石井ゆかりの闇鍋インタビュー

プロローグ・その2

2014.02.11更新

強制的に、人に会う。

なぜ企画を「闇鍋インタビュー」にしたのか。
これには諸事情あるのだが、端的に言えば
「放っておくと、私は誰にも会おうとしないから」
が主な理由である。

どうにも人と会うのが苦手、という人は、世の中にたくさんいる。
私もその一人だ。
人と会うと必ず、へまなことを言ったりやったりする。
どういうふうにそこにいていいのか解らず、
関節がぎくしゃく動いてしまう。
会って5分後には
「相手はもう切り上げたいのに、
ムリにガマンしているのではないだろうか...」
という疑念が湧いてきて、早く帰りたくなる。
ゆえに、
「もう人に会いたくない」
ということになる。

相手が嫌い、ということではなく、
むしろ相手に気に入られたいからそうなるのかもしれない。
自意識過剰というやつだ。
カルチャーセンターさんなどで、
100人というような大人数を前にして喋るのはどうなんだ、
と思われる向きもあるかもしれないが、
あれは、お客様の目的がちゃんとあって、
時間もちゃんと決まっていて、
自分もなにをすればいいかわかっているから、なんとかなるのである。
これが1対1で
「時間はだいたい、1時間から2時間のあいだくらいかな」
となると、話は全く別である。

そうでなくとも「原稿を書く」ことが生業の日常であるため、
人に会う用事というのはとくにない。
パソコンの前に座っているだけで事が済む。
マレに打合せの機会はあるが、
何を決めればいいのかは極論すれば
「書くことのナカミと文字数」なのだから、
それをとっとと決めてさっさと切り上げればいいので、
特に目新しい話もない。
全速力で用件を決める。

そうやって「他人」に会わないでいると、どうなるか。
感受性が鈍くなり、発想が摩滅し、
肥りやすい体質がもっと肥りやすくなる。
家から出なくなり、夜が明けたと思ったら日が暮れている、
という継ぎ目のない時間をのんべんだらりと過ごすことになる。
緊張がない。したがって、緩和もない。
こうした状況は、文章を書くという商売において、
実は非常によろしくない。

たしかに、人に会うことは、ストレスだ。
でも、人は
「まったくストレスと変化のない状態」
に置かれると、
これもどうも、マズイのではないかという気がする。
「ストレス」というのは、多すぎると絶対によくない。
でも、まったくなさ過ぎるというのも、
それがかえってストレスになる。
完全にフラットな、段差のないところには、水は流れない。
流れないと、澱む。腐る。
「動き」がないと、精神は凝り固まる。
しかし、言葉はいつも「動き」の中から生まれる。

もちろん、書物の山に埋もれたままでも
精神をのびのびと活動させられる人もいる。
小さな部屋にこもったまま、
世界を千里眼で見渡せる頭脳を持つ人もいる。
でも私はそういうタイプでは、どうも、ない。
インドアであり、運動大嫌いではあるのだが、
じっとしたままで生産的でいられるほどの知的活動力には、
残念ながら、恵まれてはいないのだ。
ドキドキしたり傷ついたり落ち込んだりしないと、
書くことが出てこないのだ。

この「これはイカン」という問題意識は
常に私の頭の中にあった。
ゆえに、自ら「インタビューシリーズ」という企画をして
頑張って人の話をうかがいに行くとか、
一昨年も「表参道散歩」の企画を自ら起ち上げるとか、
そういうことを定期的にしてきた。
しかし、それらは自分一人でハンドリングしていたので、
一時的なプロジェクトで終わってしまう。
毎度「勇気を振り絞って」やっているのだが、
いかんせん私は自分に甘い。
ちっともストイックではない。
ゆえにすぐ「もうこの辺でいいか」となり、
「よくやった、オレ」で着地してしまうのである。

これを、他人様に手伝ってもらったらどうだろう。
もっとコンスタントにやっていけるのではないか。
そういう邪念が私の心に浮かんだ。
ミシマ社の新居さんの企画書には、
「外に出てしゃべる」という点が含まれている。
どうせしゃべるなら「他者」としゃべったほうがよい。
相手の方にはお気の毒だが、自分一人で考えるよりもよほど、
価値ある記事ができるに違いない。


「これなあに」を、もう一度。

ネットで時々見かける、
「お金持ちはこうしている」みたいなハウツーの中に、
よくこんなのがある。

「お金持ちは自分語りをせず、相手の話をよくききます。
自分の持っている情報を相手に教えてやるより、
相手の持っている、自分がまだ知らない情報をもらう方が
ずっと得になると知っているからです。
自慢話をしても、一銭の得にもなりません」

なるほど、と納得がゆく。

心理学っぽいコラムなんかにも、
「たくさん話してくれる人」より
「たくさん話をきいてくれる人」のほうが好感度が高い、
みたいなことが書かれている。

そうだろうそうだろう、と思う。

だが、実際、自分はどうしているか。
なぜか、人に会うとべらべらべらべら喋ってしまう。
これも「人に会いたくない」と思う理由の一つなのだが、
とにかくなにか思い浮かんだことを口に出してしまうのである。
で、あとになって
「あんなにしゃべるんじゃなかった」
「もっとあの人の話を聞けばよかった」と、
自己嫌悪の深い穴に落ちる。

私は、じつは、ものごころつかないうちから
「口から先に生まれてきた」
と周囲の大人に揶揄されたほど、おしゃべりなのである。
これはもう、そういうDNAなのだから仕方がないだろう。
どんなに心を入れ替えようと思っても、
できるものではない。

しかし。
赤ん坊の私は、今の私よりも少し偉かった。
というのも、赤ん坊はなにもわからないわけなので、
どんなにおしゃべりしたくとも、そもそもネタがないのである。
ゆえに私は何をしゃべっていたか。
親に聞くところによれば
「これなあに?」の嵐だったそうである。
「これなあに?これなあに?」
大人がそばに居さえすればずっとそう言い続けていた。
最初は喜んで
「これはカーテンだよ」「これは天気予報だよ」
などと教えていた親も、あまりのしつこさについにキレて
「自分で考えなさい!」
と怒鳴った。


「これなあに?」の精神は、
今の私にも残っているだろうか。
人にものをたずねるのは、
わりとハードルの高いコミュニケーションである。
つっけんどんにされたり、
鼻で嗤われたりする可能性がある。
もっとひどくなると、バカだとけなされたり
信用を落としたりする場合すらある。
だからつい、知ったかぶりをしたり、
ふんふん、と知ってる感じで流そうとしたりしてしまう。
それがバレたときの恥ずかしさといったらない。
しかし。
人の話を聞くということはつまり
「これなあに?」「それなあに?」
である。
わからないから、ききたいのだ。

通常の「インタビュー」では、
相手のことをあらかじめしっかり勉強しておくのが礼儀である。
しかし今回の「闇鍋」は、そうではない。
企画自体が、インタビュイーに対して、ある意味失礼である。
でも、これは私の経験から、自然にでてきたことだった。
今まで私がやってきたインタビューは、そんなに数は多くない。
数えたら20人くらいだった。
事前に予習したことは、ほとんどなかった。
相手の方に甘えて、ゼロから話をさせて頂いた。
それはつまり「これなあに?」だな、と思った。
三つ子の魂百まで、というが、まさにそのとおりだった。

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石井ゆかり(いしい・ゆかり)

ライター。星占いの記事やエッセイなどを執筆、独特の文体で老若男女を問わず人気を集める。著書に『12星座シリーズ』(WAVE出版)、『愛する人に』(幻冬舎)、『月のとびら』(阪急コミュニケーションズ)、『星の交差点』(イースト・プレス)など多数。

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