飛行機で州都バンガロールに帰る予定だった。
 だが、ぼくらは寝坊した上、のんびりと昼食を食べ、別れ惜しい友人たちと話しこみ、すっかり出遅れてしまった。
 空港までは2時間半はかかる。さらに途中で友人宅に預けていた荷物もピックアップしないといけない。間に合うか、かなりきわどいラインだ。
 慌てて車を飛ばすが、今日に限って道路が混んでいる。空港に電話して、チェックインは間に合わないけど、なんとか待ってもらうように頼みこむ。
「思いっきり飛ばすから、みんなベルトをして、しっかりつかまっとけ!」
 ハンドルを握る友だちが叫ぶ。
 映画のカーチェイスさながら、車は対向車線に何度も躍り出て、他の車のわずかな隙間をかいくぐって進む。嫌な汗がじっとりにじんでくる。

 空港近くの山道にさしかかったあたりで、助手席に座っているTさんがもぞもぞしはじめた。足元を押さえているので、
「どうしたの? もしかして鼻緒でも切れました?」
と冗談混じりに聞くと、
「なんでわかったんですか!? 式の翌日だから言わないようにしていたのに......」
と震えた声で答える。
 それを聞いたSちゃんが
「実はわたしも昨日の夜、山道を車で走って大事故にあう夢をみてな......」
と話しはじめる。きっとなにかの偶然だよね、ハハハ...と笑ったものの、自分でも声が乾いているのがわかる。
 車中の空気はひたすら重い。エンジン音とクラクションだけが渦巻き、車が曲がるたびに身体が左右に引っ張られる。誰も一言も喋らない。

 そんなとき、横の車線をトヨタの4WD車がびゅんと追い越していった。
 ボーッとその車の行き先を目で追っていると、後部座席の窓から子どもの手がにょきっと出た。手にはでんでん太鼓が握られて、一心不乱に振り鳴らされている。
 猛烈にイヤな予感がして、Tさんの顔を覗き見ると、彼も前の車をじっとみつめている。
「......あれってダムルだよね」
 ぼくがつぶやくと、Tさんがもう我慢できない、という様子で後を振り返る。
「多聞さん、不吉すぎますよ。間に合わなくてもいいからゆっくり行きましょう!」
「ぼくもそう思ってた。もう急ぐのはやめよう」

 二人の会話に、インド歴の浅い妻とSちゃんはナンのこと? とキョトンとしている。
 ぼくは説明した。ダムルは破壊神シヴァがもっている太鼓。でんでん太鼓のような両面太鼓で左右に回して音を鳴らす。この世に破壊や死がもたされるとき、シヴァ神がダムルを打ち鳴らし、破壊と創造のダンスを踊っている。ヒンドゥーでは、そう信じられている。
 鼻緒、悪夢、死の太鼓......あまりにも不吉な要素が目の前にありすぎる。運転をしている友だちにそのことを伝えて、ムチャな運転をやめてもらう。
「たぶん偶然だと思うけど、君がそういうなら安全第一でいこう」
 迷信など信じない若い友人は釈然としない面持ち。
 だが、彼も少しは気が動転したのだろう。地元だと言うのに、途中で何度も道を間違え、さらに時間をロスしてしまった。

 ようやく空港にたどり着き、車から降りると、ぼくらが乗るはずだった飛行機が爆音とともに東の空に飛び立っていくのが見えた。
 あー、いっちゃった......。
 チケットを無駄にしたのは痛かったが、命が一番大事、これも思い出だよ、と開き直るほかなかった。

 だが、ちょうど一週間後、ぼくらはもう一度恐怖を味わう。
 あの空港で飛行機事故が起きたのだ。ドバイからやってきたインディアン航空機は着陸に失敗。滑走路をオーバーランし、柵を越えて谷に激突。何百人もの乗客が帰らぬ人となり、政治家や有名人たちが追悼メッセージを発表し、ここ数年で最大の飛行機事故だと新聞やテレビが騒ぎたてた。
 あのとき、もう少し早く空港に向かっていて、飛行機に乗っていたら......もちろん、ぼくらの乗るはずだった飛行機は何事もなくバンガロールにたどり着いたが......そうならなかった筋書きもあったのか、と思うとぞっとした。
 真実はどうであれ、ぼくはあの夕暮れの国道で鳴らされつづけたでんでん太鼓が忘れられない。ぼくにとって、あれはシヴァの死の太鼓ダムルにしか見えなかった。
 臆病と言われても、迷信と笑われてもいい。

 だって、インドだもん。

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矢萩多聞(やはぎ・たもん)

1980年横浜生まれ。9歳のとき、はじめてネパールを訪れてから、毎年インド・ネパールを旅する。中学1年生で学校に行くのを辞め、ペンによる細密画を描きはじめる。1995年から、南インドと日本を半年ごとに往復し、日本帰国時に、銀座、横浜などで個展を開催する。

2000年、日印コミュニティサイト「Indo.to」をオープン。2002年、対談本『イン ド・まるごと多聞典』(春風社)を刊行。このころから、本の装丁の仕事をはじめる。バンガロールのアトリエをキープしつつ、2012年、事務所兼自宅を京都に移転。現在、インド/横浜/京都を行き来し、装丁、ペン画、エディトリアル・デザイン、イベント企画など多岐に渡って活動をくり広げている。

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