石井ゆかりの闇鍋インタビュー

第10回 仲野先生・その2

2015.01.15更新

「どういうことかというと、
つまり、こんなことです。
第二次世界大戦の終わり頃、
オランダで食糧事情がとても悪くなったんです。
妊婦もちゃんと栄養がとれない、飢餓のような状態になりました。
その頃生まれた人たちが、中年以降になってからね、
たくさん、糖尿病とか高血圧のような病気にかかったんです。
これ、どういうことだと思います?」

それは、燃費が良くなった、ということか。

「つまり、お腹の中にいるときに、
すくない栄養だけでやっていける身体になってしまった、
ということでしょうか」

「そういうことです。
でも、生まれる前に起こったことが、
何十年も保たれて、そういう健康問題として発現するちゅうのは、
どうも、説明がつかないんですね。
遺伝ではないし、突然変異がそういうふうに起こるということもない。
じゃあなにかというと、
遺伝子が『修飾』された、ということなんです。
お母さんのお腹の中で、遺伝子の情報に、
化学的な修飾語がついたということなんですね。
それが、ずっと保たれうる、というのが
エピジェネティクスなんです」

このインタビューが終わった後、
私は先生の著書『エピジェネティクス』を読んだ。
そこにはちゃんと
私の密かな大興奮に対する答えが書かれてあった。
章の小見出しは「ラマルク説の再来?」であって
私のような早とちりをする人がいることが既に想定されていた(爆)
一部引用しておく。

「 生殖細胞の分化過程から考えると、動物では用不用的な獲得形質が遺伝することはあり得ない。しかし、食餌をふくめた環境要因による獲得形質が遺伝することはありうる。高脂肪食や低タンパク食の親からの遺伝は第4章で紹介したし、他にも、マウスでは男性ホルモンを阻害する薬剤による精子の減少や嗅覚刺激による経験などが、ショウジョウバエでは高温などのストレスによる影響などが、世代を超えて遺伝する事が報告されている。
 多くの場合、その遺伝は完全なものでなく、傾向があるという程度であり、世代を経るにつれて、その影響は弱くなっていく。また、どのようにして遺伝するかについては、そのメカニズムを示唆するというレベルにとどまっており、決定的なことはわかっていない。それに、これまでにわかっている例は多くないし、特殊な現象にとどまるだけかもしれない。 」

つまり、
獲得形質が遺伝して、遺伝のナカミそのものを変えてしまう、とは、
少なくとも今のところは、ぜんぜん言えない
というのが現実のようだ。

ちょっとショボンとしたけれど、でも
「遺伝子だけです! 他は関係ない! です!」と言われるのは
「運命は絶対的に決まってしまっています!」と言われるのと似ている。
そうではない要素も、わずかに、ある
ということは、
やはり、風穴があくように面白い、気がする。
だからこそ、そんなにも『エピジェネティクス』が売れている
ということではなかろうか。

仲野先生は、この本を書いた理由について、こう語った。

「そもそも、エピジェネティクスということが、
あまり知られていないので、知らせたかったんですね。
あと、いろんなことをいわれているけれど、
あんまりまだ、ハッキリはわかっていないところも多いんですよ。
どこまでわかっていて、どこからわかってないかを、
きちんと書いている本がない。
それで、自分が書けばいいんちゃうんかと思いついて、
まとめてみました。
だから、そこは、誤解のないように、
そうとう丁寧に書いてます」

子どもの頃、理科や社会を教わっていて
「ここまではわかっていますが、
このさきはまだ、わかっていません」
という話を聞くと、ワクワクした。
フェルマーの最終定理(解かれてしまったらしいが)のような
「この数学の問題は、まだ誰にも解かれていません」
という話を聞いて
ちょっと試してみたことのある人も
少なくないだろうと思う。

「既にわかってしまったこと」で埋め尽くされた世界は
息詰まる、夏休みの宿題のように閉塞的な世界だ。
一方「まだわからないこと」のある世界は、
魅力的で、きらきらしている。
『エピジェネティクス』には、
既にわかっているいくつかのことの果てに、
まだわからない膨大な世界がある、という事実が描かれているのだった。

宇宙の果て、時間の流れ、ミッシング・リンク、隠された財宝。
世界には「まだわからないこと」が、ある。
そのことが、若い学生の心に太陽のように「響く」のは
当然と言えば、当然だ。


やりたいことがたくさんあるんです。

仲野先生は、最初はお医者さんをしていた。

「市民病院とかで、3年は内科医をしていました。
その頃は、阪大医学部を出たら
数年はお医者さんをやって、
そのあと大学院に帰ってくるのが普通のキャリアパスで、
大学院行ってしばらくしてから役職がつくんですが、
僕はよほど優秀だったんでしょうね(笑)
先生から『助手探してるんやけど、きいひんか?』いわれて、
それで、最初から助手として戻りました」

「はじめは血液細胞の分化を研究してたんですが、
二十年前、教授になったとき、
なにか新しい研究を始めようと思って、
生殖細胞をテーマにしはじめました。
新しい遺伝子を二つ見つけて研究していたら、
その両方がエピジェネティクスに関係していったので
これは、神様が血液学をやめて、
遺伝子のほうをやれって言ってるなとおもって(笑)
それで、エピジェネティクスの研究の方に入って行きました。
最初から一本に絞っていたというわけではなかったので、
エピジェネへの思い入れが強すぎる、とか
そういうことがないんです、それがかえって、いいのかもしれん。
なにしろ、他のことに興味が多すぎるんですよ(笑)」

「他のこと、といえば、たとえばどんなことでしょうか」

「そうね、いまやってるのは、HONZちゅうてね、
本のレビューのサイトがあるんです。
そこで、2,3年連載をしてます。
以前『生命科学者の伝記を読む』という本を書いたら、
成毛眞さんがこの本を読んで、面白いといって、
インタビューに来られたんです。
それから、本のレビューを月一回書いてます。
以前は10日に一冊読んで書いてたんですが、
さすがに辛くなってきたので、今は月一になってます。
これがなかなか、大変でね、
これは面白いと思って読み始めても、
しまいまで読んだらたいしておもろなかった、
なんていうこともありますしね(笑)
おもんなかったら成毛のおっさんが、おこりよるんですよ
『このあいだのはおもしろくなかったですね』
とか真顔で言われると、辛い!(笑)
14日が当番と決まってるんですが、
ときどき面白い本があると書いてしまうんです」

「あとは、大学で新しくやってることもあって、
生命機能研究科の研究科長なんです。
生物学とか、科学とか、生命の機能全体を対象にした学科で、
野心的な研究科ですよ、これです」

先生は、ノートパソコンでWebサイトを出した。
学科の紹介ページには、先生の挨拶と、
写真と直筆サインが掲載されていた。
「たまごみたいなええおっちゃんにみえるやろ!」
「っていうか先生、......かわいい字ですね!」
と新居さんがツッコんだ。

そうだ、新居さんも、大阪人だった
とこのとき気がついた。

「そうだ、あと、とっておきがあるわ、
去年の11月からね、義太夫を習ってるんです」

親交の深い内田樹さんから、かねて
「習いごとをしたらいい」
と勧められていたという。

「ウチダさんが言うんですけどね、
大学教授なんかしてたら、頭が高い。
人に教えてもらうことをせなあかん、と言うんですよ。
確かにそうやなとおもって、
前からなにか習いたいと思っていたんです。
最初はサックスをやろうと思ったんですが、
僕は、飽きっぽいんですよ。
で、男にありがちな『道具から入る』というやつで、
ほしいとおもって買うたときには、
もう飽きてるんです。
大人買いしたら、夢が叶った、みたいになるんですね」

「それで、もともと歌舞伎や文楽が好きだったし、
義太夫なら道具もいらんし、ということで、始めたわけです。
英大夫(はなぶさたゆう)師匠というひとについてるんですが
これが、お稽古の回数より飲み会のほうが多いという(笑)
だいたい、義太夫なんか習う人は、
変わった人ばっかりで、面白いんですよ。
兄弟子に、実家が米屋をしているというので米大夫と勝手に名付けてる人がいるんですが
この人に
『習ろてはる方、みんな変わった人ばかりですね』
と言ったら、
『そうやな、あんたが一番やな』
と言われました(笑)」

やっぱりな......と、ちょっと思った。
もとい、
冒頭でも触れたが
仲野先生の大阪弁は、先生にふさわしく、よく透るいい声で、
実にリズミカルで、それをうっとりと聞いているだけで
気持ちがいいのだった。
それは、義太夫のお稽古の効果もあってのことなのだろうか。


    

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石井ゆかり(いしい・ゆかり)

ライター。星占いの記事やエッセイなどを執筆、独特の文体で老若男女を問わず人気を集める。著書に『12星座シリーズ』(WAVE出版)、『愛する人に』(幻冬舎)、『月のとびら』(阪急コミュニケーションズ)、『星の交差点』(イースト・プレス)など多数。

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