石井ゆかりの闇鍋インタビュー

第9回 脱線編 阿藤さん・その2

2014.12.16更新

「動かすもの」だからこそ必要な、設計図。

このインタビュー(というか、ほとんどお互いに話し合う雑談みたいになっていったのだが)の前に、
私は、阿藤さんの新しい戯曲を読ませていただいていた。
ト書き(脚本に書かれる、台詞以外の部分)は、真っ暗な舞台に光が現れ、
登場人物が登場するところから始まる。
演劇を鑑賞する人間には少なくとも、
情報としては、それしか目に入らない。
しかし、それだけの場面について、
綿密なト書きがなされている。
そのシーンのイメージが、ごく文学的に、詳細に、
魂を込めて書かれているのだ。
そのことについて、聞いてみた。

「ト書きって、妙な物だなあと思ったんです、
あれは、作り手しか読まないわけですよね、
あれだけ詳細に情景が言葉で書き出されているけれど、
劇を見ているお客さんには、その情報はいっさい伝わっていない。
なんというか、そこに『答え』があるみたいな感じもするんです。
答えは教えてもらえないまま、隠されている、みたいな」

「以前は、俳優とスタッフのためだけに書いていたので、
その頃のはほんとうに作り手しか読まなかったわけですが、
戯曲が活字になったら、けっこう、みんなが読みます。
ト書きは、私が稽古のときにそこにいてやっている場合は、
なくてもいいかもしれないけど、
私が居ないところで演じる人には絶対必要だから、
そのことを思って書いてるところもあります。
ちょっと以前は、特に演劇に興味がない人たちも、
チェーホフとか、シェイクスピアとか、
戯曲を普通に、文学として読んでいたんですよね。
いまはそうじゃなくなってますが、、
みんなまた、戯曲を読むようになればおもしろいのに、と思います」

「あと、ト書きは自分のために書いてるところもあります。
ホン(台本)を書くのは、稽古に入る数カ月前なので、
実際稽古に入って、やりはじめると、
自分でも最初に思い描いていたイメージを忘れてしまうんですね。
もちろん、俳優とやりとりしながら稽古していくうちに、
最初にイメージしたものとはどんどんちがったものになっていきます。
実際の上演はホンのとおりにいくわけではなくて、
さらに、ホンと、一回一回の上演とが、
まったく別の世界として、パラレルワールドみたいになっていて、
決して同じではないんです。
そうやって変わっていくからこそ、逆に、
設計図が必要になるんです。
だから、ト書きの文体はすごく大事にしています。
照明家とか、音楽家には、それがすごく大事だし」

変わっていくからこそ、設計図が居る、
というのは、おもしろいなと思った。

「ホンって、スカスカに作ってあるんです。
そこにいろんなものを入れられるように。
それは、建築と似てるかもしれません、
人が住むと、家はどんどん変わってしまいます。
住んだ人が汚してしまうし、
リフォームしたり、想定外の使い方をしたり、
がらっと変わってしまうこともあります。
演劇もそれと同じで、
作り手によって変わるし、
さらに、見る人がまたその中に住んで、
自分のものにしていきます。
演劇ってきっと、触って動かしてやらないと、
機能を果たさないようなものなんです」

最初はスカスカに作ってあって、
そこにいろんなものを入れて、
自分のものにしていく。
そして、動かしていく。
これは、私が普段書いている占いの文章にも
ちょっと似ているな、と思った。
私の占いは、抽象的だとか、わかりにくいとか、
よく言われる。
それは、私の筆力が悪いところも多々、あるのだが、
どこか
「中に住んでもらうためにスカスカにしている」
ような部分もあるような気がする、と思った。
少なくとも、私には、
ホロスコープというものが、そういうふうに見える。
ホロスコープとは、星でできた時計なのだが、
つまり、時間というものが
「人が住んで動かすためのもの」
だというイメージなのかもしれない。


はかりしれないこと。

「最近、私はいろんな小さな会をやってるんです、
戯曲を声に出して読む会とか、その場でお話をつくるライブとか。
私自身のためにそれはやっているので、
ミュージシャンの方の出演とか、ギャラが発生する時以外は
入場料はいただかずに、人に集まっていただいて、色々やってるんです。
で、その中に、毎回必ず来てくれる人がいるんです。
ちゃんと仕事もあって、忙しいのに、
必ず毎回来てくださる。
私は、これはお礼をしなくちゃ、と思って、
最初のうちは、ごはん作ったり、色々してたんです。
でも、あるとき、
『あの人が毎回来てくれるのには、
私にははかりしれない大切なことがあるからなんだろう、
何か私にはわからない楽しいことがあるから来てくれているので
だったら、来てくれてありがとうございます、だけでいいんだ』
と思いました。
それからは、なにか会をしたときにも、
来てくださる人に対して
『何を受けとってくれているんだろう?』
とは、考えないことにしようと思ったんです。
自分は自分のためにやっていて、
来てくれている人は、
来てくれているんだから、きっと面白いんだろう、って。」

私にははかりしれないこと。
「はかる」は、おもんばかる、想像する、ということだ。
想像して「このくらいなんだろうな」と理解する、
そのことが、できない。
たしかに、そうだと思った。
たとえば一枚の絵を見て、一曲の音楽を聴いて、
ある人の心の中に何が起こっているか、など、
他人には絶対、「おもんばかる」ことは不可能だ。
それが、たとえ画家や演奏家であっても、
それを受けとった相手の中に何か起こるかなんて
絶対にはかりしることはできないのだ。
それを想像しようというのは、
むしろ、傲慢なことなのだろう。

たとえば、誰かと会うときにも
そのことは当てはまる。
私が誰かと会って、
そこで相手が何を受けとり、あるいは奪われているのか、
私には、はかりしることができない。
目の前にいる阿藤さんにも
私が彼女との時間でいま、何を受けとっているのか
それを隈無く知ることは不可能だし
私も、すべて言葉にして説明したりできない。

「お金のことも、それで、
考え方を変えようと思いました。
最近は人の時間を、時給で語ってしまうことが多いように思います。
自分の価値まで、時給で換算したりする。
事故の裁判なんかで、
この人が生涯で稼ぐはずだったお金はいくらで、
精神的被害を換算するといくらで、というようなことは、
ほんとうに、どうしようもなく便宜的にすることはあります、
でもその理屈を、他の、普通の生活や労働の中にまで持ってくるのは
それは全然間違ってると思います。
私たちが生きているということは、つまり、自分の時間ということで、
その時間をお金だけで換算しようとするのは、
命をお金で考えていることになる。
でも、命をお金で考える世の中って、
絶対におかしいと思う。
だから、あるお芝居のチケットがいくらになるか、ということが
そういうふうに決まるなんてことはないんです。
絶対的に決まるものではない。
お金って、何か別の次元での、流れみたいなもので、
流れてくるのなら、それを受けとろう、
というふうに思うようになりました」


    

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石井ゆかり(いしい・ゆかり)

ライター。星占いの記事やエッセイなどを執筆、独特の文体で老若男女を問わず人気を集める。著書に『12星座シリーズ』(WAVE出版)、『愛する人に』(幻冬舎)、『月のとびら』(阪急コミュニケーションズ)、『星の交差点』(イースト・プレス)など多数。

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