セラピスト1年生

第16回 抗争勃発

2010.06.16更新

 翌々日から店舗研修が始まる予定だったのだが、ここで残念なことが起きた。

 打ち上げを終えて帰宅した翌朝、体の節々が痛いなあと思ったら、発熱していた。
 久しぶりの38℃超え。疲労が溜まっていたのだろう。とりあえず一日寝ていれば大丈夫だろうと思いきや、夕方に、ボディケア研修で副班長をしていた大阪出身の男の子がインフルエンザと診断されたという連絡が入った。
 そして副班長とよくつるんでいた長崎出身の男性も、彼の感染の一報を受けて自発的に病院に行ってみると、インフルエンザだったという。
 可哀想なことに彼らはインフルエンザのまま宿泊所で寝ているわけにいかず、いったん実家に帰ることになった。

 当然、私も自分自身のインフルエンザを疑った。ボディケア研修の最後の3日間、私は彼らとよく組んでいたからだ。
 店舗研修当日の朝も熱はおさまらず、私は担当講師と連絡を取り合い、休んで病院に行くことにした。インフルエンザであれば、同期たちに移すわけにいかないので、今回の店舗研修を見送らねばならない。早くて1週間後、タイミングが悪ければ2週間後に参加となるであろう店舗研修には、つまり、同期が誰ひとりといないことになる。これは実に寂しいことだった。

 しかし、結果は風邪だった。講師に連絡すると「耐えられそうなら、マスクをして明日から来てください」と言われた。

 翌日の店舗研修2日目(私にとっては初日)。
 シフトは、9時30分入り―19時あがりと、11時入り―20時30分あがりとふたつに分かれる。私はこの日は後半のシフトで、11時15分前に到着すると、店はもうオープンしていた。
 私はバックヤードで「副班長なのに初日に休んでごめんなさい」とみんなに謝った。それからみんなの見よう見まねで動いてみた。

 店舗研修は、実際のお客様が来店する。価格は、研修生価格ということで、正規の半額だ。お客様の大半は、近所のオフィスで働く男性や女性で、あとは偶然通りかかってチラシを受け取った人、そして少ないが研修生の友人知人が来てくれる。

 私の最初のお客様は、ランチタイムを利用して来たという、女性ふたり組のうちのひとりだった。つまり時間は昼食を除いた30分しかない。その30分で、20分のリフレクソロジーを受けるというのだ。
 説明、着替えなどを5分で終え、リクライナーにご案内。座っていただいてから、彼女の正面の椅子に座って、いざ施術を始める。

 しかし当然ながら、研修生同士で練習しているのとはワケが違う。目の前にいるのはホンモノのお客様なのだ。半額とはいえ、20分で1000円もいただくのだ。それに値することを私はいま、しなくてはいけない。
 だが、そう思えば思うほど、緊張で気が遠くなる。私の手からは汗が噴き出し、リフレクソロジー専用のクリームが水溶性かと思うほどコシがなくなり、足の裏でつるつる滑ってしまって、反射区を的確に押すどころではなかった。
 彼女もインターンレベルにそんなに期待はしていなかったと思うが、やはりマスクをしたままのスタッフが、ひどく汗をかきながら、震える声でいろいろと説明して施術しているのは、リラックスなどという気分からほど遠かったに違いない。帰り際には同情的な目で「頑張ってくださいね」と声をかけられてしまった。私は彼女の後ろ姿を見送りながら、「本当に本当にごめんなさい!」と心の中で謝った。
(そして「最初のお客様は絶対に忘れない」というが、本当に忘れられないのだった。)

 そんな緊張に次ぐ緊張で時間が過ぎていった。自分のことで精一杯で、周りを見る余裕もなかった。
 しかし、昼食を終えて、午後に自分の知人がひとり来てくれて、そのおかげでだいぶ気持ちも落ち着くと、あることに気がついた。店内の雰囲気がものすごくぴりぴりしているのだ。もちろん慣れないことだらけでみんながそれぞれ緊張しているとは思う。でもそれだけではない。
 私は自分がこの店舗の副班長だということを思い出し、注意深くみんなの表情や動きを見ていった。
 理由はすぐにわかった。私と同じボディあがりと、リフレあがりが、まったく交わっていないのだ。用件だけは話すけれど、笑顔はないし、「頑張ろうね♪」みたいな互いを思いやる気持ちが見えてこない。
 それはひとつの店というよりは、ひとつの地場を争う二派の抗争みたいに見えた。

 20時30分、店が終わる。レジを閉め、店内の掃除・片付けをし、輪になって鬼軍曹からの叱咤を浴びる。
 そして研修所までの帰り道に、ボディあがりの同期から前夜にあったことを聞いた。
 それは、スギタさん、つまり班長による、2時間あまりの説教ミーティングだった。

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堀香織(ほり・かおる)

1971年2月、石川県金沢市生まれ。M美大油絵学科を卒業後、某雑誌編集部のアルバイトから、編集者兼インタビュアー兼ライターに。専門は主に映画、音楽、文学。2000年6月に退社、01年10月〜03年10月までロンドン語学留学という名の遊学で日々を無為に過ごす。同年11月よりフリーランスライター/編集者として、雑誌やフリーペーパー、ウェブマガジンなどにインタビュー原稿などを執筆、単行本の構成もてがける。代表作にムック本『Cocco—Forget it, let it go』、平野遼水彩・素描集『疾走する哀しみ』など。趣味は散文書き、読書、家飲み。好きな言葉は「君の道を行け。他人には勝手なことを言わせておけ。――ダンテ『神曲』より」。

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