隣町探偵団

第15回 学校への最初の道は、ここではない場所

2013.06.22更新

 どうして、こんなことになったのだろうかと考えてみた。
 家は目蒲線の線路際にあると想定されている。実際には、家はセットであり、庭もどこか別の線路際で撮影されたものを繋いだのかもしれない。いずれにせよ、台本上の玄関と、実際の家の玄関の位置が反対になってしまう事情があった。

 線路を跨いで庭先にやってくる悪ガキたちは、家の西側にある踏切を渡ってくるからである。そして、図版39で悪ガキたちが玄関先の兄弟と対面しているのも、この辺りである。
 その設定が成り立つためには、玄関は家の西側になければならないということになる。
 だから、玄関は家の西側にあったことにする必要があったのだ。

第14回 吉井家の間取り

(図版40. 取っ組み合いの場所と吉井家の庭の柵)


 子どもたちは家の西側、踏切の手前で取っ組み合いをしているシーンがある。子どもたちは家の庭側の門から出て、左方向に走ってこの場所に来ている。
 どう考えても、この場所は吉井家の左側(西側)の道である。
 ここで、画面右側には家の庭の柵があり、左側には隣の家の柵が見える。

 だとすれば、このシーンは、兄弟の家と、隣の家との隙間にカメラを添えて撮影されたことになる。一見すると踏切からの道はこの隙間の方に延びているように見えるが、本道は画面左方向へ伸びていると見ることもできる。
 いずれにせよ、この右側の柵が吉井家のものなのかどうかははっきりしないが、これが吉井家の庭の西端であることを暗示している。

 今度は、兄弟が家を出て、線路に直角に交差する道(「A道」)に出てくる場面を見てみよう。

第14回 吉井家の間取り

(図版41. 悪ガキたちが逃げていく道「A道」)


 この道の先に踏切があるはずなのだが、すでに述べてきたように、この道の先は踏切ではなく線路の前で行き止まり、Tの字型に左右の線路際の道に分岐するようになっている可能性が高い。
 兄弟はこのTの字交差点を右折して、線路際の道を通って「踏切2」へ向かう。
 しかし、兄弟の家の西側には、悪ガキたちと取っ組み合いをした道(図版29,30「B道」)があったはずである。 
 その道とこのシーンに出てくる道は明らかに異なっている。
 そうすると、二つの異なる道が、同じ場所に存在してしまうことになってしまう。
 いったい、この道(「A道」)はどこにあるのだろう。

 同じ場所は、先生と父親が踏切を渡って家の前にきた次のシーンにも現れる。

第14回 吉井家の間取り

(図版42. 踏切を渡った後に立ち話をする先生と父親「A道の突端」)


 この道の右側前方には、工場のような建物があり、その建物の背後には鉄塔が聳えている。もし、この道が兄弟の家の西側にある道ならば、家の庭からこの工場が見えるはずである。しかし、庭からも、子どもたちが庭を出て左折して踏切まで行く途中の背後にも、この工場は見えない。
 考えられることは、「映画」のなかでは、ほとんど同じ場所にある「A道」と「B道」は、現実の空間のなかでは、どこか別の場所で撮影された別々の道だということである。
 では、それらはいったい何処にある道なのか。
 わたしたちは、「A道」と「B道」を地図上に探して頭をかかえてしまった。

学校への最初の道は、ここではない場所

 兄弟が家を出て、父親と一緒に学校へ向かうシーン(線路際まで直進してから右折して線路際の道を歩む)と、子どもたちが取っ組み合いをしたのち、泣きながら踏切を渡っていくシーンは、この「映画」のもっとも美しいシーンである。「詩情あふるる」と、形容してもよいくらいだ。
 この「映画」を観たものの脳裏には、この二つのシーンは深く刻まれるはずである。
 この「映画」を象徴する大切なシーンなのである。
 ところが、この二つのシーンは「映画」の中のカット割りと登場人物の導線を追っていくとどうしても整合性がとれない「異質」なシーンでもあるのだ。

 以下に、その問題点を列挙して、この二つの踏切?と本編との関係についての可能性を考えてみたいと思う。

●兄弟が家を出て学校へ向かう道(「A道」)の矛盾
1.登場人物たちは、一度もこの道の先にあるらしい踏切をわたっていないこと(道と線路がぶつかるところには踏切はなかった)
2.兄弟が朝、庭にいるところから、この道に出るまでに間に、影の方向も長さも違っていること(庭では影は線路側から家の方へ向いており、道では影は線路と平行に西側に長く伸びている)
3.道が線路とぶつかるところの右側前方には、工場があり、工場の背後には鉄塔が見えるが、家の庭からは一度もそれらを同時的に撮影されたシーンはないということ
4.道の線路側から家を捉えたショットがないこと

●先生と父親が渡ってくる踏切のある道(「B道」)の矛盾
1.庭門から出て線路に向かって左折してこの踏切前の道で、兄弟は地元の悪ガキたちと取っ組み合いの喧嘩をするが、庭からこの道は至近距離にあるはずなのに、カメラは切り替えられている
2.先生と父親がこの踏切をわたった後、画面が切り替わり、立ち話のシーンになるが、その場所がこの道「B道」ではなく「A道」になっていること
3.唯一、家の庭の柵らしきものと踏切が同じ画面に出てくるところがあるが、庭の柵はセットであることが疑われること
4.踏切側から家の方向を捉えたショットがないこと

●「A道」と「B道」との関係に関する矛盾
1.先生と父親は「B道」で踏切をわたり、「A道」で立ち話をする。「A道」と「B道」は至近距離にあるはずだが、両方の道を捉えたショットがないこと
2.もし、兄弟の家の脇を「B道」が通っているのなら、兄弟が学校へ向かうために家をでたところは「B道」のはずだが、「映画」では「A道」になっている

 この、あまりに多い矛盾点の理由として考えられるのは以下の場合だけだろう

1.「A道」は別のところで撮影して、編集でつないだ
2.「B道」は別のところで撮影して、編集でつないだ
3.「A道」も「B道」も別のところで撮影して、編集でつないだ
4.わたしたちの想定している家の場所が、台本上のそれとはまったく別であった。

 わたしたちは、ストーリーを合理的に解釈するならば、吉井家の場所は目蒲線の南側、本門寺道と次の矢口渡の間にあったと考えるほかはないと考えている。その理由は、これまでのわたしたちの調査から、吉井兄弟が通っていた小学校が矢口東小学校以外には該当するものがないことであり、矢口東小学校への道には、六郷用水路や、火の見櫓などの確かな証拠があるからである。この火の見櫓と六郷用水路の確証から、わたしたちは4の可能性をまず消した。

 では、「A道」および「B道」はどこで撮影されたのか。
 わたしたちのこの時点での中間的な結論では、「A道」、つまり家を出てから学校へ向かう最初の道(線路の前でT字に交わる道)は、映画上の吉井家のあった場所とは、別の場所で撮影されたものだというものである。
 「B道」に関しては、映画上の吉井家の場所の近くにあったかもしれないし、こちらも別の場所で撮影されたものかも知れない。

 映画のストーリー展開上、吉井家は、「A道」にも「B道」にも隣接していなければならないのだが、実際にはどちらの道も、吉井家には隣接した道ではないと考えるほかはないのだ。
 さらに言えば、吉井家もまた、スタジオのセットであり、その庭の設営場所は池上線、目蒲線沿線上のどこでもよかったと考えられる。
 では、小津はなぜ、昭和七年の地図上のどこかに存在していた「A道」や「B道」をわざわざ別撮りして編集でつなぐということしたのか。

 ここから先は、もはや想像をたくましくするしかないのだが、吉井父子が学校へ行く道(「A道」こそ、この「映画」のもっとも象徴的なシーンであり、それにふさわしい情感が流れているような道でなければならないと考えていた。小津は池上線、目蒲線の沿線をロケハンし、まさに小津の気持ちに沿うような道を発見した。そういうことなのではないか。

 そうだとすれば、上記の1か3の可能性が濃厚だということである。
 いや、家も、A道も、B道も、それぞれ別々の場所で撮影されたものであり、それらを繋いでひとつの映画上の空間を作ったと考えるのが自然だろう。
 では、それらは一体どこで撮影されたのだろうか。
 「映画」の中のどこかに、確証をつかむヒントが隠されているのだろうか。

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平川克美(ひらかわ・かつみ)

1950年東京生まれ。早稲田大学理工学部機械工学科卒業。渋谷道玄坂に翻訳を主業務とするアーバン・トランスレーションを内田樹らと共に設立。現在、株式会社リナックスカフェ代表取締役。また、株式会社ラジオデイズにて音声コンテンツダウンロードサイト「ラジオデイズ」を運営。2011年からは立教大学ビジネスデザイン研究科の特任教授に就任し、ビジネスから教育へと活動の場を広げている。

著書に『ビジネスに「戦略」なんていらない』(洋泉社新書)、『株式会社という病』(講談社現代新書)、『俺に似たひと』(医学書院)、『移行期的混乱―経済成長神話の終わり』(ちくま文庫)、『移行期的乱世の思考』(PHP研究所)、『小商いのすすめ』(ミシマ社)など。

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