セラピスト1年生

第2回 銀座という最高峰で

2010.01.13更新

 ホステスという仕事が好き、というと、驚かれる人も多いと思う。
 しかし、うちは小学3年生で両親が離婚したのち、母親がホステスとして女手一つで3人の子どもを育ててくれたので、その仕事は尊敬すべき対象なのだ。
 
 実際、中学生のころから母の勤めていたクラブのお客様に家族ともども食事に招待されたり(オジサンたちはみな優しかった!)、その店のクリスマスパーティチケット(通称「パー券」)を私と妹と弟の分まで購入してくれて、そこで初めてストリップなるものを見たりした良き思い出もある(音楽の鳴り終わる瞬間、バッと裸になるネーサンたちは本当にカッコよかった!)。
 大学に入ってすぐに酒を覚えたことも、クラブという場所に親密さを感じる理由となったのだろう。3年生になった私は一人暮らしをしたくて、母が以前勤めていた店で週4回アルバイトを始めた。

 これが私の「ホステスデビュー@歌舞伎町」だ。

 数ヶ月後に違う店に移ったら、そこには写真家のアラーキーがよく来ていて、彼に「カオル、お前写真集出さないか?」と口説かれたこともある(もちろん女とあらば誰でも口説かれる。裸に自信のなかった私は断ったけれど、いま思えば惜しかったかも!?)。
 しかも私が大学卒業後1年してから入った雑誌社の編集長が、同時期にアラーキーに連れられてその店に2回ほど行ったことがわかって、非常にビビった。さらに彼の写真集に半目で笑う自分の顔が掲載されているのを発見、ショックを受けた(キャプションにはご丁寧に大学名と香織という名前まであるし! ファーック!)。

「世間は狭い!」と実感したこんな出会いも。
 ある日、新規のお客様が来て、私はヘルプでその席についた。30分後、ママがやってきて、そのお客様に「××さん、って変わったお名前ね。ご出身はどちら?」と尋ねた。彼が「金沢です」と言うものだから、めちゃめちゃビックリ!
「えー! 実は私も金沢で生まれたんです。9歳までですけど」
「それは奇遇だね! 君は僕の娘くらいの年だろうから、お父さんと知り合いだったりしてね(笑)。名字はなんて言うの?」
「堀です」
「へえ、高校時代の友人に堀っていうのがいたなあ。お父さんの下の名前は?」
「マサヤスです」
「・・・もしかして君のお母さんって、お父さんと結婚する前、お芝居やってた?」
「え? やってましたけど!」

 って、マジで父親の友人ですし!!(笑)

 私はたまたまその時期に東京に単身赴任していた父親に電話をかけ、コトの成り行きを告げた。仕事を終えた父が店に駆けつけた。実に30年ぶりの再会、母をまじえてミニ同窓会が行われたのは、ちょっと面白い事件だった。

 と、話は大きく脱線してしまったが、私はクラブという場所が好きで、ホステスという仕事が好きだ。
 編集者としてさまざまな人に話を聞くようになってから、「ホステスと編集者はなんて似ている職業なんだろう!」と思ったこともある。普通の仕事では出会えないような多種多様な人と対面し、その相手に興味を抱いて話をとことん聞く、という意味において。
 だったらなぜホステスを一生の仕事にしないかというと、私の場合、ホステスはある目的のために働くという「期間限定」でないと働けないから。

 歌舞伎町では(一人暮らしのために)1年ほど働いた。出版社を辞めて語学留学資金を貯めるため、赤坂のはずれのクラブでも1年弱働いた。物価の高いロンドンで生活費が底をつき、(ロンドンで暮らしていくために)海外駐在者が通うクラブでも半年働いた。

 そんなわけで、歌舞伎町、赤坂、ロンドンと期間限定でホステス業をかじったわけだが、となれば、やはりクラブの最高峰の地「銀座」で働いてみたい、と思わないでもない(笑)。
 私は第1回に書いたビジョンを叶える方法として、銀座の一流クラブでとうぶん働いてみようと思ったのだった。

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堀香織(ほり・かおる)

1971年2月、石川県金沢市生まれ。M美大油絵学科を卒業後、某雑誌編集部のアルバイトから、編集者兼インタビュアー兼ライターに。専門は主に映画、音楽、文学。2000年6月に退社、01年10月〜03年10月までロンドン語学留学という名の遊学で日々を無為に過ごす。同年11月よりフリーランスライター/編集者として、雑誌やフリーペーパー、ウェブマガジンなどにインタビュー原稿などを執筆、単行本の構成もてがける。代表作にムック本『Cocco—Forget it, let it go』、平野遼水彩・素描集『疾走する哀しみ』など。趣味は散文書き、読書、家飲み。好きな言葉は「君の道を行け。他人には勝手なことを言わせておけ。――ダンテ『神曲』より」。

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