読む女

第7回 うめぼし

2010.01.29更新

ともだちの家へお邪魔した日のことである。
天気も良く、花屋のおばさんの機嫌も良く、花束のチューリップを何本かおまけしてもらう。
電車に乗り、K駅に到着すると、駅員さんがあわてたようすで入ってきた。

「お忘れ物をさがしています~黒い鞄を見たかたは教えてください~もごもご、おほん、え~お忘れ物を・・・」

駅員さんが通ったあとは、おせんべいの香りがただよった。
おそらく休憩中におせんべいを食べているところへ忘れ物の確認の連絡が入ったか何かだろう。
車内はそれまで気がつきもしないくらい他人同士で、携帯を見ていたり、眠っていたり、本を読んでいたり、それぞれの世界に没頭していたのに、そのとき一瞬で、みんな少しずつ笑って、おなじ可笑しい空気を感じているのがわかる。
「せんべぇくさっ!!」
と、学ランを着た中学生ふたり組みのひとりが鼻をつまんだ途端、またみんなちょっと笑っている。

電車に乗ると、ときどきこういう場面に遭遇する。
それが暴力的な言葉のやりとりだと、車内は殺伐とした空気になるし、男女の喧嘩だと、曖昧で情けないような空気になる。子供がケラケラと笑いが止まらないでいると、思わずつられて笑いそうになるし、席をゆずるやりとりは、どこかでみんながその場面を見届けているところがあるような気がして、心があたたまる。

しばらく住宅街を歩いた先に、彼女の家はある。
久しぶりに会うのでうれしい。
彼女は勿論、彼女のお母さんと会って、他愛のないことをお話するのも楽しみのひとつなのである。

お昼をごちそうになり、いくつかのお漬物を出していただいた。
カブの酢漬け、たくあん、うめぼし。
口に程よい大きさにされた、どれも丁寧な包丁しごと、手しごとを感じる美味しい味である。
庭には金柑や柿、枇杷(びわ)や柘榴(ざくろ)の木があり、季節ごとにジャムをつくっているので、おいしいのを何度かいただいているのだが、今日のお漬物も、彼女のおばあちゃまの畑で採れたカブと大根とうめでつくったそうである。
食後は、やはりおばあちゃまのところからいただいた甘酸っぱい蜜柑をいただく。

彼女の味覚は、小さなころから、そこにあったからという無理のない豊かな家の味で育っているので、おいしいものをたくさん知っていて、相談をすると間違いがない。
それだけではなく、彼女と他愛のないことを話ししていると、さまざまなことに話が及んで、知らない世界のことをいろいろと教えてもらえて、とても元気になるのである。
そんな彼女のことを、わたしは心のなかでドリトル先生、と呼んでいる。

先生のような心がまえで、新しい国の秘密をさぐりに出かける学者は、まずいないでしょう。先生はどんな問題でも、まえもってこうだときめてかかるようなことをしませんでした。新しい問題を見つけると、まるで子どものようなすなおな心でそれに向かうので、新しい知識がすらすらと頭にはいり、それを人にもわかりよく説明してやれるのでした。
-いよいよ旅が苦しくなって、飢えが私たちの腹をえぐり、おそろしいのどのかわきのため舌がひからびて、力も元気も尽きはて、ただ歩くことすら容易でなくなったときにあたって、先生はしだいしだいにほがらかになってくるのでした。しかし、じょうだん口などきいて、ほかの者をいらいらさせつようなことではありません。何か、ふしぎなやりからで、みんなの元気を支えてくれるのでした。
(ヒュー・ロフティング作 井伏鱒二訳『ドリトル先生月へゆく』岩波少年文庫)

「ももちゃん、お漬物もって帰ってね~」
そうお母さんが言うと、彼女はすっと台所へたって、お漬物をつめてくれていた。
うめぼしの壺をもちあげ、スプーンでうめぼしをすくおうとした彼女を、おかあさんが強い口調で叱った。
「おばあちゃんの大切に漬けた梅干をスプーンでなんて、横着しないの。お箸でひとつずつうつしなさい」
「あ、そうか、はーい」
この会話ひとつ聞いて、彼女のたおやかさを育てたのは、この家と食そのものなのだと感じ入る。
彼女がともだちでうれしい。

きょう一日、いろいろな場所のなかで、わたしはたくさんいいことを教えてもったなと、お漬物と苺のつまった紙袋を手にゆっくり歩いて帰る。
夕日まできれいで、怖いくらいのいい一日。

あの日から。
いただいたうめぼしは、わたしもお箸で、ひとつずつつまんでいる。

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木村桃子(きむら・ももこ)

ある時は着付けの先生、ある時は書店員、ある時は川原でぼおっとしているひとりの主婦。

KYOTO的で、多くの女性から支持された「読む女」。ひきつづき本誌で連載。

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