石井ゆかりの闇鍋インタビュー

第13回 クラフト・エヴィング商會・その1

2015.04.15更新

インタビューの場に誰がいて何が起こるのか、
始まるまでまったくわからない戦慄の企画「闇鍋インタビュー」最終回は、
東京で行われた。
これまではずっと、京都や大阪など、関西でやってきたので
なんとなく雰囲気が違う。
ミシマ社の新居さんから場所の候補を聞かれたので、
このところちょくちょく打ち合わせなどで使っている、
東京駅のトラヤ・カフェをお願いした。
ここは駅の中で、とにかく便がいい。
そして、いつもすごく混んでいるけれど、
なぜか静かな空気感でゆっくりできるのだ。

今回は三島社長も同席で、
席が五人分用意されている。
あれ?
五人って、へんだよね、、
インタビュイーでしょ、私でしょ、新居さんでしょ、で、三島さん、、、
と思っていたら、
今回のインタビュイーはなんと、お二人だった。
落ち着いた、知的な雰囲気の男性が一人と、
軽やかな、ひかるようなさわやかな雰囲気の女性が一人。
ご挨拶の後、男性の方が
「ええと、どうしたらいいんですかね?
名刺とか出しちゃいけないんでしたっけ?」
と新居さんに話しかけた。
私はすかさず
「今まで、名刺を出されなかったのは、
高校生の方だけでした」
ときっぱり言った。
すると、相手は名刺を出してくださった。
無論私は、過去の例を説明しただけである。
要求したわけではない(キリッ

いただいた名刺の表面には
「吉田篤弘」とあり、裏面に
「クラフト・エヴィング商會」
とあった。
なんか、知ってる......知ってるけど、思い出せない......
私は心の中で、もどかしさに呻った。
女性の方も、名刺をくださった。
「吉田浩美」
裏面は、同じく「クラフト・エヴィング商會」である。

「クラフト・エヴィング商會、さんは、
どんなお仕事をされているのでしょうか」
と伺うと、篤弘さんが口を開いた。

「僕らがやっていることは、うーん、
説明するとややこしいというか、複雑なんですが、
主に、こんなことをやっています」

篤弘さんは、コーヒーテーブルの上に、
三冊の本を置いた。
『星を賣る店』クラフト・エヴィング商會(平凡社)、
『ないもの、あります』クラフト・エヴィング商會(ちくま文庫)、
『ソラシド』吉田篤弘(新潮社)。

「わかりやすいところでは、装幀デザインをかなりやっています、
世の中では、アートユニット、とか言われたりしますが、
デザインやアートをやって、それに文章をくっつけて本を出したりとか、
そんなこともしています。
それがクラフト・エヴィング商會で、
僕個人では、小説を書いて、作家をやっています。
この『星を賣る店』は、これまでやってきたことがすべて
凝縮されているような本です」

その本をぱらぱらとめくり、私は思わず声を上げた。

「知ってる! 絶対持ってる!」

本の中には、
クラフト・エヴィング商會さんが装幀してきた1000冊を超える書籍の、
ほんの一部が紹介されていた。
整然と並んだ書影には、強い既視感があった。
この本をいただいたので、あとで全部見てみたら
『フェルマーの最終定理』サイモン・シン(新潮社)
『暗号解読』サイモン・シン(新潮社)
『ロゼッタストーン解読』レスリー・アドキンズ、ロイ・アドキンズ(新潮社)
を持っていた(なんだこの統一感は)。

「あやしげなへんなことのほうが先に世の中に出ていって、
それを観てくださった編集の方々が、
本を作ろうと言ってくださって、
念願叶って、書くことができるようになったんです」

あやしげな、へんなこと?


「設定です。」

「クラフト・エヴィング商會として出した最初の本は
『どこかにいってしまったものたち』(筑摩書房、1997年)です。
一見あやしげな、商品カタログみたいなものです。
吉田浩美の祖父が、クラフト・エヴィング商會という店をやっていて、
我々はその三代目としてクラフト・エヴィング商會を継いだわけです。
祖父の時代には非常にあやしげなモノを扱っていたんですが、
今はその現物はどこかにいってしまったんです。
倉庫にはなにもめぼしいモノが残っていないんですが、
商品が入っていたハコとか、取扱説明書だけがいろいろ残っていたので、
そこから、どんな商品を取り扱っていたのか、
推理して写真と文字にまとめた、ということなんです」

なるほど。

「そういう、設定なんです。なので、すべては架空なんです」

設定!

「ウソなんですね」
「ウソです(笑)。
といっても、そういう設定です、ということは、
常にオープンにしているんですが、
なぜか、本当だと思っている人が多くて(笑)」

設定か。

「もともとは、それぞれ別のデザイン事務所で働いていました。
僕は小説家になりたかったので、
デザインの仕事をしながらコツコツ文章を書き続けていました。
で、彼女はアートっぽいものをつくりたかったんですね。
最初は豆本のようなものをつくっていました。
小さなイラストと短い文章を組み合わせて」

二人はご夫婦で、やがてアートと文章の仕事を
「かたち」にすることになった。

「デザイナーをしながらコツコツ創作を続けてきて、
10年くらいしたところで、彼女が友人と個展をひらいたんです。
今の表参道ヒルズがあるところに、
同潤会アパートという建物があったんですが、
そこの、PIGAというギャラリーで、展覧会をひらきました。
そのギャラリーがとってもよくて、本当に気に入ったので、
すぐに1年後の予約もしちゃったんです。
でも、その展示は、10年間コツコツ積み重ねた活動の、
集大成みたいなモノだったわけです。
それを、1年後にまた展覧会、ということですから、
大丈夫かなと心配しました。
結局、半年経ってもぜんぜんやっていない、
でもギャラリーはおさえてある、という状態になり(笑)
彼女が『何もアイデアがない』と言うので、
それで、僕が小説を書くためにあたためていたアイデアを提供したんです。
それは、おかしな機械や商品の説明書なんですが、
たとえば、『水蜜桃調査猿』というのがありました。
サルが桃の熟れ具合を調査する、という機械なんです。
サルの形をした人形みたいなものがあって、
その両手の間に桃をのせると、
『食べ頃』とか『そろそろ』とか、
食べ頃かどうか判断してくれるんです(笑)
といっても、その現物はなくて、
あるのは、あくまで、それが入っていたハコと、解説書です。
そういうアイデアを僕が提供して、
それで、ギャラリーで展覧会をしました」

なるほど。
なんとなく、ボルヘスの「幻獣辞典」を思い出した。
あと、あの、どこにもない図書館のことも。

「でも、来てくれる人が誰もいないんです、
立派なDMを作ったのに、贈る相手がいない(笑)
そこで、当時、深夜番組に出演されていた三谷幸喜さんを拝見して、
この人なら面白いと思ってくれるんじゃないか、と思って、
DMを送ったんです。
あと、そのころたまたま筑摩書房の『ちくま』というPR誌を見ていたら、
そこで編集者の松田哲夫さんが『頓智』という雑誌を創刊する、という記事を見つけて、
その雑誌のコンセプトに共通の匂いを感じて、
松田さんにもDMを送りました」

三谷幸喜さんといえば、今では知らぬ人とてない、
超有名な劇作家である。
松田哲夫さんとは、「王様のブランチ」に出ていたりする、
超有名編集者の方である。
そんなお二人が、なんと、
五日間の会期の中で、来場してくれたのだった。
だけでなく、
二人とも「おもしろい」と、
すごく褒めてくださったのだった。

「で、松田さんは『本にしませんか』と言ってくださって、
『どこかにいってしまったものたち』という本ができました。
本を作りたい、というのは、
二人とも、ずっと夢だったんです。
ましてやそれを、松田さんが作ってくださる、
ということになったわけです。
ずいぶん立派な本を作っていただいて、
展覧会も、全国行脚してまわりました。
すごかったです、豪華でした。
そこからですね、
クラフト・エヴィング商會がスタートしたのは」

「クラフト・エヴィング」は、稲垣足穂の著作に出てくる
「クラフト・エヴィング的な」という表現の語感が気に入ってつけた。
しかし、この「クラフト・エヴィング的」というのは
もとは「クラフト・エービング博士」という、
変態を研究していた博士のことであり、
正しくは「エビング」なので、
「エヴィング」というのはありていにいってマチガイであり、
かなりデタラメなネーミングであった。
しかしこういった事情も、ある意味
「クラフト・エヴィング商會」的ではある。


<つづきます>

    

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石井ゆかり(いしい・ゆかり)

ライター。星占いの記事やエッセイなどを執筆、独特の文体で老若男女を問わず人気を集める。著書に『12星座シリーズ』(WAVE出版)、『愛する人に』(幻冬舎)、『月のとびら』(阪急コミュニケーションズ)、『星の交差点』(イースト・プレス)など多数。

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