読む女

第5回 いってらっしゃい

2009.11.27更新

冬の朝のおきたては、空気がもったりとして鼻先ばかりが寒く、真っ暗でさびしい。しかし部屋のストーブに火がつくと、なんとも幸せな時間になる。やかんを火にかけると、朝があわただしくはじまる。

夫婦が一日のうち一緒にすごす時間というのは、じつはそんなにないのだと、結婚するまでよくわかっていなかった。その短い時間のいちぶが、わが家にとっては、こんな朝の時間だ。もそもそと、目をつぶり、猫背でシャツを着たり、靴下をはいたり、身支度をする大きな夫のために、わたしはおむすびをこしらえる。

おむすびといえば、わが家の定番は塩昆布と梅ぼしで、ときには海苔を、ときにはとろろ昆布をたっぷりとまぶしてむすぶ。手を水にひたして塩をつけ、おひつの中のあつあつごはんをのせると、寒さがやわらいで、手のひらが火照る。ほおばると、ふっくらほろほろこぼれるようなのが好きだが、仕事の日のおむすびはしっかりとにぎる。

ひとつ、ひとつ、ひとつと、祈りを込めてむすぶ。おいしくたべられますように、ちからが湧きますように、無事に帰ってこられますように。

むかし祖母や母がにぎってくれたおむすびにも、わたしへのそんな祈りがこめられていた気がする。だからおいしかったし、だからすきだったし、だからいまこうして夫ににぎっているような。いつの時代も、こどもの手のひらのなかには、たくさんの希望と一緒に、えたいの知れない魔物もすんでいて、どうかした拍子にその手がいたずらしたり、どうしようもない情けないことをするものだと思う。

けれど、墓前に手を合わせたり、手をつないでくれたり、おむすびをむすんでくれたり、手から伝わる無数の父や母の祈りを知るうちに、その手にはいつのまにか父や母の祈りが宿り、こんどはそれを自らが大切なひとにわたしていくような気がするのである。おむすびは、まさにその手から手への愛情と祈り、そのものではないかしら。

ボクは、おむすびが、すきです。
大好きです。
おむすびには、哀愁があります。ノスタルジアがあります。
・・・
おむすびの中で、ボクが一番すきなのは、やきむすびです。冬の夜中など、自分ひとり起きていて仕事をつづけている時など、よく台所へでかけて行って、自分でおむすびを握ってきます。お皿にのせた、三つ(ほんとうは五つかな)のおむすびを、仕事部屋へ運んで来て落ちついた時のうれしさ。
 火鉢に炭をつぎ、カナアミをかけ、ほどよくカナアミがやけた時に、そのおむすびをのせます。ごはんのツブツブがやけて、少しこげて、ちいさいちいさい音をたてはじめます(ああ、遠い遠い日の、エンニチで聞いた、ハジケ豆の音のピアニシモよ)。
 やけたおむすびに、おしたじをつけて、又アミにのせます。いまは亡きおふくろや、おばァさんやおばさんや、ボクにおかしな雉子のトリカタを教えてくれたおじさんなどの顔が浮かびます。
 ボクは、やきむすびをひとつ、ふたつとたべながら、ウタを書きはじめます。ボクにとってはそれが一番たのしい夜中です。

(壇ふみ*選『バナナは皮を食う』(暮らしの手帖社)より サトウ・ハチロー「哀愁と郷愁」)

赤いハンカチにおむすびを包んで夫に手わたす。ありがとう、という夫に、気をつけてと、わたしはその背中にいう。きょうも無事に帰ってきてくれますように、いってらっしゃい。

ちょくせつふれなくても、そばにいなくても、だれかがだれかの無事を祈る、無数の心が空に宿って夜が明けて、いちにちがはじまる。

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木村桃子(きむら・ももこ)

ある時は着付けの先生、ある時は書店員、ある時は川原でぼおっとしているひとりの主婦。

KYOTO的で、多くの女性から支持された「読む女」。ひきつづき本誌で連載。

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