たもんのインドだもん

第23回 インドでの家探し(後編)

2015.05.14更新

 インドではよい家より、よい大家と出会うほうが難しい。
 友だちに聞いても、引っ越し理由の大半は大家とのトラブルだ。住宅に不具合があっても直さないくせに、家賃の値上げはいやに強気。出て行こうとしても、家賃10カ月分の敷金は、退去時にすんなりとは返してもらえない。家賃と相殺できるのはいいほうで、揉めに揉めて押し切られるケースがほとんどだという。
 その点、ぼくらはラッキーだった。敷金なし。家賃の値上げも14年間で一度きりだった。
よい大家さえ見つかれば、家に多少の問題があっても何とかなる。そんなふうにさえ思っていた。

 しかし、今回の家探しで、ぼくはよい大家どころか、よい不動産屋さえも見つけられなかった。
 初日に訪れた不動産屋が紹介したのは、いずれもとんでも物件ばかり。
 前回書いた物件につづいて紹介されたのは、急な来客でも安心の「10ベッドルームの家」、部屋の壁がオレンジ・紫・蛍光イエローで塗り分けられた「アーティスティックな家」。
 あきれて二日目は別の店に鞍替えしたが、これまた不思議物件だった。
 リビングは広いのに、ど真ん中にドーンと四角い祈祷部屋が陣取っている「信心深い家」、部屋は悪くないがバルコニーに鳩よけがなく、窓をあけたらヒッチコック映画みたいになりそうな「鳥の家」......。
「中国人お断り」「デザイナーなんて怪しい人間には貸せん」と年寄りの大家に門前払いをくらった物件もあった。

 帰国日は刻一刻と迫っている。焦ったぼくはネットで検索し、不動産紹介サイトにたどりついた。
 地域、家賃、間取りなどの条件やキーワードを入力すれば、データベースに登録された物件がずらりとリストアップされる。つくりは日本の不動産サイトにも似ているが、登録者はさまざま。プロの不動産屋もいれば、持ち家を貸したい個人の大家もいる。気になる物件があれば連絡をとり、その先は自己責任でどうぞ、という感じだ。
 少しスリリングではあるが、もしかしてリアル店舗では見つからない掘り出し物があるかも!? 淡い期待を胸に、気になったものに片っ端からメールを送る。

 翌朝、ぼくの携帯には見知らぬ人からのメールや着信が山のように届いていた。
「残念ながらご希望の家は借り手が決まってしまいました。かわりにこちらはいかがでしょう」
 メールにはいくつかの情報が添付されているが、どれも家賃は高く悪条件。内覧する気も起きない。
 これは、ウェブには安くて好条件の物件を並べて客を釣り、別の不良物件を送りつける手練れのブローカーではないか。
 個人の場合は電話の連絡が多い。
「問い合わせありがとう。私はいくつもアパートを持っているんだけど、あなたの問い合わせてくれた物件はどれかしら?」
 ぼくも複数の貸主に連絡しているものだから、名前と物件がすぐに結びつかない。
 彼女はコールセンターばりの早口英語で、十件ほどの物件を読み上げてくれたが、ぼくが探している条件のものはひとつもなかった。
 丁重にお断りするが、彼女はめげずに食い下がってくる。
「環状道路沿いにいいアパートがあるんだけど」
 一般人でこんなにたくさんのアパートを持っているってどういうことだろう。
 たしかに2000年をすぎたあたりから、お金のある人たちは「とりあえず」という感じで郊外に土地やアパートを買い漁っていた。
 近ごろは不動産ブームも落ち着き、物価や生活費も上昇。以前より売買のうまみはなくなった。買い手がいない空き部屋を寝かしておくなら、賃貸でもいいから動かしておきたいのだろう。
 その後も、電話は次々とかかってきて、貸主たちとの連絡は煩雑をきわめたが、このサイトを通じてよい物件に巡り会うことはなかった。

 滞在はあとわずか。妥協して、あの気が狂いそうなアーティスティックな家にするか...そう思いかけた矢先、また携帯が鳴った。通話ボタンを押すと、元気なおばちゃんの声が笑いとともに響き漏れてくる。
「インドに帰ってきてるって聞いたわよ。うちにはいつ来るの?」
 彼らは近所に住む初老の夫婦で、バンガロール滞在時にはいつも家族でお宅を訪れ、ご飯をごちそうになる間柄だ。旅とおしゃべりが大好き。裏表がなく、ざっくばらんに付き合える、気のいいインドのおばちゃん、おっちゃんである。
 会いたいのは山々だけど、新居が決まらなくてどこにも行けないんだよ、とぼくがこぼすと、
「家を探してるの? うちの裏のアパートが空いているわよ」
 アメリカへ行った娘夫婦がつい数カ月前まで住んでいた家だそうだ。
「少し高いけど、とてもいい部屋よ。大家とも知り合いだから聞いてあげる」
 これまでの迷走が嘘みたいに話はとんとん拍子に進んだ。
 いまの家から車で10分、隣町にあるこぢんまりとしたアパートメント。少し大きな間取りだったが、静かで風通しがよく、部屋の造りもしっかりしている。台所は広く、バルコニーもあって、気持ちがいい。
 大家はおばちゃんの古くからの友だちの息子で、建築会社を営むお金持ち。人柄も穏やかそうで好印象だ。アパートは彼の実家跡に建っていて、ほかの住人はみな親族だという。バルコニーに出ると路地を挟んだ向こうに、おばちゃんの家も見える。これはいろいろと安心だ。いままで見たどこよりも条件がよい。ぼくは母と相談して、この家を借りることに決めた。

 新居が決まったので、いまの家の大家夫婦に報告する。
 二人は息子たちの突然の申し出でぼくらに迷惑をかけたことを詫びて、何か困ったことがあれば手伝うよ、と言ってくれた。
 彼らは家のことで息子夫婦と日々喧嘩がたえず、ついに旦那さんは心労から体調を崩し、入院してしまったという。
「これ以上、親子で争うのは嫌だから私たちも家を出ようと思って......」
 その目には涙がうっすら浮かんでいた。
 息子夫婦はぼくらを追い出すだけではあきたらず、実の両親までも追い出しにかかった。インド映画でもなかなか見かけないすごい展開に呆然とする。
 お節介焼きの母は、息子たちに追い出されるなんてかわいそうだから、新居の一室に彼らを住まわせてあげようと言い出した。
 元大家さんがぼくらの家に住んで、ぼくらが大家になる? それは話が相当ややこしくなる。母の思いつきには、いくらなんでもと反対した。
 結局、彼らは近所に小さな家を借りて、夫婦二人で慎ましく暮らしているという。

 突然降ってわいた引っ越し騒動だったが、振り返ってみればなんとドラマチックな出来事だっただろう。契約の日、新居の大家ヴィマルさんのオフィスで、改めて彼と名刺交換をして、ぼくは思わず声をあげた。
「ナラヤナ!」
 それまで気がつかなかったが、彼のフルネームはヴィマル・ナラヤナだった。
 ぼくはナラヤナという名前の人と縁がある。
 1995年、インドに住み始めた時、一番親切にしてくれた近所のドクターはナラヤナさんだった。
 1999年、バンガロールで14年間住んだいまの家を紹介してくれたのはタクシー運転手のナラヤナさんだった。
 現地NGOでぼくと妻との出会いをとりもってくれた親友はラルー・ナラヤナ。
 そして、いま、目の前に立っている新たな大家にもまたナラヤナの名前が付いている。
 ナラヤナはヒンドゥー教の維持・継続の神ヴィシュヌの別名。世が乱れる時、人びとを助けるために、仮の姿に化けて現れる慈悲深い神さまである。
 インドの暮らしのなかで「ナラヤナさん」はいつも重要な鍵を持ってぼくの前に登場する。

 終わりよければすべてよし。いくらジタバタしてもダメな時はダメ。住むべき家は向こうからやってきて、驚くほどすんなり決まる。
 不動産業者でもウェブでもなく、道はいつも隣人とナラヤナさんによって開かれる。ぼくはいつも牛飼いナラヤナの後を行くだけだ。

 だって、インドだもん。

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矢萩多聞(やはぎ・たもん)

1980年横浜生まれ。9歳のとき、はじめてネパールを訪れてから、毎年インド・ネパールを旅する。中学1年生で学校に行くのを辞め、ペンによる細密画を描きはじめる。1995年から、南インドと日本を半年ごとに往復し、日本帰国時に、銀座、横浜などで個展を開催する。

2000年、日印コミュニティサイト「Indo.to」をオープン。2002年、対談本『イン ド・まるごと多聞典』(春風社)を刊行。このころから、本の装丁の仕事をはじめる。バンガロールのアトリエをキープしつつ、2012年、事務所兼自宅を京都に移転。現在、インド/横浜/京都を行き来し、装丁、ペン画、エディトリアル・デザイン、イベント企画など多岐に渡って活動をくり広げている。

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