石井ゆかりの闇鍋インタビュー

第2回 篠原さん・その1

2014.04.08更新

「名前も知らない初対面の方にいきなりインタビューする」、
題して「闇鍋インタビュー」第2回目。
3月某日、ミシマ社の新居さんからカフェ・ジンタへという指示が出た。


「2回目のジンクス」。

世間には「2回目のジンクス」というのがある。
1回目は「ビギナーズ・ラック」的にうまく行くのだが
2回目というものは、なぜかうまくいかない
という説である。
多くのジンクス同様、
ハッキリ言って「気のせい」なのだが
私はどうもこの「2回目のジンクス」にハマリがちなのだ。
ゆえに、昔からどうにかこれを回避しようとして
工夫を凝らしてきた。

今回も実は、最初からそれを仕込んであった。
というのも、この企画を起ち上げたとき
最初に、三島社長と新居さんと3人で打合せをしたのだが
これを、記事としてアップしてもらったのである。
それを1回目とすれば、
1回目のインタビューは既に2回目であり、
2回目は3回目みたいなものになる。
「2回目」の意味をこうして「ブレさせる」ことにより
「2回目のジンクス」を薄めようとしたのである......!

私は気が小さいのだ。
しかし、気が小さいなら気が小さいなりに
こうして、何か策を弄せばよいのだ。
最近では開きなおってきた。

ということで
これは(私にとっては)第2回目ではなく第3回目なんだ......
と心の中で念じながら、カフェに向かった。


美しい顔。

カフェには私が一番乗りで、
すぐに新居さんがやってきた。
今日は社長もあとから来るという。
ほどなくして、社長ともう1人、男性が表れた。
小柄な、真っ赤なセーターを着た男性であった。
40代後半から50代くらいと思われたが、
穏やかさの中に、不思議な若々しさが感じられる。
そして、何より印象的なのはその顔であった。
端正な、とても美しい顔なのだ。

何しろこのインタビューでは、
相手に関する情報が一切、ないので、
無意識に、あれこれ想像してしまう。
一見して、
演出家とか、大学の先生とか、
「文化系の『先生』と呼ばれる人」
ではないかと思った。
会社員とか公務員とかそういう仕事ではないようだ
という気がした。

「よろしくお願いします」と、
とても穏やかに微笑みながら私の前に座ったその方は、
お名前を伺うと、名刺をくださった。
そこには
「ささの葉合気会 道場長 篠原拓嗣」
とあった。
合気道......体育会系だったのか!
私は篠原さんの顔を二度見した。
「文系の方かなと思いました」
と言ったら
「いえ、元は、理系だったんです」
と返ってきた。
ああ、そうか、数学やってるとかでも合うなあ。
でも、身体動かす系の、それも、先生なのか。
「前職は、研究職だったんです、
合気道もまだ、この3月で、丸4年目なんです」
「道場を始められて4年?」
「いえ、合気道自体を始めたのが4年前です」
「......それで、人に教えられてるということは、
免許みたいのをとって、とかそういう...」
「いえ、そういうのはとくになくて、
師匠が『教えていいよ』と言えば教えられるんです」

「武道の先生」というのは、
若い頃からずっと修行をして、苦労の末に
「免許皆伝」などとなると思っていた。
始めてから4年で人に教えられるまでになるのか。
私は武道については何も解らないのだが
勝手にびっくりしていた。
すると、横に座っている三島社長が
「篠原さんは去年500回以上稽古してはるんですよ」
と言った。
「それは、教えるお稽古ですか?」
「合わせて540と何回かでした。習うのが3分の2、教えるのが3分の1くらいです」
「540......っていうか、1年は365日ですよね?」
「はい、1コマ1時間半から2時間、みたいな感じで、
それを1日2コマとかやるんです」

篠原さんが道場を開いたのは、2012年の10月だった。
1年半ほど前のことである。
2010年4月に内田樹先生の道場に入門してから、
たった2年半ほどで、「のれん分け」的なかたちになったのだ。
それほどに熱心なお弟子さんだったということなのだろう。
三島社長とは、内田先生の道場で知り合ったという。
三島社長曰く、道場での篠原さんは
「とても穏やかで、淡々とやってはる」という印象らしい。
でも、篠原さんの辿ってきた道は
あまり「淡々とした」ものではなかった。


「転機」のありか

篠原さんが道場を開くに至ったのは、
それまでの仕事を辞めたのがきっかけだった。

1988年、コンピュータの勉強がしたくて一浪して京大に入学し、
博士課程の途中で、1997年に国立民族学博物館に就職が決まった。
ここは人文系の機関で、
それまでやっていたコンピュータ関係の研究をどう展開していくか、
ほとんど未知の世界だったが
当時、博士課程での研究に身が入らず、
ヒキコモリに近い状態だった篠原さんは
「就職して環境を変えれば、気持ちも変わるかも」と思った。
しかし、就職してから人間関係などのこともあって
さらに精神的には落ち込みがちになり、通院して服薬しつつ
家でネットゲームをしてほぼ、引きこもる状態に陥った。
ちなみに、この時点で既に、奥さんとお子さんがあった。
そんな状態だったが、
職場からは、まず博士号を取るように促され、
大学の方では「既に就職していて仕事もあるのだから」という配慮があって、
風当たりはおだやかだった。
篠原さんは当時について
「甘やかされた、みたいな感じですね」と笑った。

私は「そのとき、どんな心持ちだったんですか」と聞いてみた。
多分、焦りとか、自分を責める気持ちとか、
そういう膨大な感情が渦巻いていたのではないか、と
勝手に想像したからだ。
それを想像すると胸が痛いような気がしたし、
同時に、篠原さんが自分の中で、
そのときの気持ちをどんなふうに意味づけているのか、
そこに関心を抱いた。
しかし、篠原さんは、私の予想を裏切って、こう言った。
「うーん、よく覚えていないですね」。

研究も仕事もなかなか手がつかないまま、
低迷したまま日々を過ごすうち、
2006年、転機は静かに訪れた。
勤め先の研究センターが、まるっと京大へと移動することになったのだ。
篠原さんにとっては、就職して以来、
また京大に「戻る」かたちとなった。
篠原さんはここで「出直し」ができるという気持ちになった。
しかし、そう簡単に長年の迷走から抜け出せず
最初の1,2年はむしろ「精神的に一番落ちていた」という。

そんな、絶不調の2007年頃
「新しい出会い」があった。
きっかけはなんと、「メイド喫茶」であった(!)。
見たところ、そんなことしそうもない瀟洒な雰囲気なのだが
人は見かけによらないとは、このことである。
京都某所のメイド喫茶になんとなく、
平日昼間、ふらっと入ってみたところ、
そこで出会った「執事さん」と話が弾んだ。
彼女は池田ゆか里さんといって、
「シンガーソングベーシスト」として活躍をしていた。
彼女の「ライブやるんです!」の言葉に
「見に行きます!」と答え、
篠原さんは生まれて初めて、ライブハウスへとでかけた。
別に、音楽に興味があったわけではない。
メイドさんに興味があったのである。

しかし。
篠原さんはここで
「ライブハウスで音楽を聴く」
ことにはまった。
とくに、ゆか里さんと対バンしていたカンダウイさんにハマった。
このウイさんが参加しているという、
「表現者のためのワークショップ」の話を聞き、
「そこに行けば彼女に会える!」と踏んだ。
篠原さんは、ワークショップの主宰者に電話をかけ
あろうことか
「表現とかにはまったく興味ないんですが、参加してもよろしいでしょうか」
と問い合わせた(!)。
すると、電話に出た主宰者は
「人間は皆、表現者なので、問題ないです」
と答えた。

篠原さんはこうして、
心斎橋のライブスペース「ごろっぴあ秘密基地」で行われる
「表現者のためのワークショップ」
に参加するようになった。
ワークショップには、
ウイさんのように音楽をやっている人もいれば、
何もしていない人もいた。
篠原さんのように、どちらかと言えば
参加者のライブを見ていたお客さん
みたいな人もいた。
そこでなにをするかは、当日集まったメンツを見て、
主宰者のゴローさんとぴあぴさんが決める。
2人は「ごろっぴあ」として自らライブ活動もおこなうとともに 
CM音楽やテーマソングを制作したり、
ボイストレーナーやイベント制作をやったりする、
音楽関係の仕事に携わるユニットである。
篠原さんはこのワークショップに、毎週通うようになった。
そしてゴローさんを「歌の師匠」と呼んだ。

「ワークショップではどんなことをしたんですか?」
と聞いてみた。
「話したり、歌ったり、いろんなことをやるんですが、
ひとつ、印象に残っているのは、
私が「『力を抜く』という意味がわかんない」と言ったんです。
そうしたら、床に寝転がれと言われたので、
言われたとおり、寝転がりました。
すると、師匠が私の腕をぱっと掴んで、
そのまま腕をもちあげられて、
そこで、ぱっと手を離されたんです。
力を抜いていれば、持ち上がった腕はぼとっと床に落ちます。
でも、私はそれができなかったんです。
変な力が入っているんですね。
どうしてもこの「ぼとっと落ちる」ができない。
これは、その頃はそれだけ、
病んでいたということだと思います。
今でも、そんなふうに力が入ってしまうことがありますが(笑)」 

毎週やることは違うが、
ワークショップの冒頭では必ず、
「その週に起こったこと」を全員が語ることになっている。
しかし、最初はそれも満足にできなかった。
言葉がうまく出てこなかった。
このインタビューで、今まさに、
楽しそうにどんどん話してくれる篠原さんを見ていると
そんな姿は想像もできなかった。
それがたった数年前のことなのである。

このワークショップに毎週通っているうち、
篠原さんは、わずかずつだが、元気になっていった。
研究の仕事のほうも、真剣にやろう!
という意欲が湧いてきた。
そこで、仕事の方も「やろうとしてみた」。
しかし、その前の10年ほど、
ほぼ、研究も仕事も、まともにやっていなかったので
今になって、やろうとしてやってみても
もはや、やれるものではなかった。
研究者として積み重ねておくべきものが、
積み重なっていなかった。

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石井ゆかり(いしい・ゆかり)

ライター。星占いの記事やエッセイなどを執筆、独特の文体で老若男女を問わず人気を集める。著書に『12星座シリーズ』(WAVE出版)、『愛する人に』(幻冬舎)、『月のとびら』(阪急コミュニケーションズ)、『星の交差点』(イースト・プレス)など多数。

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