となりの坊さん。

第15回 「音楽がきこえる」(前編)

2011.04.19更新

 僕がお葬式を執り行った方が、四十九日、一周忌、三回忌を迎えるたびに、その家を訪れ家族と一緒に「法事」をします。本当に色々な家族や家がありますが、なんとなくうれしく感じるのは、子どものいる家族と法事をする時です。
 先日も、10歳と3歳の兄弟が帰省してきた家で法事を執り行いました。たいがい、まずは年齢と名前を無意識に聞いています。

「何歳ですか? 名前はなんだろう?」
「10歳だよ。名前は**!」

「そっかー。じゃあ君は?」
「えっと、えっと、あれ、兄ちゃん、僕の名前なんだっけ?」
「もぉ、しっかりしろよ。**でしょ」

 小さなふたりの会話に家族と笑いながら、ふと考えると、僕たちは元々、名前なんてないんだから、最初は覚えてないこともあるよな、と3歳の子どもに仏の教えについて、また「生きている」ということを考えるきっかけをもらったりします。


「人々は自我概念にたより、また他人という観念にとらわれている。このことわりを或る人々は知らない。実にかれらはそれを(身に刺さった)矢であるとは見なさない」
(『ウダーナヴァルガー感興のことばー』第二十七章七)


 仏典に触れていると、僕たちは何かを「知る」と同時に、思索や瞑想によって、なにかを「思いだそうとしている」感触を得ることがあります。もしかしたら、僕たちは「生きる」というそのなかで、なにかを忘れ続けているのかもしれませんね。
 それが、あらがうことのできない事実であったとしても、そのことをふと立ち止まって、見つめることには、少なくない意味があるように感じています。

 栄福寺の新しい建物「演仏堂」(えんぶつどう)の本体が工事直前になり、神式の「地鎮祭」にあたるような仏教(密教)の儀式「土公供(どこうく)」を執り行いました。土の壇をつくり、木の串に紙でつくった「弊」(へい)をはさんで、五穀(この場合、米、大麦、小麦、胡麻、大豆)などをお供えします。

 これは、今から土地を使わせてもらうにあたって、その地の神に許しを請い、工事、その後の生活の安穏を祈念する性格をもった儀式です。今、この時代に、「神様」に捧げるために「五穀」を探し回ってお供えしたりすることが「アホらしい」と感じる人だって、いるかもしれませんが、ないがしろにできない意味をもった行為だと感じました。

 例えば「土地」のことを、僕たちは「私の土地」と呼ぶことがありますが、たとえ不動産取引をへて法律上の所有者であったとしても、違う側面から見れば、言うまでもなく、この土地は誰の物でもなく、時に「借り受けたもの」とも感じることもあります。それは、道徳的な意味でもスピリチュアルな意味でもなく、シンプルな真実であると僕は思います。その「認識」は、時に自分たちを助ける力があるので、人の営みはこういった「儀式」を手放しにくいのだと感じました。

 そんなことを考えていると、高野山での僧侶修業時代に食事を頂く前に唱えていた「蟲食偈(ちゅうじきげ)」という言葉の内容を思い浮かべていました。

「我身中有八万戸
(私たちの体のなかには八万の家があり)
 一一各有九億蟲
(そのひとつひとつに九億の蟲"むし"が住んでいます)
 済彼身命受信施
(その生命を養うために施主の信心がこめられた食を受けるのです)
 我成佛時先度汝」
(そこで自分が、成仏した時には何よりも汝たちを救い悟らせましょう)

 自分のなかにある八万の家と、そこに住む九億の虫。食事とは彼らのためのもの。
 神に土地を借り受けるために、道具となる松の木を切って儀式の準備をしながら、そんなイメージを意識していると、ここにある「自分」という存在さえ「借り受けたもの」「仮なるもの」かもしれないという気分が体に染み渡ってきました。


(自分のなかにいる九億の虫・・・。なんだか壮大なるスケールですね! 後半に続きます)

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白川密成しらかわ・みっせい

1977年愛媛県生まれ。栄福寺住職。高校を卒業後、高野山大学密教学科に入学。大学卒業後、地元の書店で社員として働くが、2001年、先代住職の遷化をうけて、24歳で四国八十八ヶ所霊場第五十七番札所、栄福寺の住職に就任する。同年、糸井重里編集長の人気サイト『ほぼ日刊イトイ新聞』において、「坊さん——57番札所24歳住職7転8起の日々——」の連載を開始し2008年まで231回の文章を寄稿。著書に『ボクは坊さん。』(ミシマ社)がある。

栄福寺ウェブサイト 「山歌う」

ボクは坊さん。

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