石井ゆかりの闇鍋インタビュー

第3回 脱線編 紙谷さん・その2

2014.05.13更新

*その1はこちらから

「美しさ」を「証明」すること。

紙谷さんは、大阪出身だ。
大阪弁にしてはやわらかい感じがするのは
女性に関わるお仕事をされているからかな、と思った。

「僕の家は母子家庭で、
母親が苦労して僕を育ててくれたんです。
母親が着飾ったところを、
僕は見たことがないんです。
一生懸命に働いている姿を、
きれいだ、と思った記憶があります。
家族のために頑張っているのを、
『美しい』と感じたんです」

「たとえば、女性は『恋をすれば美しくなる』と
よく言われますが、
ホルモンのことなんかもあるかもしれないけれど、
誰かを好きになれば、まず表情が変わります、
着るものも、お化粧とかも変わる。
それは、つくりものの美しさというのではなくて、
愛情があるからそうなるんだと思うんです。
その人が誰かを愛したときに、
自然に、愛されるように変化していくんです、
それがうつくしいと思うんです」

紙谷さんは、資料としてたまたま持っていた、
オードリー・ヘップバーンの写真集を出して、
あるページを開いた。

「僕は、オードリーのこの写真がいちばん好きなんです」

それは、彼女が落馬事故でケガをして、
入院しているときの写真だった。
微笑みを浮かべて、撮影者の顔を見上げている。
キャプションによれば、それは、
家族の手で撮られた一枚だった。
「他人に見られるためにかたちづくられた顔」ではない。
おそらく、自分がケガをしていながら、
家族を安心させようとして見せた笑顔だった。

「僕はそういう美しさを、
形にして、証明したいんです。
そういう美しさが『ある』ということを証明したい。
生き方とか、存在の美しさ、
そういう本当の美しさは、あるんです」

極論すれば、こういうことだ。
すなわち、
みんな、本当は、
内面の美しさなんか誰にも見えないし、
意味がないと思っている。
女優のように、モデルのように見た目が美しいことだけが大事で
他の美しさは、たとえあったとしても、
価値はないし、誰も見つけてなんかくれないのだ、
と思っている。
ダイエットをして、化粧をして、綺麗な服を着て、
それで、美しくあらねばならない。
幾つになっても、10歳も20歳も若く見られなければならない。
見えないものから、そうけしかけられるようにして生きている。
でも本当はそうではない、と紙谷さんは言うのだ。

ティアラは、それをつける本人のオーダーで作ることもあれば、
パートナーから贈られることもある。
たいていは、パートナーにも、新婦のイメージを聞く。

「ティアラを作るとき、
相手の女性の良いところや美しいところを聞きます。
そこで、容姿のことを言う人は、ほぼ、いません。
彼女の好きなところはどこですか、と聞いたとき、
僕が覚えている限り、
相手の外見のことを言った人は、一人もいませんでした。
外見がきっかけで惹かれることはあっても
外見が理由で結婚する人は、ほとんどいないんです。
中には、『彼女の好きなところは』と訊いたとき、
どうしてもそれが出てこない人もいます。
そういう人は、結婚式をあげるまえに、
結婚の話自体がなくなったことがありました(笑)」

相手のすきなところはどこですか?
という問いへの答えは
ほんとうに、千差万別だという。
確かに、単純に「顔」「スタイル」と結婚する人間はいまい。
いや、中には、いるかもしれないけれど
(けっこういるのかもしれないけど)
自分の「顔」「スタイル」を理由に結婚を決断してほしい
という人間が、そもそも、少ないだろう。

「僕は、ティアラの展覧会をやりたいんですよ、
いろんな女性、有名人でもいいんですが
いろんな人たちをイメージしたティアラを作って、
それがこんなに違った美しさになるということを、
ばーっとならべて、見せたいんです。
それで、人が『美しい』と思うものは、
人によってこんなに違うのだということを、証明したいんです。
ティアラという『形』があると、
それを比較することができるじゃないですか、
優劣ではなく、こんなにいろんな、違った『美しさ』がある、
ということです」。

紙谷さんが作ったティアラをつけた姿を見て、
新郎はたいてい、「とても彼女っぽい」と驚くそうだ。
女性自身よりも、男性の方の反応が「濃い」という。
その人「らしさ」というのは、たしかに、
自分自身では、わかりにくいものなのかもしれない。


「美しさ」と「悲しみ」の表裏。

「美しい」というのは
妙な感覚だなあ、と、私はかねがね、思っていた。
なぜ人間は、なにかを「美しい」と感じるのだろう。
花が美しく見えるのは、鳥が美しく見えるのは、
ヒトが生きて殖える上で、何の役に立つのだろうか。
星が美しく見えるのは、何の役に立つのだろうか。
ある学者の仮説によれば
「色の白い、金髪の女性が好まれるのは
色素が薄い方が健康かどうかの判断が容易で
生殖に有利だからではないか」
とのことだった。
でも、現実には「儚げな人」が好まれることがある。
一昔前には「病弱な人」「すぐ気絶する人」が
憧れられたこともあったようだ。
か弱さや儚さが、生殖の何の役に立つだろう。
悲恋を「美しい」と感じる私たちの感覚は
大いなる謎のように思える。

満開の桜とか、西日に透き通る紅葉とかを目にして
私たちはそれを「美しい」と感じる。
そのとき、胸の中には、悲しみによく似た感触が生まれる。
「美しい」は「悲しい」と似ている。
古い言葉では「かなし」は「愛し」だった。
悲しみは、生命力の反対側にある感情のように思われる。
私たちは、悲しいとき、たいてい、やる気が出ない。
誰かを好きだと思うときにも
私たちは、痛烈な切なさを感じることがある。

紙谷さんは、ティアラについて、こんなことを言った。
ティアラは、壊れやすいのだ。
繊細で、ちょっと力をいれれば、すぐに崩れてしまう。
それと似て、幸せや美しさというものは、壊れやすい。
壊れやすいからこそ、輝かせたい。
形がないからこそ、形にしてみたい。
紙谷さんは「証明したい」という言葉を、何度も使った。
あるかないか、わからない。
だから「証明したい」という思いが生まれるのだろう。
そこには、痛烈な悲しみが隠されている。

そういえば、結婚式には
笑顔と同時に、涙もつきものだ。
私たちは、悲しいときにも泣くけれど
嬉しいときにも、涙を流す。
流されそうになりながら、
失われそうでありながら、
今にも壊れそうでいながら、
私たちはそこに、何か美しいもの、輝くもの、
長く続けと願うようなものを打ち立てる。
崩れそうな自分を律し、
大きな流れに飲み込まれそうな自分を引っぱりあげようとする。
脆いからこそ、両手で守られなければならない。
見えないからこそ、見いだされなければならない。
紙谷さんが「証明したい」と言うのは
そういうことかもしれない、と思った。

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石井ゆかり(いしい・ゆかり)

ライター。星占いの記事やエッセイなどを執筆、独特の文体で老若男女を問わず人気を集める。著書に『12星座シリーズ』(WAVE出版)、『愛する人に』(幻冬舎)、『月のとびら』(阪急コミュニケーションズ)、『星の交差点』(イースト・プレス)など多数。

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