隣町探偵団

第17回 どこで撮影され、どのように編集されたのか

2013.07.06更新

 わたしたちは、ついに「A道」を発見した。
 驚いたことに、「A道」は当初想定していた「踏切1」の近くではなく、吉井父子が通学、通勤で最初に渡る「踏切2」の直ぐ近くに存在していたのだ。しかも、カメラの位置は線路の南側ではなく、北側にあった。
 「A道」は、吉井家の西側に位置していると想定されている道だが、実際には別の場所で撮影されたものを編集でつないだものであった。
 図15をわかりやすく図解したのが下図である。

第17回 どこで撮影され、どのように編集されたのか

(図版47. 「A道」とカメラ位置(青線:六郷用水、赤線;旧目蒲線)


  図16の地図が示しているように、現在は環状八号線があるために、風景はかなり変化している。それでも、矢印で示したカメラ位置の先方には、送電線鉄塔を見ることができ、今は埋立てられている六郷用水路が目蒲線と交わるところには橋が架けられていたはずである。目蒲線も昭和七年当時は、赤線のように南側にカーブして蒲田へと向かっていた。写真17にあった正面左側の光る帯はまさしく、六郷用水路であったというわけである。

 いくつかの謎は解けたが、依然として矛盾は矛盾のままに残っている。
 一番わからないのは、吉井家と、雀の卵のあった隣家、その脇を通っているらしい「A道」「B道」そして「踏切2」との関係である。それらを物語に沿って繋いでいくと、どうしても一枚の地図の上に合理的に配置することができない。

 このジクソーパズルのような作業は延々と続いたが、どうしてもすべての関係を同時に合理的に結び付けることはできないのである。「A道」と吉井家を確定すると、「B道」というピースが余ってしまう。「A道」を歩いた吉井父子は、線路に向かって北側から南側に接近してゆくように歩いているが、これだと学校へは辿り着かない。

 家の玄関を庭に向かって右側に設定すると、登場人物たちの視線の先にあるはずのピースがどこかへ行ってしまう。
 いったい、この映画はどのようにして作られたものなのか。
 わたしたちは、これまでの推論をいったん棚上げして、映画製作者の立場にたって考えてみることにした。

 それはまた、小津安二郎監督がこの作品を通じで何を表現したかったのかということを考えることでもあった。
 これまでの取材から、この映画のロケ場所は今のJR操車場を南限とし、池上線沿線を北限とした狭い範囲内であることが分かってきていた。
 そのなかで、最後まで場所を確定できなかったのは、吉井家の場所である。吉井家の母屋自体はどうやら蒲田松竹撮影所内のセットであるようだった。そして、撮影助手の厚田雄春によれば、池上線の池上駅から蓮沼よりのどこかであるということであった。

 厚田雄春の「証言」は、生存者がほとんどいないこの作品を実証するもっとも貴重な証言であることは疑いがなかった。しかし、その厚田でさえも、八十年前の「生まれてはみたけれど」と、それ以前に撮影された「カボチャ」の時代背景を混同しているような発言をしている。人間だれでも、何十年も前のことを正確に覚えていられるわけではない。
 誰でもが、遠い過去を再構成するときには、思わぬ思い違いや、前後の入れ替え、無意識の記憶の捏造ということを行っている。

 わたしは、解けない謎を考えることを一旦休止して、もう一度原点に戻ってみようと考えた。
原点とは、まさに「作品の世界」そのものであり、いったいこの作品とはどういうものであるのかを、「映画」を見ながら考えてみることである。

 「映画」は、シンプルな二つの物語で構成されている。
 メインになる物語は、都市郊外へ引っ越してきた、大手企業のサラリーマン一家の兄弟が地元の悪ガキたちと対立しながらも、機転を利かせて自分たちを認めさせ、最後には友だちとして迎え入れられるまでの顛末が描かれている。
 もうひとつは、子どもたちの父親自慢に関するもので、兄弟は父親を偉い人間だと思っていたが、自分たちがねじ伏せた地元の金持ちのガキの父親(兄弟の父親の上司)に頭が上がらないのを見て失望し、反発し、やがて容認するまでの父子の葛藤の物語である。

 どちらもとてもシンプルで、普遍的なテーマである。
 しかし、この「映画」には「生まれてはみたけれど」というタイトルが付され、そこに「大人の見る繪本」というシリーズタイトルのようなものが付されている。

 なぜ、この「映画」に「生まれてはみたけれど」というような否定的なタイトルが付されたのか。
 この作品の前に、小津は「大学は出たけれど」や「落第はしたけれど」という作品を作っているので、同じラインのタイトルが選ばれたのかもしれない。
 1930年に七本、1931年に三本、1932年に四本というペースで作品をつくっているので、プログラムピクチャーと呼んでもよいのかもしれない。

 しかし、「生まれてはみたけれど」というタイトルを知りつつ、この作品を観ると、シンプルな物語に深い陰影が生まれてくるようにも思える。
 そこに、満州事変から日中戦争、第二次大戦へと至る時代背景を重ねると、その陰影はなおさら濃さを増すことになるだろう。

 この「映画」の中の父親も、兄も、弟も、数年の後に戦争に巻き込まれていったのである。
 戦前昭和は、わずか十五年しか続かない激動の時代の中の、小さな平安の瞬間であった。この小さな平安の時代のなかの、小市民的な家族の肖像が、「生まれはみたけれど」という映画であり、小津はこのありふれた家族に愛情のある視線を精いっぱい注ぎこんでいる。

 小津安二郎には、あらかじめいくつかの撮りたい映像というものがあったに違いない。
 それは、父子が並んで学校と会社へ向かって歩むシーン(「A道」のシーン)、線路の脇道を歩むシーン、家の庭のベンチで父子が腰かけて和解するシーン、そして最後の兄弟が地元の子どもと肩を組んで学校へ向かって歩むシーンである。

 電車が何度も画面に現れるが、小津が撮りたかったのは電車そのものではなく、電車が作る風景の中を、主人公たちが歩み、語り合うシーンであったに違いない。
 なかでも、本稿の最初に掲げたシーンは、まるでチャップリンの映画のように懐かしく、暖かく、切ない、複雑な印象を与える美しいシーンだろう。
 ここにはひとつひとつのシーンに対する強固な美意識、そこにはあたかも一枚の絵画作品を仕上げていくときの作家の美意識のようなものが溢れている。

 この「映画」が繪本でなければならない理由もまたそのあたりにあったのかもしれない。
 そして、小津はそのようなシーン、美しい絵を作るために様々な場所をロケハンして回ったはずである。
 かといって、年に何本もの映画をつくらなくてはならないのでじっくりと時間をかけてロケハンしている余裕はない。
 蒲田に松竹が撮影所を構えてから、蒲田という地域をロケ地として本作までに二十二本もの映画を作ってきた小津の脳裡には、いくつかのめぼしいポイントがすでにインプットされていたともいえる。
 小津がこの作品の構想をはじめたときに、いつくかの具体的な映像はすでに出来上がっており、それらをプロットに合わせるように配置していった。

 わたしは小津の戦後の主要な作品は何度も観ているのだが、小津安二郎の映画手法に関して評論するほどのものは持ち合わせてはいない。それでも、この「生まれてはみたけれど」に関しては、撮りたいイメージが先にあり、それに合わせて物語が作られたように思われてならないのだ。 そして、心象風景のような印象的な「繪」をつなぐ「映画空間」が台本としてしたためられた。
 わたしは、そのような考えを抱きながらもう一度昭和15年地図を広げてみた。
 地図の上に、わたしたちが描き込んだ登場人物たちの導線は、合理的な「映画空間」を成立させるために行った作業であった。

 しかし、それはあくまでも「映画」の中の空間であり、その物語を構成している「繪」は必ずしも現実空間の中で合理性を持っている必要はない。
 吉井家は、おそらくは松竹蒲田のスタジオの中にあったセットだろう。実際の家を使って撮影したという証言もあるのだが、撮影助手をしていた厚田雄春はセットを使ったとの証言をしている。現場に居合わせたものが、そういった記憶を間違えることはあまり考えられない。

 そうであるならば、現実空間における吉井家の庭もまた、「映画空間」のなかで与えられた合理性を満たす場所とは、別の場所にあっても構わないのだ。現実の地図上にある、どこかの場所に庭柵を配置さえすれば、それを捉えた映像は、「映画空間」を構成するひとつのピース(断片)として挿入することができる。

 「A道」はわたしたちが「映画空間」の中であるべき場所として推理した場所とは別のところにあり、「映画空間」の中での向きとは逆さまになっていた。
わたしは、この事実に驚いたが、映画手法としてはむしろ当然のことなのかもしれない。

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平川克美(ひらかわ・かつみ)

1950年東京生まれ。早稲田大学理工学部機械工学科卒業。渋谷道玄坂に翻訳を主業務とするアーバン・トランスレーションを内田樹らと共に設立。現在、株式会社リナックスカフェ代表取締役。また、株式会社ラジオデイズにて音声コンテンツダウンロードサイト「ラジオデイズ」を運営。2011年からは立教大学ビジネスデザイン研究科の特任教授に就任し、ビジネスから教育へと活動の場を広げている。

著書に『ビジネスに「戦略」なんていらない』(洋泉社新書)、『株式会社という病』(講談社現代新書)、『俺に似たひと』(医学書院)、『移行期的混乱―経済成長神話の終わり』(ちくま文庫)、『移行期的乱世の思考』(PHP研究所)、『小商いのすすめ』(ミシマ社)など。

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