石井ゆかりの闇鍋インタビュー

第10回 仲野先生・その1

2015.01.14更新

インタビューの現場に行くまで誰にインタビューするのかわからない、
戦慄のインタビュー企画第10弾は、
京都駅に隣接するホテルグランヴィアのラウンジで行われた。
このラウンジは場所がわかりやすく、ほどほどに広いため、
東京から来た方との打合せでしばしば利用する。
ただ、そういうナイスなロケーションなので
たいてい、おそろしく混みあっている。
待ち合わせ時間ジャストで大丈夫かな......
と思い、わずかに早めに出向くと、
すでにミシマ社の新居女史がそこにいた。

この場所を指定されたということは、
どこからか来た方か、どこかへ出向く方、の
いずれかであるはずだ。
聞けばやはり、一時間半後には新幹線で東京へ発たれる予定だという。
これまでの「闇鍋」では、
長いときで三時間くらい喋っていたこともあるので
少し不安になった。
というのも、インタビューには、
おむすびとか、肉まんのようなところがある。
つまり、最初は白御飯とか、外側をかじるところからはじまるのだ。
それを食べていくと、だんだん「具」に行き当たる。
白御飯だけでも十分おいしいのだが
やはり、具が来ないと物足りない。
その点、今回は時間制限がある。
一時間半で果たして、「具」にたどり着けるだろうか。
私にはそんな腕はない。ヤバイ。

程なく現れたのは、長身の紳士であった。
スーツにキャリーケースを引っ張った、
ダンディ......というには
もっと明るい、ひまわりのような雰囲気をまとった方で、
口を開くと、大阪弁がほとばしり出てきた。

大阪弁、といっても色々あるだろうと思うが
私にはその差は解らない。
が、総じて大阪の言葉は、テンポがとてもいい。
なめらかなのに強弱や緩急がハッキリしていて、
陽気で、語彙もとてもユーモラスで、音楽のようだ。

ある方言を「好きだなあ」と思っても、
なかなか、それをダイレクトな会話で聞ける機会はない。
ネイティブ同士では手加減なしで話し合うのだろうが、
私のような、ほぼ標準語しかできない人間の前では、
ネイティブな言葉で話してはもらえないのだ。
でも、大阪の人だけは、
相手が標準語でも、かなり手加減無く大阪の言葉で話してくれる気がする。
以前、大阪梅田のジュンク堂さんでサイン会をさせて頂いたことがあるが、
そのとき、大阪の言葉で話してくださる方と、
標準語で話す方とが混在していた。
気になったので、標準語の方に
「どちらからいらしたんですか?」
と聞いてみると、
なんと、みんな京都から来た方だった。
京都人相手でなければ、自然と標準語になってしまう
と、その方々は言った。
東北地方の方もそういう傾向があるし、
福岡や熊本に行ったときも、
わからない言葉で話されるということはなかった。
大阪の人だけが、大阪の言葉で話してくれる確率が高い。
だから私は大阪の言葉を特に好きだと思うのかもしれない。

ミシマ社の新居さんは、インタビュイーが現れたとき、
「ナカノ先生」と呼びかけた。
先生。
そうか。今回は「先生」なのか。
確かに、そのような風格というか、
威厳が感じられる。
じつは私は「先生」がかなり苦手なほうなので、
それを聞いて俄然、ドギマギしてきた。
というのも、「先生」は評価者であり、叱る人でもある。
子どもの頃から自意識過剰で臆病だった私は
評価者であり叱る人の存在が、
大阪ふうに言うならば、どうにも「かなわん」のだった。

しかし「先生」にも、いろいろある。
たとえば、出版業界では、作家や漫画家はみんな「先生」だ。
他に「先生」といえば、学校の先生、政治家の先生、
お医者さんの先生など、さまざまある。
そこでおそるおそる、
「先生は、何の先生なんでしょうか...」
と聞いてみた。
すると、
「阪大の、医学部で研究してます、
というか、研究を、させてます」
という答えが返ってきた。
大学の、医学部の先生......!!
私の「先生苦手センサー」の針がここで勢いよく振り切れた。
えらいひとだ!! こわい!!(涙目)

って
子どもか(反省)。


「エピジェネティクス」。

仲野先生は、大阪大学の医学部で、
基礎医学の研究をされている。

「医学部と言っても、
ただ研究してるだけですけどね、
基礎研究です。
実験をしている、というか、
させてるんですな。
実験は、自分では20年くらいしてないかも。
相撲部屋の親方みたいなもんですね、
やらんかい! と言っておいてやらせているだけで(笑)
いや、相撲部屋の親方のほうが偉いんです、
毎朝早うから弟子の面倒見るでしょう」

仲野先生は、その研究で、
一昨年「日本医師会医学賞」を受賞された。
どんな内容の研究なのですか、
と質問すると、
「エピジェネティクス」
という答えが返ってきた。

「そういう本を書いたんです、
岩波新書から出てるんですが、これです」

先生はスマートフォンを取り出すと、
「これ、さっき撮った写真」
と見せてくれた。
京大生協の書店で撮った、売り場の写真である。
仲野徹著『エピジェネティクス』岩波新書が、
新書フェアの人気書籍として、POPつきで紹介されているのだった。

「あの大学で売れている、ちゅうフェアでもね、
上位に出てきているんです、
今とても売れているんです、
って、自慢してるだけやな(笑)」

そんなに読まれているのか。
というか、阪大の偉い医学部の先生が
書店の店頭で、自著の写真を撮ってくるなんて、
なんとひらけた先生なんだろう......
すごい
すごすぎる。

しかし
「エピジェネティクス」
って、なんなんだ。

普通のインタビューであれば、
来る前にちゃんと相手の仕事がわかっているのであるから
事前にその本を読んでくるのが当たり前だ。
しかしこれは「闇鍋インタビュー」で
何の予備知識も無い。
それだけ売れてる本ならば
もう「一般常識」なのかもしれないが
ここでググるわけにもいかない。
恥を忍んで訊くしかない。

「ええと、その、エピジェネティクスって、
どういうことなんでしょうか」

「それはもう、この本を読んでもらったらわかります(笑)
といっても前書きと後書きはやさしいんやけど、
第二章からいきなり難しくなるからね。
でも、ちゃんと読んだらわかります。
エピジェネティクスというのは、一言で言うと
塩基配列に寄らない、遺伝子の修飾によって保たれる表現型、
って言ってもなんやわからんとおもうけど、
つまり『遺伝子だけでは決まらない』ということです」

遺伝子だけでは、決まらない。
遺伝子の修飾によって保たれる表現型......
私は俄然、ドキドキしてきた。
つまりあれか、あのタブーのような
「獲得形質が遺伝する」か!?
ついに、そういうことになったのか・・・?!

高校の生物(中学の理科かもしれない)で習ったのは、
生物の進化は、
遺伝子の突然変異と環境による選択でのみ起こる
というハナシである。
でも、私のような文系人間のごくベタな生活感覚では
「キリンの首は、
キリンが一生懸命高いところの葉っぱを食べようとしてがんばってるウチに
少しずつ長くなった」
というラマルク的な話を信じたい気がしてしまう。
「獲得形質」というのは、
たとえば「ケガをした」みたいなことである。
親が交通事故で片足を失った人であっても、
子どもがそのケガを遺伝して片足がないまま生まれてくる
ということはない。
ケガと同じで、親が「がんばった」ことは、
後天的に獲得した形質である。
遺伝とは関係ない。
親が勉強したから子どもが賢くなった、
という「遺伝」がありえないのと同じで、
親が頑張ったか子孫の首が長くなった、
ということは、ありえない。

しかし、それでも
「突然変異」みたいな、方向性のないバラバラの偶然ではなく、
なんらかの物語のような必然がそこに作用したのではないか
と考えたいのが、人情なのである(あくまで、私の個人的気分であるが)。
絵本の世界でも、そういうお話はよく描かれる。
恋に破れて蛇になってしまうとか
空に憧れて首が伸びてしまうとか
物語が生き物を変化させるという考え方は
多分、とてもプリミティブな、古代的な直観で、
悪魔的な魅力がある。

しかし
医学部の先生にそんなこときいたら
笑われるかもしれない。
遺伝子は遺伝子だ。


   

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石井ゆかり(いしい・ゆかり)

ライター。星占いの記事やエッセイなどを執筆、独特の文体で老若男女を問わず人気を集める。著書に『12星座シリーズ』(WAVE出版)、『愛する人に』(幻冬舎)、『月のとびら』(阪急コミュニケーションズ)、『星の交差点』(イースト・プレス)など多数。

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