石井ゆかりの闇鍋インタビュー

第2回 篠原さん・その2

2014.04.09更新

たのしくてしかたがない。

ここで、篠原さんは悩んだ。
これから何をやっていくのか、どう自分を組み立てていこうか、
それを改めて、考えようとした。
「そういうような事を考えようとすると、
よくある話ですが、哲学書とかをまあ、読むわけです(苦笑)」
そのとき手にした一冊
『現代思想のパフォーマンス』(光文社新書)で
篠原さんは、内田樹先生と出会った。
この本を読んで「おっ」と思い、
そこから、内田先生の著作をざーっと、全部読んだ。

内田樹(うちだ・たつる)さんは、
思想家あり、合気道の師範でもある。
私は著作を読んだことはないが、
ネットで記事等垣間見ることはあって
「学者で、武道もやっている人」
というぼんやりしたイメージを抱いていた。

内田先生の夥しい著書の中には、合気道に関するものもある。
篠原さんは、合気道関係は、後回しにした。
なぜなら、運動全般がまったく苦手で、
「どうせ読んでも、わからないだろう」
と思ったからだ。
内田先生の本を読みに読み、最後にもう読む物がなくなって、
「しかたがない」という感じで、武道関係の著作に手を出した。
すると、予想外に「わりと、わかった」。

当時たまたま、内田先生が近くで稽古をしていることを知り、
篠原さんは意を決して、
「見学させていただきたい」
という熱いメールを送った。
朝までかけて書いた渾身の、長文メールだった。
ドキドキしながら返事を待っていると
「いいですよ。どうぞいらしてください」
程度の、ごくごくみじかい、簡単なメールが返ってきた。
拍子抜けしながらも、篠原さんは見学に行った。

正直、合気道自体には、あまり興味が無かった。
ただ「内田先生に会う(というか、見る)」ためだけに来た。
しかし、ただ見学しているだけなのに
篠原さんはもう、楽しくて仕方がなくなってしまった。
「何もわからないのに、
ただそこにいるだけでたのしかったんです」
と、篠原さんはニコニコして言うのだ。
あまりの楽しさに、すぐ入門を申し込んだ。
2010年4月、篠原さんはこうして、合気道を始めた。


「真に受ける」タイミング。

歌の師匠に出会い、合気道にも出会って、
気持ちが変わってきた。
その中でやっと、仕事にもやる気が湧いてきて、
仕事にちゃんと向き合おうとして、はじめて
「もう、この仕事はできない」ことがわかった。
篠原さんは、仕事を辞めることにした。
内田先生にも、歌の師匠のゴローさんにも、
仕事を辞めることを伝え、
しかし、合気道は続けたい、ということを宣言した。

2012年の春、センター長との面談があり、
「これからどうするつもりか」と聞かれて
「辞める方向で考えています」と答えると
「今すぐ辞めろ」と言われてびっくりした。
あと1年、年度の終わりまではいるつもりだったのだ。
同席していた周囲も慌てて
「いやいや、今すぐというのは乱暴です」
ととりなし、結果、前期いっぱいまで在籍することになった。
退職となれば、宿舎も出なければならない。
このとき
「引っ越すなら、凱風館(内田先生)の近くに、と
決めてました」。

合気道の稽古のあと、いつものように、
みんなで道場の雑巾がけをしていたとき、
内田先生もいっしょに雑巾をかけながら、
篠原さんに声をかけてきた。
「篠原さん、次の仕事決まった?」
「いえ、まだです」
これを聞いて、内田先生はこう言った。
「道場を始めたらどうですか?」

このとき、篠原さんはまだ「1級」であった。
しかし、秋で初段に昇段する見込みである。
そこからはじめればいい、と内田先生は言った。
篠原さんは、1日考えた。
もとい、考える前に、答えは出ていた。
合気道を始めてたった2年半だが、
道場を開くことに決めた。
このことを歌の師匠のゴローさんに伝えると、
とても喜んでくれた。

あとで聞いたところによると、内田先生は、
だれにもけっこう平気で
『道場始めれば?』と言うのだった。
本人曰く
「時々いるんだよね、そういう、
僕の言うこと真に受けて、人生変えちゃう人が」なのだった。
しかし篠原さんはこう言いながらも
嬉しそうで、満足そうだった。
といっても、内田先生は決して
イイカゲンにそういうことを言うのではない。
「世界70億人が合気道をする」ことを目指し、
さらに「教えることが何よりお稽古になる」。
内田先生が門人に道場を持つことを勧めるのは、
そういう信条からだ。

篠原さんは、道場を始めることにした。
平日の午前中、市営体育館を借りた。
最初は40代〜50代の女性3人、70代の男性がやってきて、
ほかに、現役の競輪選手や元自衛官、ピラティスの先生など、
身体を動かす仕事の人も参加するようになった。
また、大学の先生や日本語学校の先生など、
普段「先生」と呼ばれる人々も、篠原さんのお弟子さんに加わった。
お弟子さんに教えるだけでなく、
篠原さん自身、引き続き内田先生の稽古に通った。
篠原さんにとって、稽古は、楽しくて仕方がない。
「楽しすぎて、笑ってるらしいんです。
『わらいすぎ』と怒られるんです」
と、篠原さんは楽しそうに笑った。
合気道では、感情を見せてはいけないらしい。
でも、顔がほころんでしまう。
それほど、楽しい。

私には、そんなに楽しいことって、あるだろうか。
そう思ったら、篠原さんが羨ましくなった。

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石井ゆかり(いしい・ゆかり)

ライター。星占いの記事やエッセイなどを執筆、独特の文体で老若男女を問わず人気を集める。著書に『12星座シリーズ』(WAVE出版)、『愛する人に』(幻冬舎)、『月のとびら』(阪急コミュニケーションズ)、『星の交差点』(イースト・プレス)など多数。

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