となりの坊さん。

前回は、「見えるところにおく」ことの大切さをお話ししました。今回のミッセイさんのお話しは文章術も?

第12回 「見えるところにおいて、トレースする」(後編)

2011.02.22更新

 前回の話と関連性があるかどうかわからないのですが、僕は自分自身の「文章を書く方法」をいくつか持ってるので、そのお話をしてみようと思います。まずは、ある作家の方がエッセイに書いていたことをそのまま実践しているのですが(中学生の頃に読んだので、無意識にアレンジしているかもしれません)、その作家の方も、ある海外の小説家の方法をそのまま流用していると書かれていました。

 まず、一日のなかで「執筆の時間」を用意する(できれば毎日、定期的に)。そして、それが30分であっても、3時間であっても、とにかく「机に向かっている」ただ、それだけなんです。その間に、インターネットをしたくなったり、お茶漬けを食べたくなったり、友達に電話したくなったり、風呂を洗いたくなったり、もちろんするわけですが(そうですよね?)、それはしない。むろん筆が、もといキーボードが、進まなくなる時間が到来するわけですが、その時も、他のことは一切せずに、気合いを入れたり、抜いたりしながら、ひたすらボーっとする、ひと文字も書けなくても、それでいい。ただ、その「書けない」時間を、「書けないで」過ごす。という方法です。これは、なかなかいい方法だと思っています。

「そんないい方法を知ってるのに、なぜ、あなたは、1カ月以上締め切りが遅れているのですか?」という編集・三島さんの天の声が聞こえてきます。つかまってモンゴリアン・チョップを食らう前に大言壮語もこのあたりにしますが、ぜひお試しください。

 こんな方法を、仏教的なイメージで「瞑想」「禅定」や禅宗の「只管打坐」(しかんたざ、ひたすら座禅する)的にイメージする人も、おられるかもしれませんが、僕の方法では妄想や雑念が湧いてくるのを基本的に認めています。
 これは、文章に向かう「状況」の方法ですが、"文章を書く"自分の「態度」もある"感覚"で、チューニングをあわせることが多いです。それは、「自分の心を、そのままトレースする」という感覚です。この場合の「トレース」は複写や敷き写しをするようなイメージです。心の動きを、装飾的な言い回しや、常套句で遠ざけるのではなく、スケッチするように、できる限り、そのままの素の状態で、「書き写す」。僕はそういう方法で、文章を書いています。これは、うまくいくと気持ちもいいです。

 『大日経』という経典に、

「如何(いかん)が菩提とならば、謂わく、実の如く自心を知るなり」

 という有名な一節があります。菩提は「さとり」という意味ですから、「悟りというのは、現実のままの、自分の心を知ることだ」ということを表しています。さとり、というと遠い、遠い境地のように感じますし、実際、その通りだと思うのですが、その「さとり」と呼ばれる境地は、「自分の心を、リアルに知ること」。僕はこの言葉が、とても好きです。
 そして、皆さんが、文章を書いたり言葉を誰かに届けようとする時に、心のことを「そのまま」「実の如く」描こうと留意することは、とても意味があることだと思います。もちろんそのようななかでも、できる限り「誰かのことを深く傷つけたりしないように」という心がけは、親愛なる「となりの坊さん。」読者の皆さんには、言うまでもないことでしょう。


「澄鏡(ちょうけい)なるときは則ち天裕、響のごとくに応じ、濁染(だくせん)なるときは則ち鬼殺(きせつ)、雪のごとくに消ゆ」
(弘法大師 空海『遍照発揮性霊集』巻第六)


現代語訳 心が鏡のように澄みわたっていれば、仏と我との感応は天のたすけによって自在となる。心が汚濁しているときは、鬼のような煩悩が身を雪のように滅(き)えさらすことたちどころである


 弘法大師も、「私」が「仏」が出会うためには、そしてそのために天の助けを得るためには「心を鏡のように澄ませること」を勧めています。


「禽獣(きんじゅう)、卉木(きぼく)は、皆是れ法音、安楽覩史(とし)は、本来胸中にある」
(弘法大師 空海『遍照発揮性霊集』巻第三)


現代語訳 鳥獣草木の声はすべて仏のみ言葉であり、極楽世界は本来胸の中にあるもの


 そして僕には、弘法大師が、心を鏡のようにするためには、鳥獣草木、言葉なきものたちの沈黙に耳を澄ませ、言葉あるものとして、しかも金言として、それらに接することをヒントとして示唆しているように感じるのです。敏感に思いを巡らせ、想像し、全身で、静寂から声を聞こうとする。そのような態度をとても素敵に感じます。

お便りはこちら

みんなのミシマガジンはサポーターの皆さんと運営しております。

白川密成しらかわ・みっせい

1977年愛媛県生まれ。栄福寺住職。高校を卒業後、高野山大学密教学科に入学。大学卒業後、地元の書店で社員として働くが、2001年、先代住職の遷化をうけて、24歳で四国八十八ヶ所霊場第五十七番札所、栄福寺の住職に就任する。同年、糸井重里編集長の人気サイト『ほぼ日刊イトイ新聞』において、「坊さん——57番札所24歳住職7転8起の日々——」の連載を開始し2008年まで231回の文章を寄稿。著書に『ボクは坊さん。』(ミシマ社)がある。

栄福寺ウェブサイト 「山歌う」

ボクは坊さん。

バックナンバー