となりの坊さん。

第3回 沈黙の語るもの(前編)

2010.08.06更新

 前回の「仏教ワークショップのような試み」は、いかがだったでしょうか? 口に出すのは簡単でも、意外と"地道に毎日"というのは本当に難しいものですね。しかし、栄福寺のウェブサイトにこんなメールが届きました。34歳、OLの「婚活まんじゅう」さんからのお便りです。

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 ミッセイさん、こんにちわ。四国も暑いでしょうか?
 さて、ミッセイさんがよくお話しになっている、「灌頂施」のことで、最近、実体験がありましたので、メールをさせていただきました。
 仕事仲間の女性が、退職することになりました。
 とてもステキな方で、信頼して一緒に力を合わせていろんなことを作り上げてきた仲間だったので、退職の知らせを聞いたとき、とても悲しく思いました。彼女なりに考えた末の決断だったはずですし、そうと決めたなら、これからの「新しい道」を応援しなければと思い、メールを送りました。
「まわりの人に、とっても気遣いのできる人柄が、ステキでした。これからも変わらずにいてね」と。
 あらゆる場面で、細やかに気を配る彼女の姿勢が、いつもいつも印象的だったので、そのことをあらためて伝えました。意外なことに、彼女からの返信は、

「"いいところ"を挙げてもらえて、自分にそういうところがあるのかと、ちょっと嬉しくなった」

 彼女にとっては無意識な行動なのでしょうが、周りにいる私たちは、あたたかな心配りにふれて、いつもうれしい気持ちにさせていただいていたのです。そのことを感謝するつもりで伝えた言葉が、彼女にも喜んでもらえる結果となり、なんともあたたかな気持ちになりました。
 仲間との別れという、さみしい場面ではありますが、偶然にも、"いいところ"を伝えることの大切さを実感しました。彼女には、"いいところ"を大切に持って、そして自信をもってこれからの新しい人生を歩んで行ってほしいと願っています。
 そして私も、彼女から学ばせていただいた「あたたかな気遣い」を忘れずに、前を向いて行きたいなと思っています。

 お便りをどうもありがとうございました。たしかに、自分のいいところをふと人から言ってもらった時に、「えっ、そこ?」と戸惑いながらも、顔がにやけていたことは僕も何度かあるように思います。
 今後もおりに触れて生活の中での「仏教ワークショップ」の取り組みは考え続けようと思います。

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 先日、僕は瀬戸内海の離島で行われた近所の若いお坊さんたちによる、子どもの「お泊まり合宿」に行ってきました。瀬戸内海の離島の多くには、「島四国」遍路が存在します。これは、四国八十八カ所をモデルにして、島のお寺や祠(ほこら)、お地蔵さんを八十八の札所にし、ミニ遍路を島の中につくっているものです(島だけでなく、全国各地にもこのような存在があります)。この島の島四国は江戸時代(1807年)に創建されたもので、お坊さんをやめて還俗したお医者さん、修験者、庄屋さんが創建しました。

 僕たちも小学生の子どもたちと一緒に、この島四国を五箇所ほどお参りしたのですが、子どもたちの多くが事前に配った簡単なお経の本を欲しがったのが意外でした。
「これ、くれるん?(くれるの?)」
「おわったら、あげるよ。ほしぃん?(欲しいの?)」「うん」「なんで?」
「法事の時に憶えとったら、かっこええやん。だから、欲しい」
 ということでした。意外とこんなことの連続で、「仏さんを大事にする四国のおばあさん」のような人たちは、どんどん誕生していくのかもなぁ、と思ったりしました。

 バスに乗って、海が綺麗に見える山の展望公園まで登っていると、目の覚めるような大海原の風景が開けてきました。「うぉー、きれいだなぁー」僕は思わず子どもより早く歓声をあげます。すると島に住む子どもが、「えー、そんなに綺麗?」と声をかけてきました。「うん。すごく綺麗!」
「まぁ、たしかに綺麗やとは思うけれど、そこまでは・・・。毎日、みとるしなぁ。オレら」
 まんざらでもなさそうだけど、あきれたような表情、そして素直な言葉にただ笑ってしまいました。

 仏教のことを考えていたり、また普段の生活の中で"沈黙"ということを、今までに何度か漠然と考えてきたように思います。
 お寺にいつか「詩碑」を建立したいという想いがあるのですが、それは河合隼雄さんの最後の著作『泣き虫ハァちゃん』(新潮社)に寄せられた谷川俊太郎さんの「来てくれるー河合隼雄さんにー」という詩です。この詩を本屋で読んだ時は、「人が人に想いを寄せる」そのひやりとするほどのあたたかな温度に、その場所からしばらく足を進めることができませんでした。その中にも「沈黙」についてとても印象的な言葉があります。

「私がもう言葉を使い果たしたとき
 人間の饒舌と宇宙の沈黙のはざまで
 ひとり途方に暮れるとき
 あなたが来てくれる」(部分抜粋)

 「人間の饒舌と宇宙の沈黙」
 なんという胸を突くフレーズでしょうか。そして僕たちにとっての「沈黙」の意味の大きさを想像しながらも、それをうまく説明できない自分がいます。そういえば、お寺でなにかイベントをするならどのようなものだろう? と考えていた時に「沈黙会」という集いはどうかと思いついたことがあります。沈黙の少ないこの世界に、沈黙を持ち合って、人が集まる。そのことはなにか、とても「お寺らしい」「仏教らしい」と感じたのでした。そのわりには、おしゃべりな自分を自省して、ぷっとひとり噴き出し、そのままになってしまいました。


*「沈黙の語るもの(後半)」は次週金曜日の更新です! どうぞお楽しみに~。

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白川密成しらかわ・みっせい

1977年愛媛県生まれ。栄福寺住職。高校を卒業後、高野山大学密教学科に入学。大学卒業後、地元の書店で社員として働くが、2001年、先代住職の遷化をうけて、24歳で四国八十八ヶ所霊場第五十七番札所、栄福寺の住職に就任する。同年、糸井重里編集長の人気サイト『ほぼ日刊イトイ新聞』において、「坊さん——57番札所24歳住職7転8起の日々——」の連載を開始し2008年まで231回の文章を寄稿。著書に『ボクは坊さん。』(ミシマ社)がある。

栄福寺ウェブサイト 「山歌う」

ボクは坊さん。

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