隣町探偵団

第19回 ピース(断片)を探せ

2013.07.27更新

 この「生まれてはみたけれど」という映画の舞台をめぐる探索を続ける中で、わたしは徐々にではあるが、この「映画」がどのようにして撮影され、どのようにして「編集」されたのかが分かるようになってきていた。

 最も驚いたのは、ほとんどのシーンは、蒲田から矢口渡駅に延びていた目蒲線の沿線で撮影されているということである。それぞれのシーンは役者達の導線に沿った合理的な場所に配置されているわけではないが(つまり別々の場所で撮影され編集でつないだもの)、それぞれは隣接した場所のどこかをロケ地として選んだということである。

 「映画」にとって、重要なのはもちろん、その内容であるが、同時にその内容が真実であることを観客に伝えなければならないということだろう。
 ひとことで、それをリアリティと言ってもよいが、映画作品がリアリティを持つということの意味は考えるほど単純なことではない。
 フィルムを回しっぱなしにして、ありのままを映したものが、フィクションとしてつくられたものよりもリアリティがあるとは必ずしも言えない。

 映画作家にとっては、あたりまえのことなのかもしれないが、別々の場所で撮影された映像を繋ぎ合わせて、これほどリアリティのある空間が出来上がってくることは、わたしたちにとってはまったく新鮮な発見であった。
 「映画」の中にある八十年前の場所から、現在の場所をつきとめるという作業を続けてきたわたしたちは、いくつかの場所は必ずしも「映画」が設定した「映画空間」のあるべき場所にあったわけではなく、別の場所で撮影されたものを重要なピースとして挿入されたものであることが分かってきたのだ。

 ただし、この場合編集によって出来上がった「映画空間」は、あくまでも「現実空間」が持つ合理性と同じ合理性を保持していなければ、「映画」がリアリティを生み出すことができないというのも確かなことである。その意味では、「A道」「B道」「吉井家」の関係は「映画空間」としても成り立たない部分があった。
 それは、一言でいえば編集の破綻なのだが、映画を普通に見ていればほとんど気がつかないような破綻であった。
 
 当初、わたしたちは「映画」の中の登場人物たちが歩き回った八十年前の蒲田周辺の町が、「現実空間」であり、その痕跡が今もどこかに残っているはずであるという考えで、「映画」の中での人々が歩いた道を、たどり直すという作業に没頭していた。
 しかし、どうやら映画の中の「映画空間」は、それが作られた当時の「現実空間」と同じではないことが分かってきた。(映画作家からみれば、これは当然のことなのかもしれないが)。そして、それは当然現在の「現実空間」とも異なったものにならざるを得ない。

しかし、それでもなお、この「映画空間」を作り出したのは、「現実空間」の中にあった現実の断片であり、それらのピース(断片)は、映画作家によって召喚され、もうひとつの。ありえたかもしれない「仮想現実空間」として再構築されていったのである。

 そのように考えていくと、これまでわたしたちが特定したいくつかの重要な「場所」も、いくつかのピース(断片)として「映画空間」の中に再構築されているということになる。
わたしたちは、「生まれてはみたけれど」という映画のなかで、どこまでが当時の「現実空間」をそのまま切り取ったものであり、どこからが「映画空間」として再構成された空間なのかという視点から見直してみることにした。

 そうすると、それまではあまり気がつかなかったカメラの切り替えし、つなぎが、撮影の現場や、編集の現場でどのように行われていたのかがおぼろげに想像できるようになってきた。
 すでに、撮影の現場を確定した「踏切2」、「踏切2を渡った先の交差点」は、「現実空間」と「映画空間」が重なる部分である。

 では、「踏切2」に至る「線路沿いの道」はどうだろうか。
 わたしたちは、何度も映画を見直す中で、この「線路沿いの道」は「現実空間」と整合性のとれた道であることを確定してもよいだろうという結論に至った。
 何故それが確定できたのかの説明が必要だろう。ただ、これは難しいことではなく、下の写真を見ていただければすぐにわかる。

 この道の、「踏切2」付近で、その向こうに見える火の見櫓が映り込んだシーンがあるからである。この道の先には「踏切2」があり、それを渡った先には火の見櫓がある。
 つまり、子どもたちの歩きの道順と同じところがロケ地になっている。

第19回 ピース(断片)を探せ

(図版51. 線路脇の道。「踏切2」の手前の場所から火の見櫓が見えている)


 では、この映画にとって臍(へそ)のような役割を担っている、学校はどうだろうか。
 わたしたちの推理では、この学校は矢口東小学校だということであった。
 左手に学校を見ながら直進する道の先を、市電が横切り、なおかつ校門の対面の先に市電が横切るような場所から類推できるのは矢口小学校以外になかったからである。
 「踏切2」を渡った兄弟が辿り着く学校は、「現実空間」の中では矢口東小学校以外にはありえないというのがわたしたちの結論であった。

 わたしたちが、探偵作業を続けている間に、知り合いや、ネット書店に依頼していたいくつかの資料が手元に届いてきた。
 その中に、残ってはいないだろうと思っていた矢口東小学校の昭和七年時の写真が出てきた。
 付近の古書店の書棚で、誰にも顧みられることなく眠っていた昭和七年発行の『大東京併合記念矢口町誌』 の口絵の中にその写真はあった。
 下の写真がそれである。

第19回 ピース(断片)を探せ

(図版52. 昭和七年の矢口東小学校)


 この写真を目にしたとき、わたしは「やっとめぐりあえたな」という気持ちであった。「映画」の中の校庭のシーンと見比べてみると、なるほどよく似ている。
 「映画」には、写真30のように学校の全景が映り込んでいるシーンはない。学校の様子をもっとも、よく伝えているのは次の二つのシーンだろう。

第19回 ピース(断片)を探せ

(図版53. 「映画」の中の小学校)


 校舎の一階の窓の作りを見ると、四段に仕切られた窓枠、その上の二段に引きられた窓枠などは、ほとんど同じ形状をしているのが分かる。
 ただ、校庭に突き出した屋根つきの入口は、「映画」では日本家屋風の切り妻屋根になっているように見えるが、実際の矢口東小学校の入口は、箱型になっているように見えるのが気になるといえば、気になる程度である。図版53には、右端に切り妻屋根が映っているので、「映画」の子どもたちはこちらの屋根の前に整列していたと考えれば、整合性はとれる。

 雰囲気的にはまさに、ぴったりであり、学校は矢口東で決定してもよいかと思った。
 だが、わたしには何か引っかかるものがあった。
 引っかかりが、どこから来るのかはよくはわからなかったが、しっくりこない気持ちが残っていた。写真は、もっとよく見てくれよと言っているようでもあった。

 よくよく写真を見比べてみると、一階の窓枠と二階の窓枠の間の幅が少し違うように見えた。拡大鏡で確かめてみると、羽目板の数が、「映画」の校舎よりも、実際の矢口東小の方が多いのである。「映画」の方の羽目板は五枚。実際の矢口東小の羽目板は、肉眼では確認しにくいのだが少なくとも八枚はあるように見える

 念のために、もう一度拡大鏡で拡大して見たが、確かに違いが見て取れた。
 そうすると、「映画」の中の学校は、矢口東小学校ではなかったのか。
 「映画空間」の中にあった、「学校」はどこか別のところで撮影されたものなのか。

 写真28が掲載されていた昭和七年の『矢口町誌』には、他にも当時の学校の写真が掲載されていた。対象となる学校は三校しかない。
 矢口西小学校、矢口尋常高等小学校、黒澤小学校である。
 矢口西小学校は、窓枠の形状が明らかに異なっていたし、黒澤小学校はそもそもの校舎のかたちがまるっきり違っている。

 残る矢口尋常高等小学校を見てみると、矢口東小学校と大変よく似ている。しかも、校庭に突き出ている校舎への入口が切り妻屋根になっている。
 念のために、一階の窓枠と、二階の窓枠の間の羽目板を比べてみると、これがピタリと一致するのだ。

第19回 ピース(断片)を探せ

(図版54. 矢口尋常小学校)


 しかし、地図で矢口尋常小学校の場所を探してみると、学校脇のどの道からも、先の条件(前方と右方に路線がある)を満たすことができない。
 これは一体何を意味しているのか。
 もし、校庭が矢口尋常小学校のものであるとするならば、小津は矢口東小学校脇の道を登校の道として撮影し、校庭の中は矢口尋常小学校で撮影して、それらを編集で繋いだということになる。しかし、矢口東小学校を使わなかったのなら、矢口小学校脇の道も、どこか別の場所であっても構わないということになる。

 今回の調査では、昭和七年当時矢口町に存在した小学校から、候補を絞りだし、撮影に使われた校庭が、矢口尋常小学校のものだろうという結論を得たわけだが、松竹撮影所に近いところであれば、蒲田区の小学校も対象になる。
 昭和八年発行の『蒲田町史』 によれば、当時の蒲田区には蒲田尋常小学校、相生小学校、南蒲小学校、北蒲小学校の四校があり、口絵写真に当時の姿がおさめられている。このうち、形状が「映画」のなかの学校と似ているのが蒲田尋常小学校で、ほとんど矢口尋常小学校と同形の建築となっている。

 はたして、「映画」の撮影場所が、矢口尋常小学校なのか、蒲田尋常小学校なのかは、写真からだけでは、判断できない。かといって、当時の関係者の証言でもない限りは最終的な結論は出せないだろう。
 ただ、以後の探索の結果から、「映画」のロケ地はほとんどが、今のJR線路の西側、黒澤村およびその周辺に固まっており、その近傍にある矢口尋常小学校がロケ地として選ばれた可能性が高いとは言えるかもしれない。

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平川克美(ひらかわ・かつみ)

1950年東京生まれ。早稲田大学理工学部機械工学科卒業。渋谷道玄坂に翻訳を主業務とするアーバン・トランスレーションを内田樹らと共に設立。現在、株式会社リナックスカフェ代表取締役。また、株式会社ラジオデイズにて音声コンテンツダウンロードサイト「ラジオデイズ」を運営。2011年からは立教大学ビジネスデザイン研究科の特任教授に就任し、ビジネスから教育へと活動の場を広げている。

著書に『ビジネスに「戦略」なんていらない』(洋泉社新書)、『株式会社という病』(講談社現代新書)、『俺に似たひと』(医学書院)、『移行期的混乱―経済成長神話の終わり』(ちくま文庫)、『移行期的乱世の思考』(PHP研究所)、『小商いのすすめ』(ミシマ社)など。

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