隣町探偵団

第8回 六郷用水路

2013.05.03更新

 父親と兄弟が踏切を渡ったシーンをもう一度見てみよう。

第8回 六郷用水路

踏切の先の交差点


 このシーンを注意深く見ると、父親の足下右下にコンクリートらしき突起物がみえる。(○で囲まれた部分)
 これが、わたしたちが最初に発見した「確かな証拠」の第1号であった。
 一体、この突起物は何を意味しているのだろうか。
 この部分と地図を見比べて、わたしたちは思わず歓声をあげた。
 「六郷用水路!」
 この突起物は橋なのである。スチールで見れば明らかにこれが橋だとわかる。
 しかし、ムービーの短いショットではなかなか確認ができなかったのである。
 この発見は、わたしたちの捜査を一気に進展させてくれた。
 つまり、踏切を渡った先には、路線と並行するように川(水路)があったということがわかったのである。
 この水路こそ、後々までわたしたちの捜査の手助けになる六郷用水路である。
 わたしたちは、昭和15年地図の上に六郷用水路の経路を書き込んだ。

第8回 六郷用水路

六郷用水路と踏切の関係


 矢印で示した踏切が父子が渡った可能性のある踏切である。青で示しているのが六郷用水路。
 大田区には、現在、六郷用水の歴史を調べている「六郷用水の会」というものがあり、ここにその歴史や地理が詳細に論じられている。  その年表によると、1597(慶長2) 小泉次太夫吉次が六郷用水および二箇領用水の開削を開始したとある。(『新用水堀定之事(宝暦2年=1752)』)
 水源は多摩川。現在の狛江あたりで、世田谷区、大田区に至る農業用水のための水路である。
 水路は終戦後(1946年)に「六郷用水普通水利組合」が廃止され、徐々に埋立てられていったが、いまでも多摩川線の沼部、鵜木周など沿線部にその名残りをとどめている。
 この「映画」が撮影された、昭和7年は六郷用水はまだまだ現役、健在であった。その流れは地図の青線で示されているように安方駐在所あたりで分岐し、北側の流れは池上線蓮沼駅のあたりで北上し、南側の流れは目蒲線を横切って現在のJR操車場あたりを抜けて仲六郷へ向かっている。

 「映画」のなかで、踏切を渡った父子が立ち止まる最初の角には、橋がかかっていた。その橋の下には川か、水路があったはずである。
 地図をもう一度眺めてみると、踏切を渡った最初の角に用水路が走っているのは「踏切2」だけなのだ。
 わたしたちは、ここまできて、初めて父子が渡った踏切を特定した。
吉井父子は、「踏切2」を渡って学校と、会社へ向かったのだ。わたしたちは、この推理をさらに補強する事実を地図上にも発見することになる。

*次回は5月11日(土)更新予定です。

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平川克美(ひらかわ・かつみ)

1950年東京生まれ。早稲田大学理工学部機械工学科卒業。渋谷道玄坂に翻訳を主業務とするアーバン・トランスレーションを内田樹らと共に設立。現在、株式会社リナックスカフェ代表取締役。また、株式会社ラジオデイズにて音声コンテンツダウンロードサイト「ラジオデイズ」を運営。2011年からは立教大学ビジネスデザイン研究科の特任教授に就任し、ビジネスから教育へと活動の場を広げている。

著書に『ビジネスに「戦略」なんていらない』(洋泉社新書)、『株式会社という病』(講談社現代新書)、『俺に似たひと』(医学書院)、『移行期的混乱―経済成長神話の終わり』(ちくま文庫)、『移行期的乱世の思考』(PHP研究所)、『小商いのすすめ』(ミシマ社)など。

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