たもんのインドだもん

第24回 世界で一番歌が好き

2015.06.17更新


 「うちでご飯を食べない?」

 友人の家に招かれた夜のこと。

 奥さんの手料理をたらふくいただき、家族の写真アルバムを見て、日本への質問タイムもつつがなく終わり、まったりしていると、おもむろに家族の誰かが歌いはじめる。

 往年のフィルムソングや、ヒンドゥー賛歌、土地の民謡が次つぎ飛び出す。流行りの欧米ポップスを歌う若者たち。食事の間は始終入れ歯をフガフガさせていたおじいちゃんが思わぬ美声を響かせる。調子にのったお父さんによる、映画スターのものまねメドレー。使用人のおばちゃんが素朴に歌う民謡にホロリとしたり。

 みんな歌いたくてしょうがない。歌が歌を呼び、居間はやんややんやの大盛り上がりだ。
 歌が家族をひとまわりすると、みんなの視線がぼくにあつまる。

 「さあ、次は君の番だ」

 「日本の歌をうたってよ!」

 この流れは、ぼくがはじめてネパールを訪れた9歳のときから、まったく変わらない。
 みなさんのように歌がうまくないから......と辞退するが、お母さんがガッチリと腕を掴んで逃さない。
 「子どもの歌でもいいのよ。聞いてみたいわ~」

 はしゃぐ次男坊が助け舟のつもりで、

 「なんなら、国歌でもいいから!」
 と口走る。

 自らの手で独立を勝ち取ったインド人にとって、国歌は特別な意味をもつ。国歌が流れればだれかが促さずとも起立して、みな高らかに歌い出すのだ。

 でも、さすがに南インドの一般家庭で「君が代」を歌うのはなあ......。そもそも、全部歌いきれるか、かなりビミョーだ。

 結局、お母さんの助言にしたがい童謡「ふるさと」に落ちつく。おずおずと歌い出すと、みな真剣な面持ちでじっと聞いている。緊張のあまり声がうわずるが、なんとか最後まで歌いきる。おなぐさみの拍手がぱちぱち。

 「美しい歌ね、よかったわ」

 お母さんがフォローしてくれる。歌う前の調子とはだいぶギャップのある雰囲気。どうやらすべったらしい。

 インド人が語気を強めずに「美しい」というのはたいがいイマイチだったとき。映像は悪くないけど、毒にも薬にもならないビミョーな映画をみたときに「美しい映画だったね。ま、コーヒーでも飲みに行こうか」といわれる。あれと一緒だ。

 はじめはいやで仕方なかったこの歌合戦タイムも、インド暮らしが長くなり、人付き合いが多くなるにつれて、楽しめるようになった。いくら拒んでもどうせ歌うはめになるのだから、最初から盛り上げよう、と開き直ったのだ。


 回数を重ねるにしたがって、インドの人にウケがいい曲と悪い曲の違いも見えてきた。
 J-POPや歌詞が複雑なものはダメ。童謡でも静かで日本的な情緒があるものはイマイチ。くり返されるリズミカルな節をもつ、シンプルでキャッチーな曲がウケる。童謡ならば「蛙の夜回り」「アイアイ」など。一度聞けばすぐ覚えてみんな歌える。
 

 そのうちぼくは、口琴や鼻笛などの飛び道具も懐に忍ばせるようになり、いつ一芸を求められても、手を変え品を変え、慌てることなく対応できるようになった。

 「すばらしい! 小学校の子どもたちに聞かせたい!」

 NGOをやっている友人の有無も言わさぬ勧めで、ついには現地の小学校でもこの素人芸を披露することになってしまった。

 学校の講堂で何百人という児童を前に楽器を奏で、童謡を歌い、日本語の歌を教える謎の日本人。演奏後、黒山の子どもたちに囲まれ、差し出されるノートにサインして回る。ぼくはインドでいったい何をやっているのだろう......。

 ちなみに妻は人前で歌うのが人一倍苦手だったが、ある頃から「南京玉すだれ」という必殺技を身につけた。

 いつも鞄の中に玉すだれを携帯して、あなたも一曲! となったらおもむろに取り出し、「あ、さて、さて~♪」とやりだす。

 弥勒菩薩や鯉のぼり、東京タワー...と歌とともに形をかえるすだれに拍手喝采。ぼくも一緒に歌い、みなで手拍子を合わせる。百発百中、むかうところ敵なしの大うけだ。

 
翌日、お礼の電話をすると「Hello?」ではなく、「さて~さて~」と嬉々とした声が返ってくる。
 
 「ほかのお土産はいらないから、今度インドに来るときは玉すだれを買ってきてほしい!」

 そんなリクエストが友人の口にのぼるようになって、ぼくは焦りを感じはじめた。


 インドはアジアの芸能の源流だ。歌もうまく、リズム感のよい彼らが玉すだれを手にしたら、きっとぼくらより盛り上げることができるだろう。各州言語にローカライズされた「天竺玉すだれ」なんて、ぼくだって見てみたい。でも、そうなるとこちらも新しい芸を探さないと......。

 あれ? なんだかおかしなことになってるぞ。あんなに苦手だったのに、すっかり巻きこまれ、いまじゃ自ら率先してネタを探している。

 だって、インドだもん。

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矢萩多聞(やはぎ・たもん)

1980年横浜生まれ。9歳のとき、はじめてネパールを訪れてから、毎年インド・ネパールを旅する。中学1年生で学校に行くのを辞め、ペンによる細密画を描きはじめる。1995年から、南インドと日本を半年ごとに往復し、日本帰国時に、銀座、横浜などで個展を開催する。

2000年、日印コミュニティサイト「Indo.to」をオープン。2002年、対談本『イン ド・まるごと多聞典』(春風社)を刊行。このころから、本の装丁の仕事をはじめる。バンガロールのアトリエをキープしつつ、2012年、事務所兼自宅を京都に移転。現在、インド/横浜/京都を行き来し、装丁、ペン画、エディトリアル・デザイン、イベント企画など多岐に渡って活動をくり広げている。

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