石井ゆかりの闇鍋インタビュー

第9回 脱線編 阿藤さん・その3

2014.12.17更新

滅亡しないために。

阿藤さんは、自分は本気で、
世界平和のために仕事をしている、と言う。

「こういうことを言うと絶対オカシイと思われるんだけど、
でも、本気でそう思ってるんです。
子どもの頃から世界の平和のために仕事がしたいと思っていた。
この世の中に足りないものを生み出したい、
という気持ちで仕事をしています。
あのね、私は、狂信的な犯罪者みたいなことを考えてるんです、
相手の脳内に手を突っ込んで、パッ! と、
なにか変えようとしてる(笑)」

阿藤さんはそう言って、妖怪みたいな手つきをした。

「世界平和って言うと、みんな誤解するんだけど、
みんなで仲良くして、にこにこして、手を繋いで、
なんて、そんなもんじゃないんです。
みんな仲良く、なんて、そんなの絶対平和じゃない、
もしみんな仲良くにこにこしていたら、
絶対その影で誰かが泣いてます。
平和っていうのは、問題がボコボコ出てきてる状態で、
みんなでぶつかり合ってる状態だと思う。
ぶつかり合っても、相手が生きていることは絶対否定しない、
それが、平和です。
死んでしまえ、ということがない。
立場がちがっても、意見が違っても、
決して相手を殺さないんです。
ぶつかり合って、言いたいことを全部言って、
解決しないんだけど、決して殺さない。
だから、平和な世の中は、みんなものすごく口論してるんです。
何も問題が起きない状態が平和なんじゃない、
関わりたくない人や見たくないものが、
みーんな表に出てきます。
解決できない問題が、見えるところに山積みになっていて、
みんなが、その問題に対して
何もしてあげられない、っていう悩みを抱えながら生きている、って
それが平和な状態だと思うんです」

「いまは、多くの人が、
他人をわかってあげられない、ということに耐えられない。
だから、平和じゃないんだと思う。
100回質問して、100回わからないって言われて、
それでも大丈夫なのが、平和。
あらゆる人とそれをやらなきゃいけないんです、
家の中でも、外でも、職場でも、回りの人とも。
だから、平和な世の中は、
みんなちょっと不満げで、不機嫌だと思う。
誰も合わせてくれないし。
『あわせてくれているわけではない』から、
もし、意見が合う人と出会えたら、
すごく感動するでしょうね。
もう、すぐ、一緒に暮らしましょう! ってなるくらいに(笑)」

阿藤さんは、勢いよく、そう語った。

阿藤さんの言葉を聞いていて
私の心に浮かんだのは、台風の日のことだった、
あの、圧倒的に大きな渦巻きが人の生活を飲み込んで何もなくしてしまう、
そういう大きなエネルギーのことを思った。
2012年、世界が滅亡するという予言を多くの人が信じた。
ノストラダムスの大予言を信じた人もたくさんいた。
この世が滅びる、という予言は、人の心を捉えて放さない。
それは、人の心がどこかで、密かに、
そういう「終わり」を待ち望んでいるからではないのか
と、私はずっと想像してきた。

阿藤さんの言葉は、太陽のようだ。
彼女の話を聞くに連れて、
私の心には濃い影が落ちるようだ、と思った。
それは、反論や疑問ではないし、いやな思いでもない。
ただ、光が強まれば強まるほど連動して濃くなる影を起ち上げて
それで、世界をひとつ完成させようとするような、
そんな願望だったかもしれない。

世界が滅亡する、というイメージは、人の心を捉えて放さない。
それは、私たちが日常的に抱えている苦しみを
一瞬で「チャラ」にしてくれる力を持っているからかもしれない。
そう言ってみると、阿藤さんは、
そうそう、『希望は、戦争』という一文がちょっと前に、
すごく話題になりましたよね、と言った。
苦しい社会生活に希望が持てない若者たちが、
社会を「流動化させる」戦争を待ち望む姿がすなわち、
「ネットウヨク」だというのだ。

私は、少女の頃読んで、いまも大事に持っている
『死体の文化史』(下川耿史著 青弓社刊)という本の話をした。
その本には、今まで見たこともないような戦争体験が語られていた。
戦争から帰ってきた兵士が、密かに
「もう一度戦争に行きたい」
と語るのだ。
誰にも言えずにいた、戦争で感じた陶酔や充実が、
その本では生々しく語られていた。
何か他の不満や不都合の代替物としてではなく
戦争を求める人の心情が語られていた。
ここに詳しく書くのが危険に思われるほど鮮烈な内容で、
10代だった私は強い衝撃を受け
その本が自分の価値観の原点の一部となっているような気もしている。
その本に書かれていることが果たして事実なのかどうか、
私にはわからない。
ただ、物事は何でも、一面だけではない。
もう一つの面が、どこかにある。
阿藤さんが
「みんな仲良し、の影ではかならず、誰かが泣いている」
と言ったように。

「『アルマジロ』という映画があるんですが、
それは、アフガニスタンに派兵されるデンマーク人の若者の話なんです。
何で戦争に行くの? と聞かれると、
彼等は『沢山のことを学べる。大きなチャレンジだし、冒険でもある』
って、ある種、スポーツみたいな感じで捉えてるんですね。
で、戦争に行って、帰ってくれば英雄になれる。
彼等はそもそも、社会にあまりなじめない、
どちらかといえばドロップアウトしてる感じの人たちなんです。
普通の社会にいても、生きているという感じがしない、
それが、戦場に行くと、生きてる感じがするわけです。
武器も一杯あるし、だだだだっとマシンガンで人を蜂の巣にしてしまう。
そういうことは、たしかにあるかもしれません」

阿藤さんの話は、私の思い浮かべていたこととは少しずれていた。
けれども、私はそれを、上手く言葉にできなかった。
私が疑問に思い続けているのは、
果たして「代替」はあるだろうか、ということだ。
一つの欲望を、他の欲望に変換することはできるのだろうか?
ゴマカシはできる。
たとえば、ごく卑近な例で言えば、
性欲を食欲で埋めるみたいなことはあり得るだろう。
睡眠不足の人も過食気味になるらしい。
しかし、攻撃欲求や支配欲求のようなものがもしあるとして
それを、本質的に他のものとすり替えることは、可能なのだろうか。

「生きているということは、
絶対に肯定されなければならないんです。
このままだと、人類は滅亡するって、私は本気で思ってるんです。
それをできるだけ、遅らせたいと思っているんです。
世界平和は、ものすごく困難なことだと思う。
でも、人間が人一人、すべて生きている、ということは、
絶対に認められないといけない。
私たちは人間の視点からしかものを見ることができないから、
人間が滅亡しないようにする、ということを目標にするしかないんです」

阿藤さんが言っているのは、
理性によってそうすべきだ、ということだ。
権利や、目標や、理想なのだ。
それは、人間の可能性のことであって、
人間がもともとどういう存在か、
ということとは、
別のことのようにも思える。
しかし、ここで厄介なのは
人間が変化し続ける生き物だという点だ。
現代の科学の知見では
サルから人間に進化した、ということになっている。
もともとどういう存在か、
などということが
そもそも、ナンセンスなんだろう。


二人の罪人。

私の好きな「モンテ・クリスト伯」という作品の中に、
1つの寓話のようなシーンがある。

二人の死刑囚が、断頭台に連れて行かれる。
二人はすでに観念していて、
おとなしく刑吏に引かれて歩いていく。
そのとき、突然役人が現れて、
片方だけが恩赦を得、死刑を免れることになった。
すると、恩赦を得られなかったもう一方の死刑囚は、
猛然と暴れ出した。
「なんで俺だけが死ななければならないんだ! 一人で死ぬのは嫌だ!」

モンテ・クリスト伯はこれを見て、
なんとあさましいことか、と歎息する。
仲間が助かったことを喜ぶどころか、
他人の死をあくまで望んでいるのだ、と。

私は、これを読んで、
もし、自分が二人の死刑囚のうちの一人だったら、
と想像することがあった。
私が恩赦を得られず死にゆくほうだったとしたら、
理想の私であり得るならば、
もう片方が死なずにすんだことを喜んでやりたい、と考えた。

この話を阿藤さんにしたら、
阿藤さんは俄然、彼の味方をした。
一方だけが助かるなんて、それを知らされるなんて、
残酷すぎる、というのだ。
「なんで俺だけが死ななければならないんだ!」
というのは、本当にその通りで、全然間違っていない、
そう叫ぶのが人として正しいのだ、と阿藤さんは言った。

「自分だけ死ぬのはイヤだ、って思うのが正しいです、
生きていることは、絶対に認められなければならないんです。
自分はどうなってもいいんだ、なんていう人には、
何もできないんです。
それでは、世界平和にはならない。
私は、生きている身体の間は、
抗う自分でいたいんです。
生きていく方に向かって、
生きることをさえぎるものに抗っていたい。
それが人権というものだから」

ゴネる子どもでいようと意を決した私は、それでも抵抗した。

「でも、もし、恩赦になった相手が恋人だったら、
生きててくれて良かった、って思うでしょう、
私の分まで生きてね、って。
だったら、他人であっても、そう思うのが善じゃないでしょうか」

「それは、おもうでしょうね。
でも、そんなふうに思えるような人が
そもそも死刑になるようなことするかなあ......
いや、私はその前に、死刑廃止論者なので!(笑)」

なるほど。


続く。

夢中になって話を聞き、そしてゴネているあいだに
あっというまに三時間が経過していた。
ここに書いたことの何倍もの話をしていたため
今回はいつにもまして支離滅裂なまとめになってしまって
申し訳ない。

今回の話の内容そのものを受けて、
さらに、ここに書き切れなかった話や、
もうひとつ、彼女に聞きたかったテーマのことを考えて、
私は一つの企画を、
かねてからお世話になっている、
新宿朝日カルチャーセンターさんに持ちかけてみた。
それは言わば、
このデジタルの画面から飛び出した
リアル「闇鍋インタビュー」である。

 新宿朝日カルチャーセンター
 特別講座「『運命』を考える - 話、演劇、星」

 2015年1月17日(土)15時30分〜
 阿藤智恵 × 石井ゆかり
 ※ 2014年12月17日受付開始 詳しくはこちら


最初はひとりひとりお話しし、最後に対談と質疑をする、
という構成にしてみた。

さらに。
阿藤さん作の舞台が三月に予定されている。
こちらも、是非。

春の劇場30 日本劇作家協会プログラム「詩人の家」
劇作・演出:阿藤智恵

2015年3月4日(水)〜8日(日) 座・高円寺1
[料金(全席自由・税込)]一般3,500円 3/4プレビューは2,500円
[前売開始] 2014年12月24日[水]
[チケット取扱い]
 ぷれいす 03-5468-8113(平日11:00〜18:00)) 
 ローソンチケット(Lコード:33013)
 予約受付電話番号:0570−084−003(Lコード必要)
           :0570−000−407(オペレーター対応)
 インターネット予約 http://l-tike.com/(パソコン・携帯共通)
 店頭販売:ローソン・ミニストップ店内Loppiで直接購入いただけます。
 座・高円寺チケットボックス03-3223-7300
 (月曜定休・TEL10:00〜18:00/窓口10:00〜19:00)
 座・高円寺WEBチケット
[お問合せ] ぷれいす 03-5468-8113 (平日11:00〜18:00)


みなさまぜひ、いらしてくださいませ!


   

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石井ゆかり(いしい・ゆかり)

ライター。星占いの記事やエッセイなどを執筆、独特の文体で老若男女を問わず人気を集める。著書に『12星座シリーズ』(WAVE出版)、『愛する人に』(幻冬舎)、『月のとびら』(阪急コミュニケーションズ)、『星の交差点』(イースト・プレス)など多数。

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