セラピスト1年生

第21回 またの名を

2010.08.25更新

 ここまで来ると、当然店を辞めるという話になるわけだが、その前に時間を現在(2010年8月後半)に戻して、余談。

 私が業務委託契約を結んだこの会社には、セラピストのキャリアパスプランという制度がある。ランクには6段階あり、研修を受けたときは「インターン」、そこから順に「トレーナー」「セラピスト」「チーフセラピスト」「マスターセラピスト」「グランドマスターセラピスト」となるわけだ。あまり詳しくは書けないが、試験を受けてランクが上がれば、その分歩合も上がる仕組みとなっている。
 その中で唯一、試験ではなく3日の研修でパスできるのが、インターンからトレーナーへの道。フルタイム(月に23日)で働いていれば、早い人で3ヶ月、遅い人でも5ヶ月ほどである基準に達するので、希望者は自己申告し、東京でのトレーナー研修(通称「トレ研」)を受けに来る。
 補足だが、全国の店長はほとんどマスターかチーフのレベルにいる。グランドマスターに至っては、このキャリアパスプランができて何年になるかわからないが、噂では通算20人を切っているらしい。つまりグランドマスターになるのは、かなりの偉業なのである。が、私が店を辞める寸前に、勤めて7年の店長がこのグランドマスターに昇格した。本当にすごい人である。

 さて、先日、第18回「思い出すのはきっと」にも出てきた広島のワンちゃんが、トレ研を受けに東京にやってきた。
 これまでに「トレ研で東京に行きます」と連絡があった同期は、福井のユウコさん、大阪のキョウコさん、大阪のネコちゃん、北海道のシイちゃん。多くはトレ研翌日から勤務なので(ハードだ!)一度も逢えずに終わるのだが、大阪のキョウコさんだけは翌日休みをもらえて、トレ研3日目の夜に泊まりにきてくれた。
 ワンちゃんもキョウコさんと同じく休みをもらえたので、同じタイミングでトレ研を受けることになった秋田県出身のアリサちゃんと一緒に、うちに泊まりにくることになっていた。

 ふたりが「こんばんは〜」とやって来たのは、夜の0時も過ぎてから。横浜の中華街でトレ研終了打ち上げ会をしていて、遅くなったらしい。私はその日は朝から取材やらなんやらでぐったりと疲れており、ふたりにシャワーと布団の準備をしてから、早々に寝た。
 翌朝、私たちは近所の喫茶店のモーニングを食べに出かけた。そして、自分が行かずに終わったトレ研の内容を聞き、いまふたりが働いている店や思い出深いお客さんについて、また地獄の研修の思い出話などに花を咲かせた。
 
 アリサちゃんは事情があって現在、成田空港内の店舗で働いている。
 成田空港という場所柄、お客さんは「通り過ぎていく人々」である。搭乗前の時間を有効に使おうという日本人や、日本でのビジネス滞在や観光に疲れた外国人が最後の日本円を使いにやってくる。たいがいは「いまできますか?」と入ってくる人ばかりで、予約電話をかけてきたり、お得なメンバーズカードを作って通いつめたりするいわゆる「常連さん」は皆無に近い。
 でもときには予約電話もかかってくる。

 数週間前、アリサちゃんは予約電話を受けた。
 日本人からだったが、「行くのは私ではなく、外国人2名です。明日の×時から1時間ほど、2名とも個室で入れますか?」と言われたらしい。
 彼女が一部屋だったら予約できる旨を伝えると、「ではとりあえず1名を予約します」と、相手は外国人の名前を言った。そしてこう続けた。
「あのー、予約名はそうなんですが、実は違うんです」
「実は違う? どういう意味でございますか」
「えーとですねえ、いま映画のキャンペーンで来日中の俳優でして、でも本名で予約するといろいろと......。わかりますよね?」

 さすが空港、こんなこともあるわけだ。実際にアリサちゃんがその電話を受けた翌日、店の前でうろうろしている男性に声をかけられ「今日、×××、予約してないすか?」と訊いてきたという。たぶん週刊誌かスポーツ誌の記者だろう。

「で、本当にマッサージ受けにきたの?」
 私が訊くと、アリサちゃんが「いやー、来なかったんだよ」と言った。結局、当日に予約キャンセルの電話があったそうだ。
「でもね、うちの店じゃなくて他の店舗で1名分の個室の予約をしていて、そっちには本人じゃない外国人が来たんだって」
「へえ、マネージャーかな?」
「っていうか、SPらしい」と言ってアリサちゃんは笑った。ハハハ、SPがひとりでマッサージを優雅に受けてどうすんだ。その間に本人に何かあったら意味ないじゃん。

 アリサちゃんは「外国人の名前なんて普段ぜんぜん覚えられないけど、その人の偽名だと思うと可笑しくて覚えちゃったよー」と言って、その名前を教えてくれた。

 ジェイソン・イリザリー。またの名を、レオナルド・ディカプリオ。

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堀香織(ほり・かおる)

1971年2月、石川県金沢市生まれ。M美大油絵学科を卒業後、某雑誌編集部のアルバイトから、編集者兼インタビュアー兼ライターに。専門は主に映画、音楽、文学。2000年6月に退社、01年10月〜03年10月までロンドン語学留学という名の遊学で日々を無為に過ごす。同年11月よりフリーランスライター/編集者として、雑誌やフリーペーパー、ウェブマガジンなどにインタビュー原稿などを執筆、単行本の構成もてがける。代表作にムック本『Cocco—Forget it, let it go』、平野遼水彩・素描集『疾走する哀しみ』など。趣味は散文書き、読書、家飲み。好きな言葉は「君の道を行け。他人には勝手なことを言わせておけ。――ダンテ『神曲』より」。

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