石井ゆかりの闇鍋インタビュー

第12回 中川さん・その3

2015.02.25更新

しかし、浄土系は仏教の中でも、
ちょっとキリスト教に似たところがある。
たとえば、
キリスト教(といっても宗派等があって一概には言えないが)では、
人が死ぬことを「神様がお召しになったのだ」と言って、
それほど忌み嫌わない。
浄土の教えでも、死は、それほど「忌むべきもの」ではない。
人々の死と、そこにある「救済」というテーマは、
キリスト教と浄土の教えで、よく似ている。
実際、浄土教にはキリスト教の影響がある、と言われている。
浄土宗は、中国の唐の時代に大成された。
唐の都はグローバル都市で、世界中から人々が集まり
イスラム教のモスクやキリスト教の教会もあった。
そこに集まった様々な宗教者達が互いに意見交換する中で、
教義にも「交わり」が生じたと考えられているのだ。

「仏教の他の宗派より、浄土宗系は信仰、というか、
信じる・信じない、がすごくあります。
阿弥陀様がまだ菩薩の位の時に
『この誓いが叶わないなら私は仏の位にならない』と立てた誓願(マニフェスト)が四十八項目あるんですが、その中に、
一度でも『南無阿弥陀仏』と唱えた人は必ず私の作る極楽浄土に生まれるようにする、
という誓いがあって、
で、ちゃんと阿弥陀如来という仏になっているのだから、
私たちは『南無阿弥陀仏』と唱えさえすれば、
そのままで極楽に生まれ変わる事ができて、そこで救われるのだ、という教えです。
でも、ここで、
『じゃあ、阿弥陀様ってなに? 信じられるの?』
と言ったら、全部こわれちゃうんです」

「だから、『阿弥陀様って、なんだろう?』
って、ずうっと考えているわけですよ、僕たちは。
そこで、僕が考えているのは、
阿弥陀様というのは、なにかのたとえ話で、
既に僕らは救われている、
それを阿弥陀様という形で表してるんじゃないかな、
と思うんです。
救われるってどういうこと?
という疑問もあります。
一般に、人が『救われたい、救いがない』と言っている、
その『救い』とはちょっと違う意味ですが、
もっと本当の意味では、
僕たちはすでに、救われているんです。
この世はすでに完璧なもので、
でも、それが感じられないから、
不幸なように思ってしまう。
この世がカンペキだ、ということが見えないのは、
煩悩で汚されているから、それが感じられない、という考え方なんです」

「最初は、お釈迦様に会って話を聞けば、
それで煩悩は全部消えてしまう、ということだったんです。
お釈迦様がいなくなってからは、
それでもまだ、教えがあった。
でも、今はお釈迦様からずっと時代が離れてしまって、
煩悩から逃れられなくなってしまった、
というのが、鎌倉時代、ということなんです。
もう、何をやってもダメな時代になってしまった(笑)
煩悩が消えることがない時代になったんです」

「ならば煩悩があったままでいい、
『南無阿弥陀仏』と唱えながら、
煩悩とともに生きていけばいいんだ!
というのが、浄土の教えなんです。
これは、鎌倉時代には、すごく新しかったと思います。
で、今も、やっぱり、新しいと思います。
煩悩を生きていかないと、仕方が無い。
このままでいい、って、僕は好きなんです。
だから、浄土の教えが好きなんだと思います」

「煩悩はよくないので、ああ、今日も駄目だった、と
反省しながら生きるんですが、
でも実は、救われているんです。
そういうことで、毎日生きている。
そうやって謙虚に生きていったらいい、
という教えは、なにか、いいと思うんです。
僕は、気に入ってますけどね」


カップルの後ろから......!

瑞泉寺には、墓地がある。
三条大橋からも見える。
中川さんのように、
子どもの頃からお墓の直ぐ側に住んでいたら、
自然に、怖くなくなるものだろうか。
「信じていますか?」の次が
「幽霊コワイですか?」という、
子どものような質問をしてみた。

「怖くはないですね、
うちのお墓は、ネオンサインの中にいるようなもので、
焼き肉屋さんの煙がもくもくしてたり、
中華料理屋さんのチャーハン炒める音が聞こえてきたりとか、
賑やかなんです、怖くないですね(笑)
それに、僕は、妖怪とか怪談好きなんです。
うちのお寺は心霊スポットとか言われているみたいですけど、
見たことないです(笑)
『こわい』というのも、これは、煩悩ですから」

そうか......。「コワイ」も、煩悩なのか!
私の臆病は、煩悩だったのだ。
なんか、納得した(汗)。

「江戸時代には、
『おばけが出てきたら般若心経を唱えれば、
どんな悪霊もたちどころに消える』
と言われていたんです、
般若心経は空を教えるお経なので、
『この世は空だから』ということを、
心底から理解していたら、迷いは消える、ということなんでしょうね。
もちろん、そういうのが見える、という人もいます。
同業者(僧侶)にはあまり聞いたことないですが、
イラストレーターさんには、けっこう『感じる』って言う人がいますね。
そう言う人にとっては、それが現実なんだろうと思うので、
それを幻だよ!というのは乱暴ですが、
僕たちが見ている現実もまた、何かの『たとえ』なんだと思うんです。
ほんとは、『空』なんですよ。
そうだ、楳図かずおさんがテレビかなにかで言ってたんですけど、
部屋ですごく怖くなってきたら、
『せんべいをかじるといい』っていうんです、
バリバリ!! って齧ってると、怖くなくなるって(笑)」

「怖い絵を描いてるときは、怖くないんです。
怖がらそうと思って描いてると、怖くないんですね」

怖がらそうと思うと、怖くないのか。
それは「幽霊は幽霊を怖がらない」みたいなことなのかな
と思った。

「これは、都市伝説みたいなもんですけどね、
ウチで亡くなった、秀次公の側室だった人が、
鴨川で並んでるカップルの後ろから、
肩を叩きにいくというんです。
いや、うちのお姫さまはそんなことしないです、
もしいたとしたら、ちがう人だと思うんですけどね。
うちのお姫さまじゃないです!(笑)」

とはいえ瑞泉寺は、
別な意味で「霊的(スピリチュアル)な場所」である。

「歴史ファンの人はたくさん来られます。
だいたい、中高年の男性が多いですが、
最近は若い女の方も増えました。
夕方、花束を抱えて『お参りに来ました』と言うので、
檀家さんだと思ってお名前を聞いたら、
秀次公のお墓参りに来た、と言われたこともあります。
中には、
『夢枕に秀次公が立って、瑞泉寺にいけ、と言われたから来ました』
と言う方も、結構いらっしゃるんです。
一緒にお経をあげて、お参りしてもらったり、してますね」

不思議な話だ。
何か本を読んだりして、それで夢に見た、
という人もいるだろう。
でも、何も知らないのにそういうことが起こることも、
ありえない、ことではない。
「霊」かどうかは、別として。

「それは、なにかの関係があるんですね、きっと。
『心霊現象』じゃないです。
『心霊現象』は、煩悩なので!(笑)
心霊現象じゃなくて、
なにかの因縁があるんですよね、そこには、
なにかのご縁、ストーリーが、
あるんだろうな、って思います。
面白いですよね」

なにかのご縁、ストーリー。
私は、前回の「運命」の話をふと、思い起こした。
私たちは、「因縁」という物語を、
言い換えれば「運命」を生きているのだ。


この世には、ヒミツがあるんです。

テーブルの上には、中川さんの手がけた本の表紙がある。
星空を見上げている、江戸時代の、旅人だろうか。
この夜の風景を描くとき、
中川さんの頭の中には、
まさに、この風景が広がっていただろう。
頭の中にそれがある、というより、
そういう風景を生きているような感じだったのではないだろうか。
一方、お経の中にもまた、たくさんの「世界」が描かれる。
遠い遠い時間、遠い場所。
中川さんは、イラストの世界と、仏教の世界と、
いろんな世界に棲んでいるような感じで生きているのではないか。
だから、あんな、
「見ただけで吸い込まれそうで、くらっとして怖い」
絵が描けるんじゃないだろうか。

「そうですね、この絵を描いてるときは、
ここにずっといますよ。
どっちの世界も見ている、という感じになる、
それが面白いのかもしれません。
この世の秘密みたいなものに触れているんです」

「秘密、ですか」

「何かこの世には、秘密があるんですよ。
普通に生きてるつもりでも、本当はそうじゃないんです。
映画の『マトリックス』って、すごい仏教的な映画だと思います、
あれは、『空』を表現してるんです、
あの、ばっ! て引いたら、全然違う世界が見える感じです」

「そうやって、違う観点を持つことが大事だと思います。
そうすると、日常のつまんないこととか、
些事が気にならなくなるんです。
そういうのは、いいことだと思います」

私は数年前、『禅語』と『親鸞』(パイインターナショナル刊)という
2冊の本を上梓した。
自分なりに勉強はしたけれど、もともと、専門ではない。
大それたことをしたものだと、今でもびくびくものだ。
そのとき、仏教にまつわるいろんな本を読んで、
煌びやかな描写に心を奪われたのを思い出した。
仏教はインド発祥である。
そのためか、「美しく清らかな世界」というものを描写するとき、
その比喩に、ガーネットや翡翠など、美しい宝石が出てくるのだ。
中川さんの話を聞きながら、
仏の教えやその世界は、こんなに煌びやかで美しいのだ!
という、そのヴィジョンを思い出した。

「それは、華厳経ですかねえ。
蜘蛛の巣に、こう、いっぱい水滴がついていて、
そのひとつひとつの中に、それぞれ、世界があって、反射しあってるんです。
で、同時並行的に、全部の世界の時間が進んでいくんです。
後ろにも前にも、左右にも無数の世界があって、
その全ての世界で、あらゆる可能性が広がっている。
僕たちは、その可能性の中のたったひとつを生きているわけです。
次の瞬間には死んでいる自分がいて、
でも、その自分のかわりに、
こっちの、生きていく自分を生きている、
と思うと、
もっと前向きに生きていかなきゃな、と思えるんです。
死んでる自分の代わりにこっちがいるから、
がんばろうかな、と思ったり(笑)
これは、あんまりヘンだから、人には言わないんですけど、
初めて言った(笑)」

この稿を書く数時間、
ずっと、中川さんと新居さんがいた、
あのカフェの時空の中にいた気がする。
今、この辺で締めよう、と思ってふと、顔を上げて初めて
自分が今いる場所に意識が戻ってきた。
「いくつもの可能性の世界」ということとは
これは、ちょっと違っているかもしれないけれど
私たちは、いろんな時空を行き来しながら生きている
ということも、あるんじゃないだろうか。
この日、インタビューが始まる前
私が読んでいたのは、「ドン・キホーテ」だった。
騎士道物語に夢中になって
「騎士道」を生きようと思った狂気のドン・キホーテもまた
彼が生きるべき「もう一つの時空」を生きていたのだろうか。

中川さんのイラストは、一つの器のようだ。
読み手はそこに入り込んでしばらく
自分だけの時空を過ごすことができる、
そのように描かれている、と私は感じた。


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石井ゆかり(いしい・ゆかり)

ライター。星占いの記事やエッセイなどを執筆、独特の文体で老若男女を問わず人気を集める。著書に『12星座シリーズ』(WAVE出版)、『愛する人に』(幻冬舎)、『月のとびら』(阪急コミュニケーションズ)、『星の交差点』(イースト・プレス)など多数。

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