隣町探偵団

第18回 B道はどこで撮影されたのか

2013.07.13更新

 「A道」を確定したあと、わたしたちは「B道」がどこで撮影されたのかについて考えてみた。「B道」とは地元の悪ガキたちと吉井兄弟が取っ組み合いの喧嘩をした場所であり、先生と父親が踏切を渡って来た場所である。「映画空間」のなかでは、「B道」は吉井家の西側(線路に面して左側)に設定されている。

 垣根越しに、吉井兄弟を挑発しにきた悪ガキたちと兄弟は、線路沿いの道を左に進み、踏切の手前で取っ組み合いの喧嘩をする。
 しかし、吉井家が設定されている場所の直ぐ脇の踏切(図版10の「踏切1」)は、「映画空間」のなかでは、兄弟が家を出て学校へ行くときの最初の道(「A道」)であり、「現実空間」における「A道」は、前節で見てきたように「映画空間」とは別のロケ地で、しかも、南北の向きが反対の方向から撮影されている。

 「B道」も映画のシナリオ上のあるべき場所とは、別の場所で撮影されている可能性が高い。
 では、「B道」はいったいどこで撮影されたのだろうか。
 当初わたしたちが「A道」だと考えた「踏切1」に向かう道が「B道」のロケ地となったのだろうか。

 わたしたちは、最初は現実の「A道」の撮影場所の直ぐ近くの踏切のある道が「B道」であろうと見当をつけていた。しかし、「A道」のロケ地はわたしたちの見当とはまったく異なった場所にあった。
 「B道」も、「映画空間」として設定された地点とはまったく別のロケ地で撮影されたものなのだろうか。
 もし、「B道」も編集で繋ぐピースであるならば、どこにあってもおかしくはない。

 わたしたちは、目蒲線沿線で踏切を渡るとまっすぐに遠くまで直線の道が伸びている道を探し歩いた。
 「B道」を探す手がかりは、下の三連の写真しかない。
 左の写真は踏切の手前で子どもたちが喧嘩をしているところ。右は喧嘩に負けた悪ガキたちが踏切を渡って直線の道を泣きながら帰っていくところである。
 決め手になったのは、矢印で示した二か所であった。

第18回 B道はどこで撮影されたのか

第18回 B道はどこで撮影されたのか

第18回 B道はどこで撮影されたのか

(図版48. 「B道」)


 三番目の写真の中には、この道を特定する手がかりらしきものが映りこんでいる。右側の矢印が指し示している影のような黒い塊(道の両側にある)と、○で囲った光る帯である。これは一体何を意味するものなのだろうか。

 「A道」をすでに特定していたわたしたちにとって、この推理は簡単だった。
 光る帯は六郷用水路であり、黒い塊はその用水路にかかる橋であるに違いない。それ以外に、このような形象が映りこむことは考えにくい。

 左側の矢印が指し示すものは、どうやら大きな建物であり、神社か学校か、工場だろう。
 もう一つ注目すべきポイントは、線路のこちら側からローアングルで撮影すると、線路の向う側の道は映らないということである。線路のこちら側の道は、踏切とは一直線でつながっておらず、角度をつけて線路の向う側に延びていると考えられる。

 そのような条件に合致する道が地図上にあるのだろうか。
 「A道」の撮影場所の直ぐ脇の踏切を、「A道」を撮影したのと同じ方向から撮影して、このような画面がつくれる道は見当たらない。

 わたしたちは、小津監督は作品のリアリティを確保するために「映画空間」のなかで、吉井家があったと想定される場所(下図の△)に近い踏切を撮影場所に選んだのではないかと考えてみた。そうであるならば、図の「B1道」がその候補である。この場合確かに踏切を渡った先にまっすぐに道が伸びており、わたしたちが探していた「B道」であると考えられなくもなかった。しかし、この道の場合には、踏切の先の道の左側にあった大きな建造物が見当たらないのである。

第18回 B道はどこで撮影されたのか

(図版49. 子供たちが喧嘩をした踏切前の道「B道」)


 わたしたちは、ひょっとしたらという思いで、もう一つ矢口渡駅側の踏切(「B2道」)を検分してみることにした。
 現場に立ってみると、踏切の先方左側に大きな寺院と神社が隣り合って並んでいた。遍照院と安方神社である。その神社を左に見て橋がかかるように、六郷用水が流れている。

 もう一度、写真(図版48)を見てみよう。最初の二枚は一連で撮影され、カメラを切り替えて、悪ガキたちが踏切を渡った先のシーンが作られている。だから、踏切手前の道と、踏切を渡った先の道は、必ずしも同じ場所で撮影されたとは限らない。

 ただ、これらの映像がたとえ別々の場所で撮影されたとしても、それらは至近の場所で撮影されたものに違いない。なぜなら、カメラ切り替えの前にも後にも、背景に映りこんでいるもののなかに、同じものであると推定される建物が映りこんでいるからである。

 わたしは、「B2道」で、映画のような場面がつくれるかどうかを試してみた。
 下の最初の写真が、子どもたちが取っ組み合いの喧嘩をしていた場所。「映画」のカメラ位置と想定される場所から狙ったショットである。
 「映画」のシーンでは、踏切の先にこんもりとした木々の間に大きな建物が映りこんでいた。
 現場の写真では、中央に茶色のビルが建っているので、わからないがこのビルの背後には、「映画」に映っているのと同じような神社が木々の間に存在している。

 また、中央の写真は踏切を渡ったところから、まっすぐに先方に延びている道を捉えたショットであり、下段の写真は神社の近くまで寄って、この道を捉えたショットである。
 間に環状八号線が横切っているので、わかりにくいのだが、現場写真は「映画」のシーンとピタリと重なった。

 「映画」撮影時には、この遍照院と安方神社の裏側から、「B2道」を横切るように六郷用水が流れており、六郷用水路の橋と、道の左側の神社らしき建物というふたつしかない、手がかりの一致から、ここが「B道」であると結論してもよさそうに思えた。

 周囲の雰囲気からすると、ほとんどこの道が「B道」だと断定してもよさそうであったが、わたしたちは、断定を留保した。
 留保の理由はふたつあった。

 ひとつは、悪ガキが泣きながら帰って行った道は、進行方向左側に電柱が並んでいたが、写真の道は右側に電柱が並んでいる。(「B1道」も「B2道」も電柱は右側である)。終戦後、電柱の位置が変えられたという確証はいまのところ掴めていない。また、この道のすぐ西側には矢口渡駅があるのだが、「映画」のなかの電車は速度を変えずに走っているように見えることである。
 ただ、周辺には用水路と神社という二つの条件に該当する道はないので、「B2道」が、悪ガキたちが泣いて帰って行った道であるという確度は高いのである。

第18回 B道はどこで撮影されたのか

(図版50.「B道」と考えられる場所の現場写真。
①が子どもたちが取っ組み合いの喧嘩をした場所、②が踏切を渡った先の風景。
写真の「大国屋」の背後に六郷用水が流れていた。)


お便りはこちら

みんなのミシマガジンはサポーターの皆さんと運営しております。

平川克美(ひらかわ・かつみ)

1950年東京生まれ。早稲田大学理工学部機械工学科卒業。渋谷道玄坂に翻訳を主業務とするアーバン・トランスレーションを内田樹らと共に設立。現在、株式会社リナックスカフェ代表取締役。また、株式会社ラジオデイズにて音声コンテンツダウンロードサイト「ラジオデイズ」を運営。2011年からは立教大学ビジネスデザイン研究科の特任教授に就任し、ビジネスから教育へと活動の場を広げている。

著書に『ビジネスに「戦略」なんていらない』(洋泉社新書)、『株式会社という病』(講談社現代新書)、『俺に似たひと』(医学書院)、『移行期的混乱―経済成長神話の終わり』(ちくま文庫)、『移行期的乱世の思考』(PHP研究所)、『小商いのすすめ』(ミシマ社)など。

バックナンバー