石井ゆかりの闇鍋インタビュー

第1回 畑さん・その4

2014.03.13更新

「新鮮」であること。

過去の話を伺ったので
こんどは、未来の話を聞いてみたい、と思い、
「この先叶えたいこととか、夢みたいなものはありますか?」
と聞いてみた。
畑さんは、ちょっと深く息をすって、こう言った。

「それはね、ただただ店を続けていく、
ということなんです。
これは大変なことなんです。
この大変さを、皆さんどうしてはるんやろ、と思うんです」
「大変さ、というと?」
「経済的にというだけじゃなくて、
精神的に、大変なんです。
喫茶店というのは、ひたすら同じことをくり返すんです。
くり返しくり返し、同じコーヒーを淹れて出す、
それが延々続いていくんです。
出版の世界は、色々違うことが出てくるでしょう、
でも僕はひたすらここにきて、淹れ続けるしかない。
正直、飽きるんです(笑)。
最初の3、4年は、それに気がついてなかったんです、
最初は、ひたすらおもしろかった。
知り合いが増えて、いろんな光景を見て、
新しいことをやったりもして、おもしろかったんですが
去年辺りからけっこうきつくなった時期があります。
半年に1回、1週間から10日ほど休んで、
1人旅に出るんですが、そこでようやく
そのきつさがチャラになる感じです。
それをしないと、続けられないです」

「3、4年目までは、店っていつも
新しくないといかんと思ってたんです。
いつも新鮮なものを提供していればいいと思って、
マッチを作ってみたり、古本を置いてみたり、
雑誌置いてみて、やっぱり雑誌はあかんなとか、
メニューを色々変えてみたり、
常に新しいことを考えていました。
東京に新しい店を出したのも、
そういうことだったと思います」

「でも、今はそうではなくて、
むしろ、自分自身がいつも新鮮でここにいることが
大事だろうと思うようになりました。
新しいことより、
根をはって、続けることが、
今いちばん思っていることですね」

自分自身が、いつも新鮮で、ここにいること。
たとえば、誰もが知っているような「名作」の中に、
自分だけが見つけたのだと言いたいような新鮮さに出会って
衝撃を受ける、ということがある。
畑さんのこの一言に、その感触を思い出した。

「商売は『飽きない』から『商い』、みたいな言い方あるでしょう、
あれ、しょうもないダジャレやけど、
本当だなと思います。飽きるんですよ。
『すごい店』ってあるんです、
いつも開いてて、何年もずっとやってはる店がある。
そこはどうやって続けてはるんやろと思います。
20年も30年も。
そういうお店の方は、何回かそれをのりこえてはるんでしょうね。
でもほんとうに、どうしたら乗り越えられるのか、わからないんです。
どうしてるんでしょうね?」

たしかにこれは、ものすごく大変な問題なのだ。
実は、私も同じ気持ちになったことがある。
星占いを、もう10年以上も書いているけれど
最初の頃はまったく感じなかった倦怠を
ときどき、感じることがある。
「星占いのしくみ」という新書を、
鏡リュウジさんとの共著で出したことがある。
その巻末に、対談を載せたのだが
あのとき、鏡さんが
「時々、ホロスコープが、
何の意味も無いただの記号に見えてくることがないですか」
と言った。
私は「いえ、ないです」と応えたら、
鏡さんは、いつか、そうなるかもよ、というふうに笑った。
これがそうか、と、一昨年辺りから思うことがあった。
いつもそう、というわけではない。
でも、時々、それが来る。
私は、自分が疲れているのだと思っていた。
畑さんが言うように、旅に出ると、たいていは治る。

みんなどうしているのだろう。
「多分、お店なら、人に任せるんじゃないでしょうか」
と私は応えた。
畑さんは
「ああ、人に任せるんですね、そうか。
でも、僕はそれはダメなんです、
コーヒー屋は、マスターが店に立っていないとダメなんです。
僕が好きな店は、そういう店なんです。
みんな、ちゃんと立ってはりますわ」
畑さんはここで、大きな、
あきらめのような納得のようなため息をついた。
「ため息」は、悪いもののように言われることが多いが
畑さんのこのため息は、
明るくて、自分で自分を受け止めるようなため息で、
ちっともいやな感じがなかった。

「しゃあないですね、
自分が好きな店はそういう店ですもんね。
最近はあまりコーヒー飲みに行くこともなくなりましたが、
最初の3年くらいは、コーヒー屋ばっかり回っていました。
それだけのために旅に出たりとか」

その中で、記憶に残るお店はありますか、と聞いてみた。

「僕の中で、3つのお店があるんです、
ベストスリーというか。
尾道にある蛮珈夢(バンカム)さん。
先月閉まってしまったんですが、青山の大坊珈琲店さん、
福岡の美美(びみ)さんです。
みんな、30年以上、マスターが現役で立っておられる店です。
マスターがかっこいいんです」

家に帰ってから、3つのお店を調べたら、
大坊珈琲店は私も何度も行ったお店だった。
非常に古い建物で、お店も年季が入っていた。
年季の入ったお店は、入りづらいことが多い。
長い間にできたお店の習慣、小さなルールがたくさんあって
新参者を遠ざける感じがする。
でも、大坊珈琲店には、すっと入ることができた。
お店の名前さえ覚えないまま、
何度も入り、時間を過ごした。
あのお店の雰囲気と、畑さんの話と、
エレファントファクトリーコーヒーの雰囲気を照らし合わせると
畑さんが目指すものの一部が、ほんのちょっとだけ
垣間見えたような気がした。

お店には、どんなお店にも必ず、
その店独自のルールや理想があるものだと思う。
「ここではこうしてほしい」
という、目に見えない要求がある。
支払いや注文のシステムはその最たるものだが
他にも、たくさんで来るべきか、1人で来るべきか、
どこに荷物を置き、どこを通って席に着き、
どのくらいの時間を過ごし、
どんな振る舞いをすべきなのか、
目に見えない想定があって
それに沿っていないと、居心地が悪くなる。
そのルールがひらかれたわかりやすいものであるかどうか、で
お店に入ろうと思えるかどうかが決まる。
逆に、そのルールをとても厳しくすることで
新しい価値が生まれることもある。
大坊珈琲店は、そうした「蓄積されたルール」の存在を
ふと、感じさせることがあった。
でも、それによって、
一見に近い私が、排除されることはなかった。
当たり前の、町のコ−ヒー屋さんで、
ふらりと一人で入っても、ちゃんとくつろぐことができた。
古い歴史の中に埋もれてしまうことがなく「現役」だった。
老いも若きも、そこに馴染むことができるだろう
と思わせた。


「畑さんの言う『新鮮』って、おもしろいですね」
と投げかけると、畑さんはこう言った。

「最近、心をふるわせられるようなものって少なくないですか。
旅に出ると、新鮮なものを見て、それでワクワクできますよね。
どういうことが新鮮なのかなあ。
僕ね、60歳くらいになったら、
このお店を、いろんなとこでできひんかなと思ってるんです、
『今年は仙台でやろう』とか思ったら
それで、1年仙台でお店をやるわけです、
でも、そうなると、内装とかどうすんのやろなとか、
焙煎せなあかんなとか、
なにか特別なものにしないとお客さん来てくれへんなとか、
色々考えるんですけどね(笑)。
でも、飽きたら「今年はこっち行こう」とか、
そういうふうにできたらなーって、考えるんです。
60くらいになると、人と会うのもめんどくさいだろうと思うんです、
でも、移動すれば、自然に出会えるじゃないですか」

この感じは、私もよくわかった。
過去数年の中で、3回ほど「一箱古本市」に参加したからだ。
段ボールにひと箱分、本を用意して、それを売りに行く。
私は、新潟と、石巻と、福岡でそれをやったのだが
たった一日、本を販売するだけで
とてもその場所が好きになった。
旅行は、ただその場所を「通り過ぎる」ものだが、
一箱古本市では、店主として「その場所に居る」ことができる。
ほんのわずかにでもそこに「根がおりる」気がするのだ。
お客さんやスタッフの方との会話は
旅行客としてのそれとは、まったく違っている。

「新鮮であること」と、「根をはること」。
このあいだに、どうも
「かっこよさ」があるのではないか。
お店を出るとき、会計をする新居さんの後ろで
ふと、厨房の壁を見ると、
コーヒーチケットがたくさん張られていた。
よく見ると、窓の上にもそれがセロテープで貼られていた。
いつも来る店、根を張ること。
このチケット一枚一枚が、誰かの日々の「習慣」なのだ。
「常連として遇されるお店があるということが、かっこいい」
と誰かが言っていた。
私たちの毎日はおびたしい「習慣」でできている。
その「習慣」こそが、
人の仕草を作り、雰囲気を作り、姿を作っていく。
畑さんが「みとれてしまう」と言ったその人の姿はきっと
こういうチケットの連なりの、
一枚一枚がいつもと少しずつ違う、
新鮮な「いつもどおり」からできているのに、ちがいない。

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石井ゆかり(いしい・ゆかり)

ライター。星占いの記事やエッセイなどを執筆、独特の文体で老若男女を問わず人気を集める。著書に『12星座シリーズ』(WAVE出版)、『愛する人に』(幻冬舎)、『月のとびら』(阪急コミュニケーションズ)、『星の交差点』(イースト・プレス)など多数。

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