読む女

第4回 宇宙の屑

2009.10.23更新

目をこらした濃紺の空に、白銀のダイヤのような星がキラリと流れた。オリオン座流星群のひとつが、オレンジ色の瓦屋根の、小さな我が家の上を、ひとすじ確かに通っていった。

夫とわたしはベランダにシートを広げ、厚い靴下をはき、ひざ掛けを体にかけて、寝転んで空を見上げていた。一瞬のできごとだった。寒いからもう家の中に入ろうかと言いあいながら、もうひとつ、もうひとつと、飽かずにそうして空をながめていた。

あの光が、ずっとむかしに生まれた宇宙の屑。冷たく硬そうな流れ星をこの目で見たことを、わたしでない人が憶えておけるすべがもしもあったなら、必ずたいせつな人に伝え渡したい夜だ。ベランダから聞こえる音はひっそりとして、風の音と、遠くかすかに電車の音だけ。目が暗闇になれ、つぎからつぎへと空に映る星がふえてくる。まばたきもそこそこに黙ってふたりで夜空を見る。毎晩こうしてもいいくらいすてきな時間だと、心から思う。

"カリブーと風の行方は誰も知らない"と、古いインディアンの言い伝えがあるように、いくつかの旅は一頭のカリブーも見ることなく失敗に終わった。が、自然はぼくの憧れに時折報いてくれるのか、胸が熱くなるような世界を垣間見せてくれた。数十万頭というカリブーの大群が、何度か、ぼくのベースキャンプを通り過ぎていったのである。・・・
 僕は、"遠い自然"という言葉をずっと考えてきた。・・・
 私たちが日々関わる身近な自然の大切さとともに、なかなか見ることの出来ない、きっと一生行くことが出来ない遠い自然の大切さを思うのだ。そこにまだ残っているということだけで心を豊かにさせる、私たちの想像力と関係がある意識の中の内なる自然である。
 カリブーの大群が目の前まで迫ってくると、あたりは不思議な音で満たされた。カチカチカチカチ......。それはカリブーが歩くときに鳴る足首の腱の音だった。その無数の音がひとつの和音となって響いているのである。太古の昔から綿々と続いてきた時の流れを、その音は静かに刻んでいるような気がした。・・・
 いつしか私たちは見渡すかぎりのカリブーの海の中にいた。心地よい北極の風に吹かれ、旅を続けるカリブーの足元の小さな花が揺れていた。時折まだ生まれてまもないカリブーの子が、私たちを不思議そうに見つめながら立ちどまった。が、何かを理解したのか、母親の後をすぐに追いかけて走っていった。やがて大群は波のように去り、ツンドラの彼方へ一頭残らず消えていった。私たちは言葉もなく、ひとつの時代を見送るかのように立ち尽くしていた。
                        (星野道夫『ノーザンライツ』より)

鼻先が冷たくなるほど体が冷えきってしまった。しかたなく家の中に入ってからも、家の明かりを消して階段にある小窓を開け、そこからオリオン座を見つめていた。温かい紅茶を小さな水筒にいれていたのを、二人ともなにも物いわず、いっしょに飲んだ。

今晩はきっと一生ものの思い出であり、わたしたちの中の何かがキラリと弾けた気のする夜だった。長い長い歴史という時間の中でも、宇宙という空間の中でも、点ほどもないわたしたち夫婦の暮しに、手にさわれる形のある物は持てば持つほど重くなるような気がしている。旅行をせず、たとえ日々が家のそばでことたりるほど狭いものでも、いつも心と思考は高く自由で、旅をしている人間でありたい。

身一つで明るくあり、体と心の中に何をつめて生きていくのか、それを手にしてどこへ飛んで行けるのか、誰を幸せにしたいのか、大切なこととは一体いかなることなのか。それを深く、知りたくて、知りたくて、良い日を決して忘れたくなくて、きょうもちっぽけなわたしは歩いている。

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木村桃子(きむら・ももこ)

ある時は着付けの先生、ある時は書店員、ある時は川原でぼおっとしているひとりの主婦。

KYOTO的で、多くの女性から支持された「読む女」。ひきつづき本誌で連載。

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