隣町探偵団

第4回 八十年の歳月が残したもの(後)

2013.04.16更新

 もう一つわたしたちが注目したのは、水路である。
 水路は、仮に埋立てられたり、暗渠になったりしていても、八十年前の痕跡を現在に残している可能性がある。
 「映画」のなかでは、登場人物たちが川べりを歩いているシーンがいくつか出てくる。いずれも多摩川のような大きな川ではなく、水路、どぶというべきもの。
 そこで、この辺りを流れていた水路を推定すると、六郷用水ということになる。六郷用水は、戦後ほとんど埋立てられたか、暗渠になっているかである。
 ただ、どこを流れていたのかは昭和15年地図上にも~~~線で示されている。
 そして、おもしろいことに、今でも、蒲田駅周辺には、旧六郷用水の跡が散歩コースとして示された案内板がでているのである。この水路が今は観光や町歩きのための重要な役割を担っている。

第3回 旅の始まりと驚きの目蒲線物語(1)

六郷用水を示す看板

 水路(六郷用水)は、実に豊富な情報をわたしたちに与えてくれる。
 なぜなら、「映画」制作時からこの一帯に建設されてきた住宅の位置や、その向きは水路によって決定されているからである。
 水路に沿うように家が建てられ、村は水路によって結び付けられたり、隔てられたりする。
 いわば、地域の性格も、形態も水路によって形づくられてきたようなところがあるのだ。

 矢口渡駅付近の戦前昭和の様子と現在の様子で大きく異なっているのは南側を貫いて作られた環状八号線の存在による。驚いたことに、昭和15年地図にはすでに環状八号線の予定行路が破線で書き込まれていた。実際に環状八号線の全町44.22kmが全線開通するのは平成18年(2006年)になってからで、最初の昭和2年(1927年)の大東京道路網計画から実に八十年が経過している。(昭和15年地図では、環状八号線は道塚駅の真上を横断して東西に建設されるように予定されている)。
 ひとつの道路ができるまでに八十年の歳月が流れ、わたしたちの「映画」への旅もまた八十年を遡る旅であると思うと感慨深いものがある。

 六郷用水は暗渠になっているところが多く、現地を歩いてもなかなか戦前昭和の状況を確認しがたいところがある。ただ、六郷用水の存在が現在の家並みの様子と、戦前昭和のそれとを繋ぐ糊代のような役割をしているのである。これについては稿を進める段階で徐々に明らかにしてゆくつもりである。

 さて、これらの情報をもとに、わたしたちは「映画」の撮影されたポイントになる場所の目星をつけることにした。
 まず、最初は撮影現場の大まかな位置取りであるが、これは矢口渡周辺からいまのJR操車場あたりだろうということで一致した。
 「映画」のなかで、唯一現在の地図との関連を物語るものは、連結車輛が並んで止まっている操車場だからである。JR操車場(国鉄操車場)はこの「映画」の場所を特定するうえで、起点となる場所なのである。池上線沿線上にも、目蒲線沿線上にもこのあたり以外には現在も過去も操車場は存在していない。(池上線は現在の雪が谷大塚駅に操車場があるが、今回の地域からは大きく外れている)。

 「映画」はこの町に麻布から引っ越してきたサラリーマン一家(吉井家)の息子たちが、操車場の見える原っぱで、地元の悪ガキから洗礼を受けるところから始まる。
 わたしたちは、まずこの「映画」の起点である「原っぱ」の場所を特定することから作業を開始した。

第3回 旅の始まりと驚きの目蒲線物語(1)

写真1:映画冒頭で、引っ越してきた吉井兄弟は、「原っぱ」で地元の悪ガキと喧嘩をする

第3回 旅の始まりと驚きの目蒲線物語(1)

写真2:写真1の現在位置と想定される場所


 上の画面を見ると、兄弟の背後に連結車輛が止まっているのがわかる。当時、池上線も、目蒲線も単行車だったので、これは国鉄(現JR)の操車場であると推定される。
地図で探すと、目蒲線の南側に、大きな操車場が広がっている。
 どうやら、この操車場が子どもたちが集まってくる「原っぱ」であるらしい。別の画面には操車場の背後に、工場の屋根らしきものが見える。このあたりに土地勘のある自動車部品会社の社長の駒場によれば、「あそこ(操車場の背後)には確か新潟鐵工があったはずだ」ということである。

 確かに、昭和15年地図上にも新潟鐵工がある。
 実際に現地に行ってみると、操車場は現在も同じように存在しており、背後の新潟鐵工は大きな集合住宅になっていた。
 ところで、昭和15年地図のこの辺りには黒澤工場という文字がある。
 黒澤工場とは一体何で、何を作っていた工場だったのか。
 操車場に隣接しているということは鉄道省黒澤工場ということなのだろうか。
 後に、この黒澤工場は蒲田史をひもとく上で、欠かすことのできない重要なものであることがわかってくる。
 いや、それどころか戦前昭和の日本の産業界にとっても枢要な施設であった。しかし、この時点では、わたしたちは黒澤のなんたるかを知らなかったし、ほとんど関心の外でもあった。この工場の主、日本株式会社史の揺籃期に驚くべき足跡を残した黒澤商店社長、黒澤貞次郎の物語については、後に章を改めて詳述することにしよう。

子どもの遊び回る範囲とは

 「映画」の場所の起点が、ほぼ現在のJR操車場付近であることを確認した後、わたしたちが考えたのは、「映画」のおおまかな撮影範囲、つまりは登場人物たちが歩きまわった場所の、おおよそのあたりをつけることであった。
 わたしたちは、いったい子どもたちが毎日遊び回る場所は、半径どのくらいまでだろうかという点について話し合った。
 わたしはそれぞれ自分たちの昔日の遊び場の範囲を思い浮かべて、この問題を検討してみた。

 わたしがよく遊んだのは、矢口渡から二つ先の下丸子駅周辺とその以西。池上線ならば蓮沼駅から二つ先の千鳥町周辺とその以西までの範囲の中にすっぽりと納まる。
 わたしたちが住んでいたのは池上線の北側、ほぼ沿線上に位置する工場の町である。
 そこから、下丸子までは直線距離にしてだいたい600m。
 もちろんそれより先、一キロメートルほどのところまでは遊びに行くことはあるが、小学生が毎日行く場所としてはほぼ600m圏内にある場所である。わたしたち三人とも、遊び場の範囲としては600mを超えていないことを確認した。勿論、その範囲を超えて「遠出」することはあるが、それは毎日の遊び場ではなく、あくまでも「遠出」しても行かなくてはならない特別な場所に限られる。この点で、わたしたちの意見は一致していた。

 ここから、わたしたちは「映画」の中の毎日の遊び場から半径600メートル内外にかれらの住んでいた家と、学校と、家から学校までのルートにある踏切があるはずだと推測した。
 この推測に基づいて「操車場原っぱ」から半径600メートルの円内にある路線と学校に当たりをつけると、池上線も目蒲線もそこに含まれている。ただ、もし池上線の北側にかれらの家があったとするならば、かれらは池上線と目蒲線の二つの路線の踏切を超えなければ、「操車場原っぱ」に辿り着くことはできない。

 「操車場原っぱ」は、登場人物たちの毎日の遊び場なのである。
 「映画」のなかには、国鉄の車輛が走る場面はでてこない。
 それらしき路線も見当たらない。
 二つの踏切を超えて遊び場に行くというシーンもない。
 もし、池上線と目蒲線が接近しているところにかれらの家があるならば、「映画」はどこかで至近の国鉄の路線を捉えるとらえるか、二つの踏切を超えるシーンがあるはずである。それがないということは、かれらの家は国鉄の軌道よりは数百メートル以上西側にあると見るのが妥当だろう。

 蒲田駅から五百メートルほど西の地点とは、それまで接近して走っていた池上線と目蒲線の距離は大きく広がっていくところである。
 もし、池上線の北側にかれらの家があり、操車場広場まで600メートル内外の距離に含まれるとするならば、かれらの家は蒲田・蓮沼間の池上線軌道の南北どちらかということになる。

 「映画」の主人公である兄弟の住む吉井家は、目蒲線か池上線の軌道の直ぐ手前にあることは、画面に何度も出てきている。もし、池上線ではなく、目蒲線の沿線にかれらの家があるとするならば、もうすこし西側の本門寺道(道塚)・矢口渡の間ほどまで行動範囲が広がる。いずれにせよ、かれらの家は目蒲線か池上線の沿線にある。

 どちらも可能性としてはありうる。
 「映画」の撮影助手をした厚田雄春氏は、蓮實重彦氏との対談の中で、「あれも池上線です」と証言している。
 ということは、「映画」に頻繁にあらわれる車輛はやはり、池上線なのだろうか。
 しかし、わたしたちの直観は、そうではないといっているのだ。毎日目蒲線と池上線を見て育ったわたしたちには、「映画」の中を走る電車というよりは、その周囲の風景に目蒲線沿線の風景だと思わせるものがあったからである。それは映画の中にたびたび登場する水路と、水路がつくる風景であり、線路の向う側に広がる景色である。しかし、どちらも印象でしかなく、電車を判断する決定的な材料とは言い難い。
 ここまでの推理でわたしたちが確信を持てたのは、兄弟や地元の悪ガキが遊んでいたのは、今のJR操車場の北西側に広がった「操車場原っぱ」であるということだけである。

*次回は、4月20日(土)に更新予定です。

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平川克美(ひらかわ・かつみ)

1950年東京生まれ。早稲田大学理工学部機械工学科卒業。渋谷道玄坂に翻訳を主業務とするアーバン・トランスレーションを内田樹らと共に設立。現在、株式会社リナックスカフェ代表取締役。また、株式会社ラジオデイズにて音声コンテンツダウンロードサイト「ラジオデイズ」を運営。2011年からは立教大学ビジネスデザイン研究科の特任教授に就任し、ビジネスから教育へと活動の場を広げている。

著書に『ビジネスに「戦略」なんていらない』(洋泉社新書)、『株式会社という病』(講談社現代新書)、『俺に似たひと』(医学書院)、『移行期的混乱―経済成長神話の終わり』(ちくま文庫)、『移行期的乱世の思考』(PHP研究所)、『小商いのすすめ』(ミシマ社)など。

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