セラピスト1年生

第4回 何かを始めるのに遅すぎるということはない

2010.01.27更新

 「<相思相愛>かどうか?」というのは、わりと正しい道へと導いてくれる感覚だと思う。そういう自分の勘、嗅覚を信じることが、ときに最上の選択につながるのだ。(もちろん毎回成功というわけではないのだが。)
 「ホステスじゃない、アロマセラピーマッサージだ」とわかったその夜から、私はまたすぐに行動を開始した。

 実は「アロマセラピーマッサージ」は急に思い立ったわけではない。20代半ばからいつかこの世界で学びたいと思っていた。30歳で行ったロンドンも、語学留学で英語を習得したのちは、できたらアロマの勉強をしたいなと考えていた。(イギリスはアロマセラピーの本場なので。)
 でも当時のロンドンは物価が本当に高くて、貯めた300万円があっという間に底をついた。さらに生来の無精であまり英語を熱心に勉強しなかったこともあって、アロマセラピーにはたどりつくことなく帰国してしまった。

 1年半前、フリーライターとして生きていくことに不安を覚えていたころ、友人の紹介である占い師に見てもらった。彼女は私の現状や不安、悩みを聞いてから、こう言った。

「あなたの人生のテーマは"癒し"です。あなたは人を癒すことで、自分自身が癒される人なのです。相手の話を長く聞くことで成立するロングインタビューが好きなのも、愛と家族をテーマにした小説をいずれ書いてみたいと思うのも、アロマセラピーマッサージを学びたいのも、ホステスという仕事が好きなのも、つまりは同じことなのですよ。言ってしまえば、あなたはこの中の何を選んでもいいのです」
 
 これには目から鱗というよりも、「ああ、なるほど!」という感じで、腑に落ちた。
 もちろん占いごときに左右される人生ってなんだかな、と思う人もいるだろう。が、その昔、「女はすでに決めていることを保証してもらうために占いに行く。男は誰も相談する相手がいない緊急の場合に最後の手段として占いに行く」と言った友人がいて、まったくその通りだと思った。そうなのだ、女はもう、自ら知っているし、自ら決めているのだ!

 その直後は結局、大手出版社でのフリー編集者の道を選択したわけだが、1年ちょっとであっさりとその職を失うこととなり、さてお次は?と考えたとき、「あ、なんだ、いまアロマセラピーの世界に飛び込めばいいんだ」と思えたわけである。ま、単純といえば単純、行き当たりばったりと言えば相当行き当たりばったりではあるが。

 さて、何度も書いているが38歳(笑)、ホステスとは違って他業種からの転職がそう簡単にうまくいくとは思っていなかった。しかし、「やろう」と決めた人間を神様はわりと見捨てないものだ。
 2店舗ほどウェブの応募フォームで断られたのち、3店舗の面接が決まった。結果は3店舗とも採用。本当にありがたいことだと思う。

 特に、働くことを決めたBという会社は、面接を担当した女性自身が他業種からの転職者であり、3年半セラピストとしてがんばった結果、会社から人事/育成の部署で働かないかと打診され今に至る、という人だった。
 だから私の年齢にも、他業種からの転身にも眉をひそめず、話を1時間半じっと聞いてくれて、「本来だったら採用結果は後日のご連絡なのですが、ホリさん、絶対向いていると思うので、ぜひうちで働いてください」とその場で言ってくれた。私は久しぶりに"相思相愛"を感じ、とにかく彼女のいる会社で働いてみようと思った。
 もちろんすぐに稼げるわけではない。これから5週間にわたる研修でみっちりとマッサージのノウハウおよび接客を教わり、試験にパスしてからやっとの店舗デビューである。
 でも、新しいことを学ぶというだけでもワクワクするし、なにしろゲットしてしまえばいずれはライターの副業として成立し、また海外でも通用するスキルなのだ。

 友人に三橋淳というレーサーがいる。
 2007年、彼はダカールラリーの市販車無改造クラスで優勝した。もともとはバイクレーサーで、「本気でレースを始めたのが30歳、4輪に転向したのが33歳」だという。優勝祝賀パーティの最後の挨拶で、彼はこんなことを言った。

「30歳や33歳なんて、本来だったらある程度人生のプランや方向性が決まっていていい時期。そこで何か新しいことを始めたり、違うものに転向したりすることを心配した人もいたし、遅すぎると忠告してくれた人もいました。でも、人生はいつでも何かを始めるのに遅すぎることはないと思うんです」

 33歳でバイクから4輪に転向し、34歳のダカールで11位、35歳のダカールは残念ながらリタイア、そして36歳のダカールで無改造車部門の1位に。
 そんな彼の言う「リスタートはいつでも大丈夫」という言葉は力強く、重かった。むろん、努力と情熱なしにリスタートが成功することはないのだろうけれど。(ちなみに今年は部門優勝、総合17位。)

 彼ほどのチャレンジではなくても、たとえば20代後半になってから写真を学び、3年で食えるようになった友人や、50代になってから明治大学の文学部二部に通い、4年後に首席で卒業した自分の母などに接するたび、「何かを始めるのに遅すぎることはない」と心から思う。
 そう、周りの勇気が、チャレンジが、いつも自分の背中を押してくれるのだ。

(編集部より:先週、編集部のミスにより、今回の第4回を10:30から30分ほどアップしてしまいました。先週の第3回「相思相愛を探して」を読まれていない方は、ぜひこちらからお読みください。
http://www.mishimaga.com/therapist/003.html
筆者、読者の皆様にお詫び申し上げます)。

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堀香織(ほり・かおる)

1971年2月、石川県金沢市生まれ。M美大油絵学科を卒業後、某雑誌編集部のアルバイトから、編集者兼インタビュアー兼ライターに。専門は主に映画、音楽、文学。2000年6月に退社、01年10月〜03年10月までロンドン語学留学という名の遊学で日々を無為に過ごす。同年11月よりフリーランスライター/編集者として、雑誌やフリーペーパー、ウェブマガジンなどにインタビュー原稿などを執筆、単行本の構成もてがける。代表作にムック本『Cocco—Forget it, let it go』、平野遼水彩・素描集『疾走する哀しみ』など。趣味は散文書き、読書、家飲み。好きな言葉は「君の道を行け。他人には勝手なことを言わせておけ。――ダンテ『神曲』より」。

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