隣町探偵団

第13回 吉井家の間取りと踏切の関係

2013.06.08更新


 吉井家と踏切の関係について、ここまでのところで分かったことと、疑問点を整理してみよう。

1.吉井家の玄関を出たところには線路を跨ぐ道がある。道の右側には電柱、左側には灌木の列が見える。
2.この踏切を通過する電車は、道と直角に交差するのではなく、角度をつけて通過してゆく。
3.この道の先の踏切を渡ったものはいないが、踏切のような黒い三角形の組板が見える
4.この付近に別のもうひとつの、踏切が存在する(悪ガキが泣きながら渡る踏切)
5.このもうひとつの道の踏切先には、右側に並木のない道がまっすぐ伸びている。
6.先生と父親はこの踏切を渡ってすぐに、1の道で立ち話をしている。

 この条件のすべてを満たす図は一つでは書き表すことができない。
 下図は、1~3までの条件を満たす道(「A道」とする)と、4~5までの条件を満たす道(「B道」とする)をスケッチしたものである。







第13回 吉井家の間取りと踏切の関係

(図版31. 吉井家に隣接する二つの道)




 図31に示された「A道」も「B道」もそれぞれのシーンだけを個別に取り出してみれば矛盾はない。
 しかし、この二つの道は同時には存在することができないのだ。
 なぜなら、どちらも、線路に向かって吉井家の左脇を通っており、どちらも家の玄関を出たところにある最初の道として想定されているからである。

 もう一度注意深く「映画」を見ていくと、学校へ行くときに線路に向かう「A道」の先は踏切のように思えるが(線路を越した先には道が続いているから)、踏切になってはおらず、行き止まりになっていることも考えられる。
 だとすれば、上の図も書き換える必要がある。
 この「A道」は線路の前でT字路になっているかもしれないからだ。

 最初に悪ガキたちが挑発にきて、父親を見つけて逃げ出すシーンで、悪ガキたちは直進せずに線路手前の道を左折して逃げて行った。もしそこが踏切ならば、まっすぐに踏切を渡って逃げるはずではないのか。
 そうなると、わたしたちが「踏切1」として想定していたのは、学校へ行くときに先方に見える踏切らしきものではなくて、悪ガキが泣きながら渡って行った踏切だということになる。
 では、その悪ガキが泣きながら渡って行った踏切(「B道」)はいったいどこにあったのだろうか。

 この点について、わたしは駒場と何度も話し合うことになるのだが、あるとき駒場がこんなことを言った。
 「先生と父親の背後にあるのは踏切じゃないぜ。画面上に線路が露出しているじゃないか」
 なるほど、悪ガキが渡った踏切では、線路は盛り土の下に隠れている。
 しかも、この踏切らしき見えるところは、「映画」のなかで一度も渡られていない。
 ここは、踏切ではない可能性が高いのだ。

 しかし、そうだとしても素直に「映画」を見れば、「A道」と「B道」は同じ場所に同時に存在していることになってしまうという矛盾は解消することができない。
 どう考えたらこの矛盾を解くことができるのだろうか。

 この謎を解くためには、吉井家の位置と線路、踏切までの道、学校へ行くときの踏切らしきものがあるところまでの道の関係を明確にする必要があるだろうと、わたしたちは考えた。「映画」の中で、果たしてこれらの関係をつかむことが可能なのだろうか。

 家の周囲の状況がわかるシーンでもっとも長いシーケンスは、兄弟が雀の卵を取る場所のシーンである。
 雀の卵は、地元の番長である亀吉は、雀の卵を手に入れられるのが自慢であった。
 兄弟たちは、対抗上その在り処を探し、自分たちの家のすぐ近くにそれを発見する。そしてはしごをかけて卵を採る。
 そのシーンを順番に追ってみると以下のようになる。

第13回 吉井家の間取りと踏切の関係

(図版32.隣の家の軒下に雀の卵を発見する)


第13回 吉井家の間取りと踏切の関係

(図版33.兄弟の視線の先に、エスの犬小屋がある)


第13回 吉井家の間取りと踏切の関係

(図版34.庭の斜め後ろからの視線が捉えたエスと母親)


第13回 吉井家の間取りと踏切の関係

(図版35.兄弟が呼ぶと母親が振り向く)


 この一連の映像の流れから、かれら兄弟の家の母屋、庭、雀の卵の家、踏切の位置関係を確定することができるのだろうか。
 考えられる可能性をいろいろ図解してみたのだが、どうしても合理的な図を描くことができないのである。

 そもそも、吉井家の間取りはどのようになっていたのだろうか。
 撮影助手の厚田雄春氏によれば、家はセットであり、線路際に作った庭のシーンと編集でつないだということである。
 この証言を信ずるならば、この一連のシーンはそれぞれ、別々の場所で撮影されたものを編集で繋いだということになる。
 しかも、その編集には合理性に欠くものがあると言わざるを得ない部分があるのだ。
 「映画」が映しだした、各パーツを現実の空間の中に収めようとすると、どうしてもいくつかのパーツが余ってしまうか、別々のパーツが同じ場所に重なってしまうのである。

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平川克美(ひらかわ・かつみ)

1950年東京生まれ。早稲田大学理工学部機械工学科卒業。渋谷道玄坂に翻訳を主業務とするアーバン・トランスレーションを内田樹らと共に設立。現在、株式会社リナックスカフェ代表取締役。また、株式会社ラジオデイズにて音声コンテンツダウンロードサイト「ラジオデイズ」を運営。2011年からは立教大学ビジネスデザイン研究科の特任教授に就任し、ビジネスから教育へと活動の場を広げている。

著書に『ビジネスに「戦略」なんていらない』(洋泉社新書)、『株式会社という病』(講談社現代新書)、『俺に似たひと』(医学書院)、『移行期的混乱―経済成長神話の終わり』(ちくま文庫)、『移行期的乱世の思考』(PHP研究所)、『小商いのすすめ』(ミシマ社)など。

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