読む女

第6回 春待月

2009.12.25更新


バケツに張った水が冷たい。ぞうきんをしぼる手がかじかんで、ゆび先がほのかに赤くなっている。ホウッと吐く息も白い夜明け前。二階へつづく階段を、一段、また一段と心をこめて拭いていく。着物で家しごとをすると体の芯がぶれず、余計なところに力が入らないので、あるべきところに力がこもり、思い描くひとつひとつの動きに、体がぴたりとついていく。そうして一段、まだ一段。大黒柱も窓も床の間も、ひとつ、ひとつと拭いていく。無心で掃除をしていると、体は自然にあたたまって、そうするうちに外が明るくなってくる。拭いたそこかしこに薄日がさし、きらきら光って、よいきもちになる。


お茶を淹れて一休みしながら、昨年いただいた年賀状を出してきて眺める。Yさんは今年赤ちゃんができたね・・・叔母さんや叔父さんにたくさん会えたな・・・Sさんは久しぶりの便りになってしまった・・・Mさんはお元気かしら・・・。今年の年賀状を書きはじめ、ほどなくして気がついた。わたしは虎が描けない。それでも絵具と格闘して無心で描き続けたら、だんだんそれとなく形にはなってきた。どれもこれも、おめでたくなさそうな顔した虎がならんでしまう。毎年、年賀状はひと仕事だが、送り先のひとたちとの一年を振り返る時間は、なかなかうれしい時間だ。夢中になってしまい、気がつくとお昼になっている。きょうは年末の細々とした買い出しをしなくてはならないので、そろそろ出なくては。赤いマフラーをつかみ、支度を整え外へ出る。


ここ数日で、ずいぶん寒くなった。葉の落ちた欅のあいだを歩くと草履の下で落ち葉がカサカサと音をたてる。冬ならではのいい音。もう、いくつ寝るとお正月、と鼻歌を歌いながらふと考える。日々右に揺れ、左に揺れしてすごすわたしは、なにをつかめた一年だったというのだろう。選んできたこと全てが、少し先のわたしの表情になっていくことを考えれば、一日ずつをもっと真摯に生きていくことをしなくてはいけないのだが、根がふまじめであるから、どうもまっすぐにいけない。ぼんやり生きてちゃいけないね、とひとりごとを言ってスーパーに入る。むしょうに、まっすぐで色っぽい武田百合子の文章が読みたくなる。

正月三ガ日。

 元旦。起きて外見る。人の姿車の影なし。また眠る。起きて外見る。人の姿車の影なし。また眠る。大晦日の夕方から悪寒発熱、年をまたいで、しんしんと寝込んでしまった。
 二日。起きて外見る。年始回りの夫婦が桜並木の道を歩いていく。盛装の女房をつれて、普通のみなりの男が歩いて行く。熱を出しきった後、ぬけ殻のようになった私は九階の窓から眺めながら、(女房を愛していない男って、正月三ガ日はイヤだろうなあ)と思う。
 陽が傾いてこないうちに、近くの氏神様へ初詣に出かけた。(家内安全商売繁昌、眼がよくなりますように。そしてバチがあたりませんように)と柏手をうつ。ありったけの願いごとを、どっと八百万の神様にお願い申し上げたいと思うのだが、これで全部。
・・・

 ある日。(富士の山小屋)

 食料品その他、荷物三個を一昨日宅配便で出し、今日、ひる過ぎに山にやってきたが、まだ届かない。窓という窓、戸という戸を全部あけ放って風に吹かれながら、ぼんやりとテレビを見ている。
・・・

 ある日。

・・・夜、六時半からS氏の仕事の打ち上げ会。・・・刺身、天ぷら、そのほか日本料理いろいろを食べ、ビールを沢山飲んで面白かった。・・・あんまり楽しいと何か失くす。S氏は眼鏡を失くし、Nさんは一万円札を三枚失くしたそうだ。私は何も失くさなかったが、二軒目の店を出たあと、どのようにして帰ってきたのか――。気がついたらわが家の中に佇っていたので、急いで寝た。
 翌る朝、朦朧状態の脳の底から、多分隣に坐っていた人だろう、知らない誰かの声だけが泡玉になって浮き上がってくる。(あなた、山賊のようにお笑いになられますですね。)私は山賊のように笑っていたらしい。鼠色の気持ちになる。

武田百合子『日々雑記』(中公文庫)


 夫が休みの日に車でつれてきてもらったらよかったと後悔するくらい、重くかさばる荷物を持ち、ひいひい言いながら来た道を戻る。腕がしびれる。今晩の夕飯は、年の瀬せまり忙しくしている夫がすきな、おいなりさんと、カツと、大根のお味噌汁だ。帰ってきたら、台所を見て喜ぶだろう。ばったり知り合いの中学生に会い「いまひとりで笑ってたでしょ」と言われる。彼女はきれいな黄色のマフラーをして、彼らしき男の子と手を繋いでいて、そこだけ春のような、明るい、とてもかわいい顔をしていた。そんな彼女に見惚れ、腕をしびらせながらも、近所の猫の縄張り争いのことなど、すこし立ち話して笑う。


なにもつかめていないように、すぎていく日々。右に左に、心迷わずあれたらいいのにと思う。しかし。大きな荷物をどっこいしょと玄関におろし、ひりひり痛み、しわしわになった手をみながら、今のわたしは思うのだった。不自由で、心ちりぢりに乱れたり迷ったりするこの暮らしそのものが、生きていることそのものであり、なにより尊いものではないかと。

おまけ

今年もお付きあいいただき、本当にありがとうございました。
ひっそりつづいていきますが、来年もお会いできるのを楽しみにしております。
みなさまも、よいお年をお迎えください。

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木村桃子(きむら・ももこ)

ある時は着付けの先生、ある時は書店員、ある時は川原でぼおっとしているひとりの主婦。

KYOTO的で、多くの女性から支持された「読む女」。ひきつづき本誌で連載。

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