石井ゆかりの闇鍋インタビュー

第8回 山田さん・その1

2014.11.24更新

待ち合わせの場所に行ってみるまで誰に話を聞くのかわからない、
スリル満点のインタビュー企画第8弾は
第1回目の場でもあった京都の河原町蛸薬師、
エレファントファクトリーコーヒーで行われた。
5分前に着いたつもりだったが、
既にミシマ社新居女史とインタビュイーは席にいた。
ブルーの、不思議な柄のワンピースを纏った女性である。
むきたてのゆで卵のような、つるんとした肌で、
透明感のある人だなあ、と思った。
すぐに名刺をくださった。
朝日新聞出版、書籍編集部の山田京子さんが
今回のインタビュイーである。
編集者さんだ。

かくいう私はライターで、
編集者さんは大変身近な存在である。
というか、よく考えると、仕事に関しては
ほとんど編集者さんとしか話をしていない。
雑誌の編集者さん、書籍の編集者さん、
立場は色々だが、とにかく編集者さんに原稿を投げるのが
私の商売の中心である。
なのに、というか、ゆえに、というか、
編集というお仕事それ自体についてつっこんだ話を聞くことは
ほとんどないのである。
企画を出したり、文章を出したり、ネタを出したりするのが私の仕事で、
編集者さんは、それを「ふんふん」と聞いて下さり、
「じゃあ、それにしましょう」とジャッジして下さる存在なのである。
そして最初に原稿を読んでくれて、
ほめたりけなしたり元気づけたりし、
ここを直して下さい、長すぎるので削って下さい
など、指示をしてくれる存在なのである。

これは、なんとなく「先生」に似ている。
子どもの頃、作文とか読書感想文とかを書かされたときと
ほぼ、同じことなのだ。
子どもは作文を書き、先生がそれを見て赤字を入れたり、
褒めたりけなしたりする。
文筆家は「先生」と呼ばれることが多いようだが(私は拒否しているが)
起こっていることを考えると
編集者さんの方がずっと「先生」らしいことをしている、
ような気がする。
原稿を送信すると、
編集者さんがそれを読んで感想をくれるまで
私はハラハラドキドキしつづけて
いつもより多めにメールチェックをすることになる。
これは、何度やってもいっこうにかわらない。

子どもが先生に「先生業」についてつっこんだ話を聞かないのと同じで
私もいままで「編集業」について、つっこんだことがなかった。
何しろ編集者さんは忙しいので
早く話を終わらせようと、遠慮してしまうところもある。
今回はそれを遠慮しないで聞けるのだ。
これはいい。

山田さんは普段は、東京築地のオフィスで仕事をしている。
この日は「京都本大賞」で
彼女が担当した本が見事、大賞を受賞し、京都にいらしていた。
「京都本大賞」と聞いて、
私は「そうか、京都のガイドブックとかそういうのの賞か」と思ったが
そうではなく、
京都を舞台にした作品を対象とした、
京都の書店さん有志で起ち上げた「本屋大賞」みたいなものだ
とのことだった。なるほど。
受賞作は森見登美彦さん著『聖なる怠け者の冒険』である。
タイトルに既視感があったので、聞いてみると
『聖なる酔っぱらいの伝説』という本のタイトルを下敷きにしていた。
『聖なる酔っぱらいの伝説』は短編小説集で、つい先日、
ちょっとしたきっかけで入手していたので、ひそかに驚いた。
本が受賞しても、編集者の名前は書籍には入らない。
「あとがき」などで著者が触れれば別だが、
編集者の名前がクレジットされることはほとんどない。
私はかねがね、これはおかしなことだと思い続けている。
人によってやり方はちがうだろうが
私の経験上、編集者は、チームの監督みたいなものだ。
プレーしたのは作家やデザイナーやイラストレーターかもしれないが
監督はやはり、胴上げされてしかるべきではないか。

しかし、山田さんは話している最中、
何度も「緊張する」と苦笑いをした。

「自分のことを話すのは、よくないな! 
と思ってしまうんです。罪悪感というか。
編集者は、陰に回るものだと思っているので、
自分のことを話すというのが、
自分の中で、整理がつかないですね(笑)」


エントリーシートというトラップ。

山田さんが編集者になったのは、
社会人2年目のことだった。
最初は印刷会社に就職した。
学生時代からずっと本が好きで、出版社に入りたいと思っていた。
しかし、入社試験を受けるに当たって、
「エントリーシート」なるものを書かされる。
そこには、自分の特技やアピールできることを書かなければならないが、
山田さんには、なにも書くことがなかった。

「出版社のエントリーシートに書くことが何もないので、
結局、応募自体、しませんでした。
それで一留して、印刷会社に就職したんです。
印刷会社はエントリーシートとかなかったので。
でも、本を印刷するわけだから、
出版業界ではある、と思ったんですね(笑)」

しかし、印刷会社での勤務は、長く続かなかった。

「車の運転を覚えて辞めた、みたいな感じでした。
募集要項が『要普免』となっていたので、
急いで車の免許を取って入社したら、
配属されたのが営業だったんです。
都内の道路を走り回って、入社2日目から高速に乗りました。
道がわからなくて、本当に大変でした。
会社に『環七から出られません!』って電話をかけて、
『いま何が見える? いいから、とにかく横付けしろ!』とか言われて(笑)」

埼玉にある予備校の問題集を一手に請け負っていたため、
しょっちゅう蕨市まで車を飛ばした。

「お昼ご飯を食べて、それから埼玉まで高速でいくと、
途中で寝そうになるんです。
ふわっと、意識が薄れていくので
『あ、このまま続けてると、死ぬな......』と思って、
それで辞めました(笑)」

印刷会社では、出版社の人と話す機会がけっこうあった。
ある人から、入社試験を受ける形ではなく、
まずバイトで入ってそこから編集者になる道もある、と教えてもらった。
そこで、バイトとして幻冬舎に入った。
幻冬舎は当時、新卒の採用がなく、すべてバイトから採用していた。
最初はコピー取りやお茶くみ、電話取りからのスタートだった。

幻冬舎に入ってから二年ほど経った頃、ある本に出会った。
新潮社のファンタジーノベル賞を受賞した『太陽の塔』である。
面白い! と思うと同時に、
この著者の本を出したい、と強く思った。
山田さんはこのとき、実用書の部署にいたし、
文芸書を担当するなど「まだ早い」という段階だった。
しかし、山田さんはどうしてもやりたかった。
そこで、3カ月くらいかけて、周囲を説得した。
文芸もやれる部署に異動させてもらい、
著者の森見さんに会いに行った。
会いに行くときは上司も一緒だった。
当時25歳、ほぼ「ワガママを通す」ようなかたちだったのだ。
『太陽の塔』の著者、森見登美彦さんは、山田さんと同年代だった。
山田さんの情熱はみごと、実を結び、
『有頂天家族』が刊行された。
私はこの作品を読んだことはないが、
仕事の打合せで幻冬舎を訪れたとき、
アニメ化された『有頂天家族』のポスターをたびたび
目にしていたのを思いだした。


(つづきます)

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石井ゆかり(いしい・ゆかり)

ライター。星占いの記事やエッセイなどを執筆、独特の文体で老若男女を問わず人気を集める。著書に『12星座シリーズ』(WAVE出版)、『愛する人に』(幻冬舎)、『月のとびら』(阪急コミュニケーションズ)、『星の交差点』(イースト・プレス)など多数。

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