セラピスト1年生

最終回 体を動かし、お金を払って覚えたこと。

2010.09.22更新

 あるとき、店長に「他の店に施術やマッサージを受けにいくと、とても勉強になりますよ」と言われた。
 実際には時間も金銭的な余裕もないので他店に行けるはずもなかったが、その言葉で、20代のころしょっちゅう映画や観劇に誘ってくれていた男友達が「ご飯はゴチソウするから、チケット代は自分で払え」と必ず言っていたことを思い出した。
 彼曰く、「映画や芝居は自分のお金で見なきゃ、自分のものにならない」。確かに雑誌社で映画評を書くようになって、たくさんの試写会に行けるようになったら、面白くなくても怒らない代わりに、素晴らしい映画を見たときの興奮は薄まった気がしていた。観劇には自腹を切る。これが彼から教わったことだ。

 村上春樹の「スプートニクの恋人」にも、ミュウのこんな台詞がある。
「どんなことでもそうだけれど、結局いちばん役に立つのは、自分の体を動かし、自分のお金を払って覚えたことね。本から得たできあいの知識じゃなくて」
 そう、まずは自分の体を動かすこと。そして自分のお金を払うこと。

 考えてみれば、私がセラピストにチャレンジしたのもそのひとつだった。まずは体を動かそう、つまりやってみようと思ったのだ。

 しかし、実に勝手ながら、私は研修を入れてたったの3カ月で行き詰まりを感じるようになった。1月半ばから耳鳴りとめまいに悩まされるようになった。病院に言ったが、何の原因も見当たらなかった。
 どんな「理由」であれ、突然辞めるのは社会人として無責任だとはわかっていた。でも、もう限界が来ていた。

 心を決めて、店長に自分の気持ちをうちあけたのが2月2日。
 彼女はじっくりと私の話を聞き、ときどき質問して私の水面下に潜む気持ちを引っ張りだした。そして「年下の人間でこういうことを言うのは僭越ですが」と前置きし、こう言った。
「ホリさんは自らを『こういう人間です』と自分を限定しているみたいで、それは結局世界が狭いし、成長がないと思う」
「ライターという仕事の何が魅力か? という問いに、書くことが純粋に楽しいという言葉が出たのは、私は悲しいです。仕事の意義は、個人の楽しみではなく、社会にどう貢献しているかという観点であってほしい」
 彼女の仕事に対する姿勢は素直に素晴らしいと思う。ただ、私はそういうふうには生きられないというだけだ。残念なことに。

 私は結局、2月末日で店を辞めた。
 辞める寸前に、同じく副業でロミロミマッサージを週末だけ行っている友人のブログを読んで、あることに気がついた。
 私はマッサージという技術を得て稼ぎたかったんじゃなく、人とエネルギーの交換をしたかったんだ、ということに。
 このように書くとかなり語弊があると思うので、少し説明をすると、技術を得て稼ぐことは素晴らしいことだと思う。でも私が本当の意味でしたかったのはたぶん、「マッサージという行為を通して、人の気と自分の気を交換しながらセッションする」ということだった。それが、私が友人をマッサージするたび、相手が癒されることによって自分も癒されていくあの感覚につながっているのだろう。
 そしてまた、マッサージとインタビューという行為は、そういうエネルギーの交換という意味において、とても近しい。

 セラピストとして銀座店で働けたことは、とても大きな財産になった。研修というものを受けたこと。若いスタッフと一緒に同じ屋根の下で働いたこと。サービス業の極みを勉強させていただいたこと。そして稚拙ながらも技術を手に入れたこと。
 今後はそれら財産をきちんと活かし、仕事や生活に役立てていきたいと思います。

 30代過ぎても、40歳過ぎても、人はいつでもチャレンジできます。私の38歳のチャレンジはこのようにちょっとお粗末な結果にはなったけれども、どうか自分自身の力を信じ、新しい技術やスキルや学びを手にしてください。
 読んでくださった皆さま、本当にありがとうございました。

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堀香織(ほり・かおる)

1971年2月、石川県金沢市生まれ。M美大油絵学科を卒業後、某雑誌編集部のアルバイトから、編集者兼インタビュアー兼ライターに。専門は主に映画、音楽、文学。2000年6月に退社、01年10月〜03年10月までロンドン語学留学という名の遊学で日々を無為に過ごす。同年11月よりフリーランスライター/編集者として、雑誌やフリーペーパー、ウェブマガジンなどにインタビュー原稿などを執筆、単行本の構成もてがける。代表作にムック本『Cocco—Forget it, let it go』、平野遼水彩・素描集『疾走する哀しみ』など。趣味は散文書き、読書、家飲み。好きな言葉は「君の道を行け。他人には勝手なことを言わせておけ。――ダンテ『神曲』より」。

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