隣町探偵団

第6回 家から学校までの道を探す

2013.04.23更新

 この段階でわたしたちは、はやくも最初の暗礁に乗り上げていた。
 「映画」の場所の完全解明と意気込んで作業をはじめたものの、なかなか手がかりが掴めない。それまでに、いくつもの想定をして、「映画」を見直してみたのだが、どうしても合理性に反するところが次々と出てきてしまうのである。
 ひょっとしたら、この「映画」の登場人物たちは一枚の地図上でだどれるような、合理的な動きをしているわけではないのかもしれないという気持ちになることもあった。

 はたして、映画監督というものは一つのストーリーを組み立てていくときに、登場人物たちの導線の合理性というものをどこまで考慮するものだろうかという疑いの気持ちがなくもなかった。
 しかし、小津安二郎は時空が歪むような前衛的な映画をつくるひとではない。徹頭徹尾リアリストであるはずであるというわたしたちの思いが勝って、もう一度あの「原っぱ」からやり直してみようということになったのである。

 「原っぱ」は明らかに、今のJR操車場の西側に位置している。
 それは、昭和15年地図でも、あるいはネット上に見つけた昭和7年地図でも確認できる。
 現場に行って確認すると、「原っぱ」があったと思われる場所には住宅が密集しているが、いまもJR操車場があり、まさに映画の「原っぱ」をありありと想像させてくれる雰囲気がある。
 兄弟は引っ越してきてまず、この「原っぱ」に遊びに来て、地元の悪ガキたちと遭遇する。
 兄弟の家は、この「原っぱ」から600メートル圏内に位置していたはずである。
 その位置を昭和15年地図の上に見つけ出せれば、登場人物たちの行動の重要な起点を定めることができる。しかし、それが分かったとしても、手掛かりなしに兄弟の家を確定するのは、雲をつかむように覚束ない話である。

 「原っぱ」と「兄弟の家」(吉井家)の関係が分からなければ、そのどちらの場所も確定することはできないのである。
 何か手がかりはないだろうか。
 手がかりがあるとすれば、それは「映画」の中にしかあろうはずはない。
 わたしは、考えられうる想定から、兄弟の家から学校までの道筋をシュミレーションしてみた。
 朝、兄弟は学校へ、父親は会社へ向かうことになる。
 途中までは、兄弟と父親は一緒に歩いている。

その経路は以下の順番になっている。
1) 家を出て、踏切に向かう道を直進し、踏切の手前を右折
2) 左側に線路を見ながら進む
3) 交差点に出る
4) 交差点を左折するところに踏切がある
5) ふり返ると踏切を通過した電車が大きく右にカーブしながら過ぎ去ってゆく
6) 踏切を渡った先で、兄弟と父親は別の方向へ進む(兄弟は斜め前方へ直進し、父親は右折)
7) 兄弟は学校の塀を左手に見ながら、校門に到着する

このシーケンスを写真で並べると以下のようになる。

第6回 家から学校までの道を探す

1)家を出て、線路まで直進する

第6回 家から学校までの道を探す

2)左側に線路を見ながら進む

第6回 家から学校までの道を探す

3)交差点に出る

第6回 家から学校までの道を探す

4)交差点を左折するところに第二の「踏切」がある

第6回 家から学校までの道を探す

5)ふり返ると踏切を通過した電車が大きく右にカーブしながら過ぎ去ってゆく

第6回 家から学校までの道を探す

6)踏切の先で、兄弟と父親は別の方向へ進む(兄弟は斜め前方へ直進し、父親はそれを見送った後で右折)

第6回 家から学校までの道を探す

7)兄弟は学校の門に到着する(学校の門は左側にある)



 以上が、家から学校までの兄弟の道程である。この七つの道程に見合う場所が地図上にあるのだろうか。
 わたしたちは、池上線の軌道の南北、目蒲線の軌道の南北にそれらしい場所を探したのだがなかなか見当たらない。
 わたしたちは、この段階で画面を何度も繰り返して見ることになる。何か、目印になるようなものが視線の隅に映りこんではいないのか。
 何か大切な手がかりを見落としてはいないか。

 いくつかのことはすぐに確認できた。
 踏切を渡ったところから、前方方向に火の見櫓が見える。通り過ぎた電車の右手には、反物を干してあるやぐら(染物屋)が見える。
 もし、火の見櫓や、染物屋が見つかれば大きな手掛かりになるが、八十年前の火の見櫓や染物屋が現在も残っているのだろうか。
 このあたりは、戦争でほとんど焼け野原になっている。
 おそらくは残ってはいないだろう。
 それ以外には産婆の看板標識が見える。そこには住所が書かれているのだが、「矢口」という文字までしか読むことができない。数字が書いてあるが、これが当時の番地であるのか、電話番号なのか判然としない。

 画面と地図を何度も見比べてみても手がかりはそれ以上拾うことができない。
 「現場に行くしかないな」
 「現場と言っても、どこに行けばいいんだ」
 「うーん、わからないけどまずは、あたりの池上線・目蒲線を歩くしかないな」
 「そうすれば、何か発見できるかもしれないな」
 そんな会話が繰り返された。

 わたしたちはあらかじめ目星を付けた場所に実際に行ってみて、何か「映画」の道を探る痕跡がないかどうか調べてみた。
 しかし、どの場所にもそれらしい痕跡はもはや残っていなかった。
 何度「映画」を見直しても、そして、現場だと思われる場所を探索しても、わたしたちは火の見櫓、染物屋、産婆の看板などいかなる痕跡も認めることができなかったのである。
 それどころか、現実の蒲田地域を歩いて、わたしたちの混迷はさらに深まる結果になったのである。八十年の歳月は、現場を大きく変貌させており、いたるところにマンションや住宅が立ち並んでいる。

 いったい、どのようにして、家をでてから学校までの一連のシーンは撮影されたのだろうか。
 それらは紛れもなく、八十年前の蒲田近辺のどこかに実際に存在していた場所のはずだ。
 「こうなったら、徹底的に調べ尽くすしかないか」
 「映画」に映し出された戦前昭和の場所を探し出さすという法外な計画は、大きな困難を伴う。
 その困難さが、わたしたちをかえってやる気にさせた。
 よし、こうなれば徹底的に調べてみようということになった。
 しかし、どこをどう調べればよいのだろうか。

*次回は、4月28日(日)に更新予定です。

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平川克美(ひらかわ・かつみ)

1950年東京生まれ。早稲田大学理工学部機械工学科卒業。渋谷道玄坂に翻訳を主業務とするアーバン・トランスレーションを内田樹らと共に設立。現在、株式会社リナックスカフェ代表取締役。また、株式会社ラジオデイズにて音声コンテンツダウンロードサイト「ラジオデイズ」を運営。2011年からは立教大学ビジネスデザイン研究科の特任教授に就任し、ビジネスから教育へと活動の場を広げている。

著書に『ビジネスに「戦略」なんていらない』(洋泉社新書)、『株式会社という病』(講談社現代新書)、『俺に似たひと』(医学書院)、『移行期的混乱―経済成長神話の終わり』(ちくま文庫)、『移行期的乱世の思考』(PHP研究所)、『小商いのすすめ』(ミシマ社)など。

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