たもんのインドだもん

第25回 ブロークン・イングリッシュ

2015.11.02更新

第25回

「インド語を話せるんですか?」
 とよく聞かれる。インドにインド語というものはない。州や地方、民族によって異なる言葉が使われている。州言語だけでも22。細かい言語を数えていくと何百、何千にものぼる。
 バンガロールの州言語はカンナダ語。
 ぼくは日常の単語が少しわかるていどで、話せるとはいえない。

 街には他州出身者がひしめき暮らしている。英語で授業をすすめる学校も多い。中流層以上では会話が英語のみという家庭もザラにあり、都市での生活は英語だけで事足りる。
そう説明すると、
「じゃあ、英語ペラペラなんですね?」
と言われるがそれもちがう。
 ぼくは中学英語すら身についてないし、正しい文法も単語も知らない。それでもインドに暮らし、なんとか意志疎通ができている。


 インド暮らしもまだ日が浅いころ、あるカシミール人家族と友だちになった。
 当時紛争地帯だった北インドのシュリナガルから、南インドへ移住してきた彼らは、町で小さな土産物屋を営んでいた。母語はカシミール語だが、生活や商売のためにヒンディー語、英語、テルグ語などを操った。

 一家の長女はぼくより1、2歳若かった。美人の多いカシミール地方出身らしく、目鼻立ちくっきりぱっちりの美少女。外国人のぼくに興味を持ったのだろう、ショールの縁から瞳をキラキラと覗かせ、いろいろな質問を投げかけてくる。
 ぼくはお近づきになりたい一心で応えようとしたが、彼女の英語はふだんぼくの周りにいるおっちゃん、おばちゃんたちがしゃべる言葉とちょっと違った。慣れない英単語を聞き取れず何度も聞き返していたら、「もういいわ」とピシャリ、そっぽを向かれた。

 しょんぼり肩を落とすぼくに、彼女のお父さんが声をかける。
「おー、ともだーちよ」
 彼の英語は変なところで母音が伸びる。
「ジャパーンの話をきかせーておくーれ」
 イライラしてしまうほどスローテンポだが、慣れると耳に入りやすい。
 小さな白い帽子に、だぶだぶのクルターパジャマーという、イスラム教徒らしいいでたち。ベランダから岩山を眺め、チャーイをちびちび飲みながら穏やかに話をする。
 どんな言葉であろうと、自分の身体のやり方を保っている。それがうらやましかった。


  インドでは「I can't speak English」と自己申告する人が少ない。英語が喋れない人はのっけから母語でしゃべるし、唇を閉じてしゃべれないことをアピールしたりもする。「I can't..」なんて断り文句をいえる人は、多少間違っても気にせず、その人なりの英語をしゃべるものだ。

 もちろん、コールセンターやIT企業に勤める人たちの英語は美しく流暢だ。でも、英語を母国語としない人が、みな上手に英語を使いこなす必要はあるだろうか。
 時と場合にもよるけれど、デタラメでのんびりだからこそ、相手が注意深く聞いてくれることもある。他者を受け入れ、下手な自分をよしとする心の余裕。目指すのはこれじゃないか?
 そのことに気がついてから、ぼくは町で顔をあわせる人たちの言葉やしぐさの真似をするようになった。

 無愛想な郵便局のお姉さん、ふとっちょの床屋、強面の警官、ひょうきんな八百屋......一人ひとりになりきって話すうちに、モザイクタイルが絵をつくるように、ぼくのブロークン・イングリッシュはできあがっていった。

 ぼくのなかに蓄積された英単語には、いずれもこの目で観てきた風景や気持ちがとじこめられている。
「special」という言葉からは高級レストランでSpecial ice creamを食べ、お腹を壊した夜のことを思い浮かべる。
「No problem」はいつだってProblemだったし、「2 minutes」は10分は待たされる合図。「1st class」は友人宅の井戸水で挽き立てのコーヒーを淹れてもらった朝のこと。
「sweet」はおばちゃんたちが赤ん坊のほっぺたをつまむ指先。
「ready」は町の食堂の湯気、食器がこすれあう音。
「capitalism」はショッピングモールの吹き抜けをジグザグ登るエスカレーター。
「miss you」はインドから日本に届いたシワシワの手紙。
「actuality」は月夜の屋上でビールを傾け、はじまるうち明け話......。

 何かを話しているとき、ぼくは口蓋の裏側のあたりで、誰かを思い出している。彼らはいつもそこにいて、自信のないぼくの背中を大丈夫とやさしく押してくれる。


 京都で暮らしはじめ、三年が過ぎた。ずっとインドと関東で暮らしてきたぼくにとって、関西の言葉に囲まれる暮らしは新鮮だ。とはいえ、まだ自分で京都の言葉をしゃべるのは気恥ずかしい。

 一方、4歳の娘はすっかり言葉に馴染んでいる。幼稚園に通うようになって間もなく「ダメ」は「アカン」に、「イヤ」は「イヤや」になった。すべて幼稚園の友だちや先生の口真似だ。時どき、どこでそんな言葉を? と思うようなコテコテのフレーズが飛び出してびっくりする。
 そうか、ぼくもインドでこうして言葉を体得していったのだな。十代の自分を見つけたようで少し嬉しい。


 いま、この町から見える言葉の風景はどんなだろう。まずは友人たちの口真似をすることからはじめようか。しくじりを恐れてはいけない。
「おー、ともだーちよ」
 あの日のひと懐っこい笑顔を思い出しながら、ぼくは呼びかけよう。

 だって、インドだもん。

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矢萩多聞(やはぎ・たもん)

1980年横浜生まれ。9歳のとき、はじめてネパールを訪れてから、毎年インド・ネパールを旅する。中学1年生で学校に行くのを辞め、ペンによる細密画を描きはじめる。1995年から、南インドと日本を半年ごとに往復し、日本帰国時に、銀座、横浜などで個展を開催する。

2000年、日印コミュニティサイト「Indo.to」をオープン。2002年、対談本『イン ド・まるごと多聞典』(春風社)を刊行。このころから、本の装丁の仕事をはじめる。バンガロールのアトリエをキープしつつ、2012年、事務所兼自宅を京都に移転。現在、インド/横浜/京都を行き来し、装丁、ペン画、エディトリアル・デザイン、イベント企画など多岐に渡って活動をくり広げている。

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