隣町探偵団

第7回 見落としていた重要な手がかり

2013.04.28更新

 繰り返し「映画」を見ているうちに、いくつか気づくことが出てきた。
 前回の写真6)で、兄弟と別れて父親は右手に曲がって行った。父親の会社はこの付近にあるのではない。おそらくは東京の中心部にあるはずである。彼らは麻布からこの地域に引っ越してきたのであり、父親が通っている会社はかなりの大会社であることは父親の会社の専務の豪邸のシーンや、会社のシーンからも伺うことができる。

 そうであるとすれば、父親が向かった先には、最寄りの私鉄駅か、蒲田駅があるはずだ。
 そして、現在わたしたちが探偵している場所から、蒲田駅までは1キロメートルも離れていないのだ。父親は会社へ行くために、踏切を右折してまっすぐに蒲田駅に向かって国鉄の車輛に乗り込んだはずである。
 この推理が正しければ、父親は池上線か目蒲線の踏切を渡った後に、右折して蒲田駅に向かったということになる。

 このことは何を意味するだろうか。
 父親は、踏切を渡った後に、右折して蒲田駅に向かう。ということは、踏切が池上線のものであれ、目蒲線のものであれ、父親は踏切の南側から北側へ渡ったということであり、かれらの家は線路の南側にあるということを意味している。
 もし反対に踏切の北側から南側に渡ったとすると、そこから右折した父親は蒲田駅とは反対方向に向かって歩くことになってしまう。
 そういう可能性がゼロではないが、可能性は限定的である。(たとえば、西側の最寄りの駅に向かった場合)。しかし、限定的な可能性は、わたしたちの仮説が覆された後で検証すればよい。まずは、可能性の大きいところからやってみよう。

 わたしたちは、まず仮説をたてることにした。
 以下が、仮説をたてるまでの思考の道筋である。
 「映画」の中の父子は家を出て、線路脇の道を右折し、そのまま進んで踏切のある道に出て左折。踏切を南側から北側に向かって渡る。
 踏切を渡って直進した先には、兄弟の学校への道があり、その道との交差点を右折して校門に到着する。
 これだけのことから、かれらが渡った踏切を推定することは可能だろうか。

第7回 見落としていた重要な手がかり

吉井父子が渡った可能性のある踏切


 考えられるのは、地図の矢印で示された四か所である。
 直進方向に学校があり、兄弟は学校を進行方向左手に見て校門へ辿り着くことを考えると、踏切は学校よりも西になければならない。
 この踏切を渡って、父親はすぐに右折して蒲田駅に向かっている。可能性としては南側を走る目蒲線の踏切を渡った場合には、蒲田まで歩かずに、途中の本門寺道駅を利用することもあるかもしれない。どちらにしても、踏切がこの四か所に特定されると考えることは合理的だろう。

 この踏切を左から順に「踏切1」、「踏切2」、「踏切3」、「踏切4」とする。
 兄弟は踏切を渡って北方面に直進(画面からはわずかに斜め左前方方向に向かっているように見える)して、右折して学校の南側の道に出たと推定される。
 兄弟が学校に向かっているときに、前方右に学校の一部らしき建物が画面に現れている。このことから推測すると、可能性として濃厚なのは「踏切2」だということになる。

 しかし、まだ他の踏切である可能性も完全には排除できない。
 もう一度このシーンを見てみる。
 何度目かの見直しのなかで、わたしたちは「踏切3」および「踏切4」の可能性を排除する有力な手がかりを「映画」の中に発見する。
 その手がかりとは、兄弟たちが学校の門を左手にして立った時に、直進方向を横切る単行車である。






第7回 見落としていた重要な手がかり

学校の前方に単行車が横切っているシーン




 地図をもう一度みていただきたいのだが、学校の南側の道を直進して前方に私鉄の単行車が見える可能性があるのは、矢口東小学校だけである。(右側の相生小学校東前方にも路線があるが、これは国鉄だから、車輛は連結車輛のはずである)。ここで、女塚にある相生小学校の可能性を消すことができる。
 南北を反転した場合はどうだろう。
 その場合には、兄弟は学校の北側の道を通って門に入ることになる。この場合には前方に電車が見える可能性のあるのは相生小学校から見える池上線ということになる。しかし、後に述べるようにもう一つ別方向に見える電車が、この可能性を打ち消すことになる。

 ここまでの推理から、学校は矢口東小学校であり、その前方に見える電車は池上線だという可能性が極めて高いことが分かったのだ。
 さらに、兄弟が学校の門に正対したときに、背後の方向にも単行車が走り抜けるシーンがある。矢口東小学校であると、仮定するならば、確かに門に正対して背後の方角、つまり南方向には目蒲線の路線がある。

 推論に間違いはなさそうである。
 兄弟の進行方向に私鉄路線があり、進行方向右手にも私鉄路線があるような場所は、いまのところこの矢口東小学校の門の地点の他には見当たらない。
 だが、ここでひとつ不可解な事実が見つかる。
 学校を左にした直進方向の道を横切っていく電車は、電車の進行方向左上から左下方向へ向かっているように見えることである。つまり、学校を矢口東小学校と仮定した場合には、その門の先方を横切るこの電車は、北西方向から入ってきて、南東方向に向かって走り抜けている。
 ところが、地図上ではこの電車の軌道は、逆に南西方向から北東に向かうように敷かれているのである。
 見過ごしてしまいそうな短いカットだが、このカットは最後までわたしたちを悩ませることになる。
 この時点では、わたしたちの手持ちの材料では、この矛盾点を解決することはできそうになかった。
 考えられる可能性は四つある。
1.わたしたちの仮説がそもそも間違っている
2.矢口東小学校南側の道が今とは違う角度で通っていた
3.矢口東小学校が今とは少し異なる場所に建っていた
4.池上線の蓮沼・蒲田間の経路が今と違っていた

 しかし、この問題については、ひとまず宿題として後回しにすることにした。1)以外の可能性は、すべて八十年の歴史の中に埋もれてしまっているからである。もちろん、この時点でそれぞれの歴史に当たってみたのだが、それらしい記述に突き当たることはできなかった。

 不可解な点が残ったが、わたしたちは仮説を補強するために、もう一度「映画」で、兄弟が踏切を渡った直後のシーンに戻って検証を再開することにした。
 何度も映像をチェックしているうちに、わたしたちはこれまで見落としていた大きな発見をすることになったのである。

*次回は、5月3日(金)に更新予定です。

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平川克美(ひらかわ・かつみ)

1950年東京生まれ。早稲田大学理工学部機械工学科卒業。渋谷道玄坂に翻訳を主業務とするアーバン・トランスレーションを内田樹らと共に設立。現在、株式会社リナックスカフェ代表取締役。また、株式会社ラジオデイズにて音声コンテンツダウンロードサイト「ラジオデイズ」を運営。2011年からは立教大学ビジネスデザイン研究科の特任教授に就任し、ビジネスから教育へと活動の場を広げている。

著書に『ビジネスに「戦略」なんていらない』(洋泉社新書)、『株式会社という病』(講談社現代新書)、『俺に似たひと』(医学書院)、『移行期的混乱―経済成長神話の終わり』(ちくま文庫)、『移行期的乱世の思考』(PHP研究所)、『小商いのすすめ』(ミシマ社)など。

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