読む女

第2回 新幹線と母の眉

2009.08.28更新

駅というのは列車が停まって、客が乗り降りするためのものだから、別に変わっている必要はない。どこでも同じで差支えない。そうは思っていても、その駅特有の表情があれば、その方がいいと思う。いつだったか東北の方に行ったとき、列車が貝田と云う駅を通過したら、プラツトフオオムにいろんな植物が植えてあって、傍に名前を書いた札が立ててあった。何だか降りてみたいような気がした。
昔、まだ学生のころ、夜汽車に乗っていたら、真夜中に小さな駅に停った。眠れないでいたから、窓から顔を出してみると、空に朧月がかかっていて、プラツトフオオムに駅長が直立不動の姿勢で立っていて、その足元に小さな犬が座っているのに気が附いた。何だか犬も、気を附け、のつもりでいたように思われる。一遍の美しい童話を読んだような気がしたことを憶えているが、あれは、どこの駅だったかしらん?
(小沼丹『小さな手袋』(講談社文芸文庫)―「駅二、三」より)

ある夏休みのことだ。わたしはたしか小学2年生で、妹が幼稚園生だったとき、妹と二人だけで祖父母の家へ行くことになった。そのときの出発駅は東京駅で、祖父母は新大阪で待っている。何ゆえそのような冒険が与えられたのか、いきさつはよく憶えていないが、夜、母が「二人でなんて、まだ無理よ」というのに対して、父はワイシャツのネクタイをほどきながら「大丈夫だよ。乗って降りるだけなんだから」などと言っており、両親がわたしたちの冒険について話していたことはうっすらと記憶にある。そのときわたしは、「全くだいじょうぶとおもうけど」などと静かに考えていた。

その朝は母が大慌てだった。小さなお弁当を二人に作ってくれて、細々した注意事項をなんども私たちに伝えた。知らない人についていってはいけない、切符を落としてはいけない、何かわからなかったら駅員さんに聞くこと、新大阪まで寝ちゃ駄目よ、云々。

日ごろあまり許されていなかった市販のお菓子を、ふだんでは信じられないくらい好きなように与えられ、妹はそれを赤いリュックへ嬉しそうに詰めていた。わたしの白いポシェットには、落としてはいけないと何度も云われた新幹線の切符と、お小遣いの入ったお財布があった。二つの大人の持ち物を預けられて緊張したわたしは、ポシェットの上から手をあてて、落としてはいけないと自分に言い聞かせた。妹はただならぬ周りの雰囲気にわくわくしているようすで、「おねえちゃん、おばあちゃんちに二人でいくなんて、すごいね。新幹線に乗ったら、お菓子たべようね」と何度も言っていた。

それどころではない心配性の母は、入場券を買って、二人が乗る新幹線が到着すると、一緒に車両に乗り込んで、席までついてきてくれた。「だいじょうぶ?」と母がいい、「だいじょうぶ」とわたしは何度も答えたと思う。しかし母は、しまいには通りかかった駅員さんに、「申し訳ございませんが、今日、この二人だけで新大阪へ乗車させていただくことになっております。少し気をつけてみてやっていただけますでしょうか」などとお願いをしていた。駅員さんは目を丸くしていたが、「わかりました」と言った。隣に乗っていた中年の夫婦も、にこやかにこちらを見ている。わたしは恥ずかしくて、放っておいてほしいと思った。子供扱いされたくなくて、おとなのような口調で妹に「寝ちゃだめよ」と言った。東京駅を新幹線が滑り出したときの母のハの字の眉毛が今でも忘れられない。わたしたちはもう母に会えないのではないかと思うくらいの、なんともいえぬ顔をしていた。
 
新幹線が走り始めて最初は、母の尋常ならざる様子に、かえって二人とも緊張して硬くなっていたけれど、周りの優しい大人たちの「いくつなん?」「どこまで行くのん?」「ふたりで偉いなァ」という声かけによって段々気持ちがほぐれ、お弁当を食べたり、今となってはもう憶えていないが、妹とおしゃべりしたりした。途中、例の駅員さんが切符の点検に来て、「だいじょうぶ?」と、母とおなじことを聞いてくれた。「だいじょうぶ」とわたしはまた答えた。日ごろ食べさせてもらっていないお菓子を口に入れてみたけれど、とても食べたかったそれは、パサパサとして、あまり美味しくないのだと知った。

時間がたつと妹は「ねむい」とか「お手洗い行きたい」などという発言をしはじめ、荷物を持っているわたしは、荷物を守っているべきが、妹についていくべきかで葛藤したが、そのつど周りの大人が「見といてあげる」と言ってくれたり、妹が「ひとりでだいじょうぶ」とわたしを気遣ったりしてくれて、(今思えば本当に小さな悩みだが)何とかなった。車内に、次は新大阪というアナウンスが流れ始めると、わたしも妹もうれしくなってそわそわと、ちらかしたお菓子のくずをまとめたり、切符を確認したり、降りる準備をはじめた。駅に着いたら、母から聞かされた新幹線の号車降り口で、だいすきな祖父母が待ってくれていることになっている。

新大阪に新幹線がゆっくりと入っていく。スピードが落ちてきて、窓際を注視していると、何かを振っている祖母の顔と、背の高い祖父が見えた。完全に新幹線が停車して、わたしはまたそこで「はずかしいなァ!」と思った。祖母は割り箸にピンクのケーキのリボンをくっつけた、お手製の旗のようなものを満面の笑みで振っていたのだった。リボンには「ももちゃん、まきちゃん、おかえり!」と黒いマジックで書いてあった。はずかしくてうつむきながら新幹線を降りると、祖父が「おお、ほんまよう二人で来たな」と言って大きく笑ってくれた。妹は「おばあちゃーん」と祖母に抱きついた。

ここまでの記憶はしっかりあるのに、それからどうしたのかの記憶がない。当時は携帯電話がなかったので、おそらく公衆電話から母に連絡を入れて、無事についたと報告したのだと思う。こうして大人のお膳立てした、はじめての二人だけのこどもの旅は終わったのだが、その夏がその後どんな夏になったのか、他のことは全く思い出せないのであるから、やはりこの新幹線の中のささやかな出来事は、当時のわたしには非常に大きな冒険だったのだろうと思う。

あのとき迎えに来てくれた祖父は今は他界し、祖母だけひとりで変わらず大阪で暮している。足も悪くなり、遠出もままならぬ祖母に会いに、今年も夫と二人で行く。あれから、家族で、一人で、恋人と、なんどもなんども繰り返し乗り降りしてきた新幹線の駅の風景だが、いつも思い出すのは、あの日大人たちのかけてくれた言葉と、母の心配を表した、ハの字の眉毛のことなのである。

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木村桃子(きむら・ももこ)

ある時は着付けの先生、ある時は書店員、ある時は川原でぼおっとしているひとりの主婦。

KYOTO的で、多くの女性から支持された「読む女」。ひきつづき本誌で連載。

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